第4話 財布からっぽブルース(4)
「……は?」
「音。たぶん、そのまんまがい~ぃよ」
その声は、酒場の奥にごちゃっと寄せられたテーブルの奥から聞こえた。
妙な節とリズムで歌うように喋る、変にくぐもったような声。あたしよりも中性的で、男か女かもよくわからない。
「だ……誰かいるんですか?」
不審者の登場にビクビクするヘルガちゃん。
余裕あるとこを見せたいけど、あたしもちょっと困惑中だ。店から帰りそこねた酔っぱらいでも寝てたんだろうか。おっちゃん、全員追い出してくれたと思ってたのに。
「ああ、失敬、失敬。驚かせたよね、すまないね。そんなつもりはなかったさ。黙ってようと思ってた。だけど、ついつい……あんまり君たちが……」
並べられた椅子の上で、のそっと起き上がる黒い影。最初はゴミの塊が喋ってるのかと思った。しかしどうやら、それは薄汚れたボロ布を頭に巻いた変なファッションのせいらしかった。
「……あんまり君たちが面白いことしてるもんだから。うーっ、カタカタ……」
よれよれの帽子に覆面、手袋。素顔どころか肌も一切見えないが、こっちを見て笑ってるのはなんとなくわかった。999の車掌さんみたいだ。
そいつは右手に握った酒のボトルから、一滴落としたしずくをグビリと飲み込んで、大きなしゃっくりをした。
「私はね、生きうる限り自堕落に生きるのがモットーなんだよ。でも、楽しいことには必ず首突っ込むのもまたモットーなんだ。だから、そう、どちらをとるか、常に迷い続け、揺れ続ける必要が……うっぷ」
何か喉からこみ上げるような嫌な声を出して、それから落ち着けるように深呼吸をする。
「……二日酔いに『揺れる』なんて言葉はまずかったかな。いやいや、むしろ、こうでなくては! しっかりしろ、お前は吟遊詩人だろ。二日酔いでなきゃ歌えない歌がある……これはチャンスだと思え……あー、あー、うーん……」
一人でぶつぶつ言ってる自称吟遊詩人にややムカついてきたあたしは、大きく「コホン」と咳払いをした。あたしは自分以外の酔っぱらいは嫌いなのだ。大体、楽器のひとつも持ってないくせに吟遊詩人なんてさ。
「あのさ。今三人で演奏してて、酔っ払いの長話に付き合う暇ないの。さっきの話の続きは?」
「……さっき?」
「『そのままでいい』って言ってたじゃん。あれ、どういうことよ」
本当はめちゃくちゃ気になっていた。
アリアに音を合わせるつもりだったけど、これで本当にいいのか。ロックをやろうって、ヘルガちゃんと一緒にせっかく作った音を捨てていいのか。
「ああ、あれ……うん、言ったとおりだよ。リュートの音はさっきのガリガリした音でいいんじゃないかな」
「どうして?」
「だってさ、エルフっ子は胸がざわざわするんだろ。音楽に恋に人生に、胸のざわめきなんてのは何より素敵なしるしじゃあないか。うー……っく」
そう言って全身を震わせ、しゃっくりする詩人。酔っ払いのくせにもっともらしいことを言う。
アリアはその言葉を、じっとうつむいて受け止めていた。
「…………」
「古今あらゆる英雄譚に曰く……本当に大事な宝は、常に汝の恐れるものの先にあるのだ。未知なる音楽を創ろうという試み、まさに英雄譚であろう。踏み出せ、若者よ! 音など所詮はただの音、されどその音は天下を揺らす。おお、創作意欲が湧きそう……いや、やっぱりまだ無理だ。寝よう」
好き勝手に言うだけ言って、性別不詳の吟遊詩人はバタンと椅子にまた横になってグーグー寝息を立て始めた。なんなんだ、一体……。
「……カリン。歌ってみます、私……あの音で」
「大丈夫? 無理しなくてもいいよ」
あたしが言うと、アリアはぶんぶんと首を横に振った。
「いえ、詩人さんの仰るとおりです。私は多分、怖がっていました。未知の先に踏み出すことを。それが、まるでこの世の終わりみたいに……」
