第1話 私の世界はここじゃない(1)
「ほ~ら、キャスリーンちゃん♪ いい子でちゅねぇ~。そろそろおねむの時間かな? 次は子守唄にしましょうねぇ」
……あたしが目を覚まして、最初にある記憶は新しい『母』の顔。
赤ん坊のあたしにリュートの音色を聞かせて、きゃっきゃと子供みたいにはしゃいでいた。
「だぁーっ、だぁぁ!」
(もっと速いやつ演ってよぉ!)
あたしは言葉も喋れないうちから、そうやって母親の選曲に文句を言い続けるのが日課になっていた。子守唄から踊りの曲まで、何もかもがスローであたしの趣味じゃないんだもん。
そして5年が過ぎ、10年が過ぎ――脳が育つにつれて、あたしも自分の身に何が起こっているのか冷静に考えられるようになった。
要するに、アレだ。あたしは異世界転生したんだ。どうしてそうなったか、どういう原理でそうなったのかは知らない。もしかすると、死んだらみんなこうなるもんなのかもしれない。あたしの人生の本筋じゃないから、そこはあんまり掘り下げない。
とにかく今、あたしはファンタジーな世界で15歳の子供になっていた。
新しい名前は『キャスリーン』。略すとカリンにならなくもない。元と変わらずやせっぽちのクソガキで、元と変わらず顔だけはいい。
父親は顔も知らないうちに戦場で死んでしまったらしいけど、母親のジェミマは元・吟遊詩人の現・音楽教師。おかげで元の自分と違って、若いうちから音楽の英才教育を受けられた――ものの、相変わらずリズム感は悪く、声もこの歳からハスキーだった。
「やーい、しゃがれ女!」
「うるせえ、クソガキ! ママの乳でもしゃぶってろ!」
街の子供に毎日からかわれては、こうしてお下品なチクチク言葉で言い返す日々。当然、友達はいない。
最初はせっかく第二の生を受けたんだから、真面目にやり直すつもりだったんだ。いっぱしの音楽家としてイチから学び直して、今度こそ売れる――いや、みんなに好かれる音楽を作ろうって。
……だけど生まれ変わったこの世界は、元の世界以上にあたしに冷たかった。
なにしろここには、ロックもパンクもない。クラシックさえあたしの知ってるようなのはない。庶民が触れる楽器といえば原始的な太鼓と笛、ラッパとリュートぐらい。
もっと文化が盛んな国に行けば色々あるのかもしれないけど、あいにくここは戦争続きの荒れた国。音楽家なんて、酒場の賑やかしぐらいにしか思われていないのだ。
「あ~あ……マジでクソみたいな世界」
今日も今日とてあたしは学校をサボって、いつもの丘でリュートをつまびきながら虚空に向けて愚痴っていた。
学校ってのは、魔法学校のことだ。普通の子供は学校なんてとても行けない世の中だけど、あたしはどうやら精霊魔法ってやつの才能があるらしい。将来は定職に付けると聞かされたら、育ててくれたジェミマのためにも断れない。前の母親と違って、あたしのことちゃんと愛してくれるんだもん。
だけど、それで素直に割り切れるなら売れないバンドマンなんてやってない。
「もういっそ、あたしがここでロック発明するしかないのかな……」
うろ覚えのチャック・ベリーをスローテンポに弾きながら、ぽつりとつぶやいてみる。バック・トゥ・ザ・フューチャーでマーティが弾いてたやつ。
でも、自分にそんなガッツがないのもよくわかってる。漫画の主人公みたいに、たった一人で世界を変えられるようなカリスマがあれば、とっくに元の世界で成功してた。
(みんながここにいてくれればいいのに。にゃー子ちゃんも、美玲も、ライブハウスのおばちゃんも、いつもライブ見に来てあたしのゲロの写真撮ってた変態さんも……)
――いや、最後のやつはいらないか。
とにかく、味方が欲しかったんだ。孤独は辛い。
いっそ、記憶なんてなければこの世界の人間として生きられたかもしれない。私はこの世界の人間じゃない。私はずっとよそ者のまま、死ぬまでこの世界に閉じ込められるんだ。
