第5話 キッズ・アー・オールライト(1)
「金が……ない~っ!!」
アリアのこの世ならぬ美声で歌い上げられる、俗世の欲にまみれた歌詞。アンビバレンツを味わいながら、あたしはピックを振り下ろす。昼間の酒場に響き渡るオーバードライブの音が、背筋を震わせる。
「センキュー!」
思わず虚空に向かって指差して一言。
お客は熟睡中の酔っぱらい一人。それでいい。また、ここから始めよう。
「はぁ、はぁ……どうでしたか、師匠?」
「よかったよ! でも気楽な曲だから、もうちょい暗くなりすぎない感じがいいかも」
「貧困にあえぐ辛い歌詞に思えますが……気楽な曲、なのですか?」
「うーんと……つらい状況を笑い飛ばす、みたいな感じ? 笑うしかない時ってあるじゃん。そういう、ゆるい感じでさ……」
改めて自分で説明するの、なんか恥ずかしいな……美玲とにゃー子ちゃんはフィーリングで合わせてくれたから、口頭で曲のイメージとか説明することってなかったんだよね。
この世界じゃブルースって概念がまだないわけだし。そもそも大五郎も存在しないし……蜂蜜酒とかに変えた方がいいな。
「ヘルガちゃんは、どう? 音の制御とか」
「うん、アリアさんの助言ですごくやりやすくなったよ。曲に合わせて、いろんな音色も出せそう」
「すごい……! さすがヘルガちゃん!」
「えへへ……」
照れるヘルガちゃん。かわいい。
この調子で彼女が人間エフェクターとして成長していけば、ワウとかディレイとかも使えるようになるかもしれない。ディレイってどんな仕組みか全然知らんけど……。
「……?」
ふと、話の途中でヘルガちゃんが窓の方を見た。
防音のために窓は締め切られ、分厚いカーテンで覆われている。
「どうしたの? ヘルガちゃん」
「ううん、なんだか、コツンって音がしたような……」
「外で? よく聞こえるね。耳いいんだなー」
そう言ってヘラヘラ笑いながらアリアを見たあたしは、彼女の顔が青ざめているのに気づいた。
「アリア、大丈夫? 音に酔っちゃった?」
「……ヴィシアドル」
「え?」
エルフ語? どういう意味? と、聞こうとした瞬間。
目の前の窓ガラスがカーテンごと爆発していた。
「ぐぇっ!?」
あまりに突然の衝撃。
反射的に潰れたカエルみたいな声を出して、その場にしゃがみこむあたし。
恐る恐る目を開けると、すぐそばでかばうようにアリアが立っていた。
「ア……アリア? ありが、と……」
「逃げてください。私のせいです。私は愚かでした。あなたの言葉に甘えて……」
ぶつぶつと、深刻な声でつぶやくアリア。
状況を全く飲み込めないあたしは、呆然と床に散らばったガラスの破片を見回す。なんか知らんが、大惨事だ。ガス爆発? いや、しっかりしろ。ガス管なんてない。
「えっと、アリア……?」
怪我してない? と聞こうとして、ようやくアリアが傷だらけなのに気づく。その右手にはいつの間にか一本の矢が握られていた。
「ちょっ……!? 傷だらけじゃん!」
「私は平気です。私は負けません。あらゆる手段であなたを守ります。大事なものを守る時、エルフは血を恐れません」
「守るって、何から……?」
アリアはすっくと立って、割れた窓の方へ向き直った。何がなんだかわかんないけど、頼もしい背中。
もしかしてあの矢……あたしを狙ったってこと? それをアリアが素手で?
「カリン、下がって」
敬語じゃないアリアの声にびっくりしつつ、言われるままにずるずると床を引きずって後ろに下がる。
近くで、同じようにガタガタ震えているヘルガちゃんが見える。声をかけてあげたいけど、あたしもそんな余裕がない!
