第3話 レベル・ガール(3)
むかーしむかし、あたしが万策尽きて美玲の部屋に転がり込んだ時を思い出す。あの時、美玲は土下座するあたしに「見苦しいからやめろ」と言い放った。それから「礼はいいから、あんたも誰かが困ってたら手を差し伸べられる大人になんな」って(今思うと完全にオカンだ)。
結局、美玲にそういうあたしを見せてあげることはできなかったけど。ようやくあたしも、手を差し伸べる側に立てたのかもしれない。
「いけません、それだけは! 師匠を危険に晒すくらいなら、私がこの身を――」
「そういう自己犠牲っぽいやつはもういいって。一緒になんとかしてみようよ。さっきの話だと森が完全に封鎖されちゃえば、50年ぐらいは追っ手も来ないんでしょ? それまで逃げ切れればいいんじゃない」
「それは……そうかもしれませんが。しかし、私がいなくなったことに気づけば、追っ手はシルフの声を読んできっとすぐにでも私を見つけてしまいます。私があなたの家を見つけ出したように……」
やっぱり、シルフの力でストーカーしてたのか。確かにそれは正確さの証明でもある。
「でも、痕跡残さない方法もあるんでしょ? アリアがこうして、ここまで来たってことは」
「……それは」
否定できず、うなだれるアリア。
やっぱり。こんなに追っ手を警戒してるアリアが、一時とはいえわりと堂々とうちに来たわけだから、無防備なわけがないとは思ったのだ。今は追っ手を撒けている自信があるからこそ、こうして姿を見せたってことだ。
「あたしも一応は精霊魔法使えるし。教えてくれれば、同じことできると思う。手伝ってくれそうな友達もいるし、三人がかりならきっと隠し切れるって」
勝手にヘルガちゃんを勘定に入れつつ、胸をどんと叩くあたし。
アリアはうなだれたまま、苦しげな顔をした。
「……巻き込みたくないんです。私の、あの森のことに、あなたを。今ここでこうしていることさえ、十分に巻き込んでしまっている。もう、すぐにでも離れなければいけないのに……」
「でも、離れたくないんでしょ」
アリアは、はっと顔を上げた。
「私は……」
「自分のやりたいようにやろう。それがロックってもんだよ」
「ロック……?」
「えっと、この前一緒に歌った曲のこと。あたしの曲はみんな、そういう名前の音楽なんだよ。揺さぶるとか、そんな意味だったかな……」
まだ世界に存在しない言葉を誰かに説明するのは厄介だ。そもそもが説明めんどくさい言葉でもあるし。
こういう時はもう、自分の中にある意味を伝えるしかない。
正しくても間違ってても、それが今、一番伝えたいことなんだから。
「つまりさ……あたしの曲で、アリアの気持ちはスカッとしたでしょ。そうやって、凝り固まったものをぶっ壊す力がある音楽なんだよ。自由の歌っていうか……まあ、それだけじゃないけど、そんな気持ちを乗せやすいんだ」
「自由の、歌……」
「だからさ。あたしのロックがちょっとでもアリアに伝わったなら……お願いだから、そんなに簡単に割り切らないで。駄々こねて、わがまま言って生きてよ。森を出るって決めたのも、そんな気持ちなんでしょ」
「カリン……私は……」
「ね?」
「……うぅ……っ!」
アリアは急に、あたしの小さい胸に崩れるように寄りかかって泣き出した。
やっぱり、めちゃくちゃ気を張ってたんだ。無理もない。嫌ってたとはいえ自分の故郷を永遠に捨てて、一生一人ぼっちになる覚悟決めてたんだもの。
「よーしよし」
「……ぐす……」
頭を撫でて、落ち着かせてやる。本当にこうしてると、子供みたいだ。
エルフ年齢で考えればたぶん二十歳ぐらいだろうに、この子に妙に母性を感じちゃうのはなんでだろ。いや、元の年齢プラス今の年齢って考えるとこれぐらいの娘がいてもおかしくない……?