(元の世界でも思ってたな。自分はよそ者、どこにも誰とも馴染めない……とか)
中学の時のこととか。高校中退する前のこととか。
ぼんやり思い出しながら、あたしはリュートでとある曲を奏で始めた。
失踪した叔父さんから借りパクしたギターで、初めて作った曲。正直、出来はそんなによくないんだけど。歌詞が状況に合ってるせいか、こっちの世界に来てからちょくちょく歌ってしまう。
それは大体、こんな歌詞だった。
***
私の世界はここじゃない
どこかにあるはずなのに
ずっと見つからないまま
ひたすらにのたうつけだもの
身喰いした自分の血肉に溺れて
ばらばらになってくだけのもの
だからもう、すぐ、走り出さなきゃ
誰の手も声も届かない遠くへ
どこでもいい、ただここでさえなきゃ
行き着く果ての向こうまで
この檻を壊して
***
あたしの曲のテーマは大体、「逃げる」ことが8割を占める。
逃げた先に誰かが待っているとは思えなかったから、ずっと逃げ続けなきゃならなかった。美玲とうまくいかなかったのも、わりとそういう理由だったりした。ちゃんと向き合うのが怖くて、信じきれなくって、なんか大事な時に一歩引いちゃったりなんかして――
あー、せっかく若い体に生まれ変わったのに、ジメジメした恋愛思い出すのはやめよう。初期の青臭い曲なんてやるからそんな感じになっちゃうんだ。矛盾してるみたいだけどそういうもんなんだ。
歌詞を口にだすのをやめて、鼻歌でフンフンやりながら、とりあえず曲の終わりまで弾き終えることにする。
せっかくあの世界から逃げ出せたのに、別の世界でもまた逃げたいなんて歌ってるのは、なんか滑稽で情けない。滑稽で情けないのがロックの本質だって誰か言ってた気もするけど……。
そんなことを考えながら、ぼんやりと伴奏のリュートをかき鳴らしているうちに、ふと妙なことに気づいた。
(……あれ?)
最初は、自分の鼻歌が二重に聞こえてるのかと思った。
でも、違う。別の誰かの声が、あたしの鼻歌に重なっている。
「私の……ここ……じゃない……」
かすかな遠い声。いつしかあたしは鼻歌を止めて、その声に聞き入っていた。
……上手い。そして、恐ろしく声がいい。透明で、なおかつ芯がある。
あたしじゃ息が続かなくて切れ切れになってたパートが、一切途切れずに続いてる。いつ息継ぎしてるのかわからないほど。明らかに声を抑えて歌ってるのに、音程もブレがない。
いや! そんな技術的なことなんてどうでもいい。これは、本当に本物だ。才能って言葉は嫌いだけど、そうとしか表現できないもの。人を惹きつけ、心を動かし、虜にする力。
ただ曲に声を当てるだけじゃない。あたしの詩から、メロディから、その意図を読み取って100%表現している。それ以上かもしれない。あたしの曲が、あたしの曲以上のものにされちゃってる。まるで今、ここで初めて完成したみたいに。
胸の奥がむらっと熱くなった。性的興奮って意味じゃない。
喜びと尊敬と畏怖と嫉妬が同時に湧き上がって、わくわくしながら悲しくなる気持ち。あたしには生まれ変わっても出せなかった声で、あたしの歌を誰かが歌ってる。心がめちゃくちゃにされそうだ。
あたしは歌声が途切れないように伴奏を続けながら、必死に耳をそばだてた。
(……どこにいる?)
大体の方向に見当をつけて、ゆっくり歩き出す。
会わなきゃいけない。文句言うにしろ褒め称えるにしろ、このまま顔も合わせずには済まされない。大体、あたしの曲を歌ってくれた人なんてあたし以外にはコーラスの美玲しかいないんだから。
(そこだ!)
岩と草木を挟んだ向こうに、裸足の足が見えた。
勢いつけて飛び出し、「みっけ!」と指差した瞬間――
あたしはその場に凍りついた。
「あ……」
嘆息を漏らし、こちらを見る女。
透き通った肌に黄金の髪、銀色に輝く瞳。儚げで端正な顔に尖った耳……。
言わずと知れた森の種族、エルフだ。
彼女の頬には、ひとすじの涙が流れていた。