「……ヴィシアドル。ノ・ゴール・イル・ノール」
アリアがエルフ語で何事か呟いて――
次の瞬間、頭上からするっと何かが落ちてきた。それが黒い衣服をまとった人間――いや、エルフだと理解したのは、アリアが風のように後方バック宙してそいつの剣を受け止めた後だった。
「きゃあああああああっ!!」
ヘルガちゃんの悲鳴。当のあたしは声を上げるどころじゃない。
だって、あたしのまぶたの数ミリ前で、剣の切っ先がゆらゆら揺れてるんだから!
「あ……あ……」
「大丈夫です、カリン。大丈夫……」
大丈夫な訳がない。アリアは素手で相手の細い剣を握り締め、指から鮮血を垂らしながら黒衣のエルフの首を押さえていた。
アリアの右手か左手、どっちかから少しでも力が抜けたら、あたしは死ぬ。戦いなんてド素人のあたしにも、それだけはわかった。
「……イリ・ゴール・ノス・エント」
黒衣のエルフは、低く重い声でそう唱えた。意味は全く分からないが、ろくでもないことなのはわかる。その瞳は、まっすぐにあたしを見ていた。あたしが、アリアを匿ったから……!?
「ノ・イリ」
アリアは聞いたことのないドスの利いた声でそう言い返し――
握りしめた剣をへし折った。
「……っ!!」
黒衣のエルフはさすがに面食らったのか、アリアの体を蹴って離れる。
剣がなくなって、ようやくあたしはハァ~と深く息を吐く。とりあえず、目の前の死は免れた。でも、アリアはまだ少しも気を抜いてはいないみたいだった。
「なぜ、私でなく彼女を刺そうとした? ヴィシアドル!」
「私はお前をここに引き止める全てを排除する。お前は森に帰る。それが運命だ」
黒衣のエルフが、共用語で言った。つまり、あたしへの脅しだ。
ようやく少しだけ冷静に、状況を把握する。きっとこいつがアリアの言ってた「森からの追っ手」なんだ。エルフの森をナメてた、完全に……さっきアリアが怯えてたわけだ。
こんなの、森の狩人どころかプレデターだ。シュワちゃんじゃないと倒せない方の。
「私は帰らない。ヴィシアドル、お前はここで逃げるか、死体になって土に還る」
アリア……本気で怒ってる。私が見てても怖いぐらいに。
でも、今はその怖さが頼もしかった。大人ぶってたあたしも、命の危機ではどうしたって自分がまだ10代の子供だってことを意識してしまう。弱くて、小さい自分を。
……アリアの背中が、なんだかいつもより大きく見える。
「お前にはできない。お前の世界はここではない」
「私の世界はあそこじゃない!」
聞き覚えのあるフレーズ。突き刺さるような声。
「アリア……」
「ヴィシアドル。私の師匠を傷つける者は一度の死では許さない。地獄の底まで追いかけてお前の首を落とし、永遠に辱めを受けさせる」
……アリア? そこまでしなくていいよ?
「人間どもの言葉は、罵倒ばかりが豊富だな」
いや、酒場の荒くれ者だってそこまで言わんけど。
黒衣のエルフは折れた剣を投げ捨て、血の混じった唾を床に吐いた。どのタイミングかわからないが、アリアが顔に一発お見舞いしていたらしい。いいぞ、アリア!
「アリアノール。その子供の何が大事だ?」
「私に自由の歌を教えてくれた。生きることを」
堂々と言うアリア。後ろで聞いていて、なんだか嬉しくも恥ずかしい。
「エルフの生は森とともにある。それを違えることこそが死だ」
「ならば私は、エルフなんかでなくていい!」
アリアは叫びとともに、へし折った剣の上半分を黒衣のエルフ――おそらくヴィシアドルって名前のそいつに投げつけた。ヴィシアドルはそれを背中に隠したナイフで弾き、呼吸を整える。
「……わがままな娘だ」
その言葉に、引っ掛かりを感じるあたし。
「娘……?」
「はい。ヴィシアドルは私の父です」
さらっと言うアリア。親子でこんな殺伐とした殺し合いしてたの!?
――ってツッコみたいけどそういう空気じゃないのでまだ黙っておく。でも、なんか妙に遠慮ない空気のような気はしてたのでやや納得。元・彼氏とかじゃなくてよかった。よかったのか?