やめよう、考えるのは。せっかくエモい瞬間なんだから。
「なんか、あったかいもの飲もっか。サラマンデル魔法習ったからすぐ湧かせるよ」
「……その前に。火を、少し借りられますか」
「? うん、いいけど」
あたしは生返事をしつつ、台所のかまどに簡易詠唱で小さな火を入れる。
その途端、アリアは唐突に隣で服を脱ぎだした。
「えっ!? ちょっ……何してんの!?」
アリアは恥じらう様子もなく、堂々とモデル体型の裸身をさらしたまま、脱いだ服を束ねてそれで顔をぬぐった。化粧ゼロでこの顔か……。
「森から持ち出したものは森のシルフをまとっています。辿られぬよう、綺麗に焼かねばなりません。サラマンデルに焼かれ、シルフは煙とともに再び色のないシルフに還るはず」
「ってことは、じゃあ……」
「……はい。あなたのお言葉に、甘えてみたいと……思います」
ばつが悪そうにそう言いながら、アリアは照れるように微笑んだ。
「アリア……!」
「その代わり。師匠の身に万が一でも危険が及ばぬよう、私がずっとおそばでお守り致します。どうか、お許しをください」
「いやぁ、そこまでしなくても……」
「お願いです。これだけは、譲れません」
やっぱり結構わがままだ。でも、これでこそアリアって感じ。
まあ、どうせひとつ屋根の下で暮らすんだし別にいいか。なし崩し的ではあるけど、これでいつでも一緒に演奏できるわけだ。ロックバンド結成の野望が現実に近づいた。
「……わかった、好きにして。とりあえず、服着よ。お母さんの服なら入るでしょ」
「そんな恐れ多い……! 私は野犬の皮でも剥いで自分の服を仕立てますので、お気遣いは不要です」
……この世界のエルフって、マジで蛮族かなんかなの?
「いや、そっちの方がどう考えても目立つから。とりあえず、これかぶってて!」
「? はい……」
毛布を投げ渡すと、アリアは困ったような顔をしつつそれで体を覆った。あんまり裸に対する羞恥心とかはない種族らしい。いや、アリアが無頓着なだけってのもありえるけど……。
それからあたしたちは服を燃やしたかまどの前で、温まった芋スープを飲みながら少し語り合った。
「……さっき、なんで急に泣き出したの?」
「私の名前……『アリアノール』は、『自由の歌』を意味します。森の外で死んだ母が、私につけてくれた名前です」
「そう……なんだ」
エルフはみんな不老不死みたいなもんだと思ってた。
考えてみれば当たり前だけど、やっぱり事故とか戦いとかで亡くなることはあるんだろう。
「エルフにとって名前は、それを持つ者の生きるべき道、死ぬべき運命を表します。私は、母のくれたこの名に相応しく生きたいと……あなたの言葉で、思いました」
「……そっか」
死んだ人の話になると、あたしはいつも無口になってしまう。
なんて言えばいいかわからなくて。だって、あたしはもし自分の好きな人が死んだら、誰に何を言われたって一生立ち直れないと思うから。
でも、アリアにはそんな暗い気持ちは一切ないみたいだった。その横顔はむしろ勇気に満ちて、死んだお母さんのことが彼女を強くしているみたいで、少しだけうらやましくなった。
「……服、着たらさ。ちょっと歌ってみよっか」
「い、いいのですか?」
上ずった声を出すアリア。多分、歌で(シルフで)追っ手に気づかれることとかを心配してるんだろう。
でも、彼女の目は隠しようがないぐらい輝いていた。
「大丈夫。いい場所知ってるから。あとで一緒に行こ」
「……はい!」
アリアは満面の笑顔で笑った。思わず、胸がきゅっとなる。
そういえば……これからあたし、この子と同棲するんだよね。勢いで決めちゃったけど、もしかして別の意味で危険なのでは?
「どうしました? 師匠? 私をじっと見て……」
「な……なんでもないよ」
色恋沙汰。それはバンド解散につながりがちな地獄のアクシデント。
長いこと美玲と付き合ってたあたしが言えることではないが、実際それでバンドがギクシャクしたことは何度かある。付き合った時も、同棲した時も、別れた時も揉めた。
アリアと始める(予定の)このバンドは、絶対に失敗させられない。あたしの音楽を理解して好きになってくれる人なんて、下手したら異世界全部回ってもこの子しかいないかもしれないのだ。しかもその子が歌ゲロ上手の美声エルフなんて、一万回転生しても二度とこんな機会はないだろう。
とりあえず、今のところアリアからは敬愛こそあれ恋愛感情は感じない。この子は多分そういう子だ。長生きだから性欲薄いのかも。
……つまり、問題はあたし。
あたしさえうっかり彼女を好きになったりしなければ大丈夫。
「あの……」
「はい」
「これから末永く、よろしくお願いします。カリン」
大丈夫……だよね?
<第3話 おわり>