「怖くてもしょうがないよ、確かに結構激しい音だしさ。今日一日だけでも、アリアは新しい世界にたくさん踏み出してきたじゃん」
そう。アリアは故郷を捨てて、人間の世界に飛び出してきたんだ。それだけでもうめちゃくちゃ冒険してるし、あんまり一気に変化が続いたらメンタルも不安定になるだろう。
「……私が本当に怖いのは、きっと、変わってしまうことなんです。森を出ても、自分は変わらないと思っていたから。私は私で、私自身でいるために故郷を捨てるのだと」
心配げなあたしたちをよそに、アリアはきりっとした顔になって背筋を伸ばした。風のない部屋の中で、長い金髪がふわりと背中に流れる。
「でも、変わらずにはいられないのですね。生きるということは……それだから世界は、あなたの音楽は美しい」
アリアは遠い目をして、小さく微笑んだ。
この話の主役があたしの「財布からっぽブルース」じゃなかったらもっと感動的だったんだけどな。
「きっと、アリアだけじゃないよ。あたしもアリアに出会ってから人生変わったし。お互いにさ、ちょっとずつ影響しあって変わっていくんだ。バンドってそういうもんだから」
「バンド?」
「一緒に演奏する仲間、ってこと。あたしと、アリアと、ヘルガちゃん」
あたしの言葉に、ヘルガちゃんが急に「ひゃっ」と素っ頓狂な声を上げた。
「わ、わたしも……?」
「えっ。あ、ごめん、勝手に数に入れちゃって。迷惑だった?」
「ううん! 嬉しいよ、そんな風に言ってくれて。でも、演奏するわけじゃないのに、って……」
「いやいや、音作りはギタリストの……えっと、リュート奏者の華だよ。あたしだけじゃ、この音出せないんだから」
そう言って、ギャーンとひと振り6弦を鳴らす。
背骨まで響くこのささくれた音……やっぱ、たまらん。なんなら元の世界であたしが自分で作ってた音よりいいかも。ヘルガちゃん、才能あるわ。
「……この荒々しい音は、あなたの心の音なのですね? カリン」
「うん。あたしそのものって感じ。作ったのはヘルガちゃんだけど」
「それなら……私は、この音を理解してみたいです。あなたの心を」
「ありがと。そう言ってくれて、めちゃくちゃ嬉しい」
あたしの曲を、本気で愛してくれた女の子。
音まで好きになってくれってのはわがままかなって思ったけど。やっぱ、誰かが自分を理解しようとしてくれるって嬉しいもんだ。いきなり全部理解し合えなくてもいいし。いつかアリアの耳が慣れたら、三人で一緒に理想の音を探してみるのもいいかもね。
「じゃあ改めて歌ってみよっか、さっきの曲。歌詞、覚えられた?」
「一言一句覚えました。意味の分からない言葉もありますが、つまり、師匠はお金がなく、とても苦労しておられるのですね。生々しい苦しさが伝わってきました」
「いやー……まあ、昔の話だけどね」
今はジェミマに養われてる身だし、大体この国の平均的な庶民の暮らしはできている。
だが、それでもあの頃のスッカラカンな財布を抱えたあたしのブルースは消えることはないのだ……。
「じゃー、行くよ。ワン・ツー・スリー・フォー、で始めるから」
「わんつーすりーふぉー?」
「えっと……1、2、3、4ね。拍をあわせるための掛け声、みたいな……」
「ああ! 理解しました。大丈夫です」
……やっぱ、ドラマー欲しいな。どうせならベースも。
ゆくゆくはこの三人と、あと二人。フルメンバーでロックバンドをやりたい。そしたらきっと、この世界の音楽シーンを一変できるはず。
まあ、音楽シーンなんてものがあるとしてだけど。
「わたしも、準備いいよ。キャスちゃん」
「おっけ。じゃ、改めて……ワン、ツー、スリー、フォー!!」
<第4話 おわり>