第3話 レベル・ガール(2)
「ふぅ……」
アリアはあたしの小さな部屋の床にちょこんと正座して、ため息をついた。背の高いエルフには、ちびっこのあたしの部屋は窮屈そうだ。
でも、顔を見る限り少しは元気になったようだ。
「何があったの? 森から出たら死罪って言ってたじゃん」
「その……詳しいことは、お手紙に書いた通りですが……」
「あー、手紙……まだ読んでないんだ。アリアの口から聞かせてよ」
あの手紙めっちゃ読みにくいからさぁ……と本人には言えず、ぼかした感じで話を促す。
「……森が閉じられることになったのです」
「森が……閉じられる?」
言葉から意味がイメージできず、ぽかんと口を開けて繰り返すあたし。
アリアはためらいがちに説明を続けた。
「エルフの森は普段から、入ることも出ることもできない場所……禁域です。しかし、いくつかの例外は常にありました。森の中で得られない物資を採取しに出たり、種族と縁のある吟遊詩人から外界の情報を得たり。逆に、森から外に使者を派遣することもあります」
「へえー……そうなんだ」
我ながらひどい生返事。異世界の中でさらに異世界な話を聞かされて、全然想像が追いつかないのだ。とにかく、言うほど隔絶されてはいなかったってことか。
「しかし、数百年に一度……長老たちの判断で、一時的に森を完全に閉じる……封鎖することがあります。そうなると、外界との関わりは完全に断たれます。臨時的な出入りも全て禁じられ、食糧も全て森の中でまかなわなくてはいけません。私も今までのように抜け出せなくなりますし、それに、何より……」
「何より?」
「シルフの行き来を止められてしまうのです。外の音は遮断され、あなたの歌声も、どんな魔法を使っても聞こえなくなってしまいます」
「えっ!? そんなことまでできちゃうんだ……」
最近、ヘルガちゃんの影響もあってシルフ魔法に詳しくなったあたしには、シルフの行き来を完全に封じるなんてことがどれだけ無茶なことか想像がついた。エルフってやっぱやべーやつらなんだ。
「……ちょっと待って。じゃあ、なんでアリアがここにいるの」
「……はい」
はい・いいえで答えられる質問をした覚えはないんだけど。
「なんで?」
「う……その……お話ししにくいから、お手紙にしたためたのですが……」
アリアは深呼吸して姿勢を整え、さらに咳払いをして、ようやく本題に入る。
「私は、あの森を完全に捨てる決意をいたしました。これからは生涯、追われる身になります。森の封鎖が解かれる頃には、兄弟姉妹が私の首をとりにくるでしょう。いえ、封鎖の前にすでに追っ手がかかっているかもしれません」
「えっ……」
「ですので、師匠カリンにご迷惑がかからないよう、姿を消すつもりです。このご挨拶を最後に、もう二度とお会いすることはありません」
「ちょっ……」
「森の外にさえいれば、あなたの歌声はシルフを通じて聞くことができます。どこか誰の目にも触れない荒野で、あなたの歌を聴きながら生涯を過ごそうと――」
「ちょっと待ってってば!」
思わず声を荒げると、アリアの肩がびくっと震えた。
「……なんでそんな極端に走っちゃうわけ!? 待てばいいじゃん! 封鎖って一時的なんでしょ?」
アリアはあたしの言葉に顔を歪め、深く傷ついた顔をした。その分だけあたしも胸が痛くなる。大人のくせに、子供みたいな顔して泣かないでよ。死ぬ前のあたしみたいじゃん。
でも、言わずにいられなかった。だって、死なせたくないって話をしたばかりなのに。
「エルフの『一時』は……人間にはとても長いのです」
「……何年かかるの?」
「五十年です」
「う……」
数字を出された途端、あたしは何も言えなくなってしまった。
五十年……エルフにはきっと五年くらいなんだろう。でも、それだけ時が経てばあたしはきっと生きてない。魔法があるとはいえ、基本的に医療は中世並みで戦乱も多いこの世界では、人の寿命はそう長くないんだから。
「カリン。あなたは、命より大事な音楽はないと言いました」
「……うん」
「私は、だから、生きてみせます。大事な音楽とともに。あなたの歌を聴き、歌い継ぎます。きっと私のように、それを必要とする者が後世にもいるはずだと信じて」
アリアの目は、もう完全に覚悟が決まっていた。
諌めようとしたあたしが恥ずかしくなるぐらいに。こんなのもう、漫画の主人公じゃん。
「……なんで、急に封鎖されることになったの?」
説得をあきらめたあたしは、一旦肩の力を抜いて事情を尋ねる。
「それが……最近になって、森の外でシルフに不穏な動きがあったそうなのです。私は水浴びの最中で、ウンディーネに遮られてよく感じ取れなかったのですが……」
「不穏な動き? なんだろ」
「さあ、私も詳しくはわかりません。しかし、長老たちが封鎖を判断する時は、人間たちの世界に悲惨な戦いや大きな混乱が起きる時です」
「それで、なんでシルフまで封鎖しちゃうの?」
「シルフは風と空気の精霊ですから。遠くで起きること、伝わる声、人々の嘆きや苦しみにたやすく感化されてしまいます。暗い時代には不安や混乱を伝え、さらには疫病を運び人を病ませることもあります」
そんなに影響されやすいのか、シルフ……まさに空気。
「ですので、森を清浄に保つことを思えば、長老たちの判断は正しいのでしょう。しかし、私にとってそれは世界の終わりに等しいことなのです」
……そっか。あたしの歌のことだけじゃない。
アリアは、ずっと森の閉鎖的な暮らしが嫌だったって言ってた。あたしのやけくそな歌に共感して泣いちゃうくらいに。
そんな森がさらに閉鎖的になるのなら、それは彼女にとってきっと地獄でしかないだろう。たとえ生まれ育った場所でも、愛せないことはあるもんだ。
「アリア。ごめん、さっきは大声出しちゃって」
「えっ、いえ、そんな! 師匠カリンには何の責もありません。全ては私の問題なのですから……」
そう言って、うつむくアリアの手はかすかに震えていた。
あー……ダメだ。こんな子放っておけるわけがない。顔とか歌とかの問題じゃないんだよ。もうさ、助けなきゃ絶対後悔するやつじゃん。
「よしっ、決めた!」
あたしはやおら声を上げて、震えるアリアの手を上からぎゅっと握った。
「あ、あの……師匠?」
「行くとこないんでしょ。うちに住みなよ! ちょっと狭いけど……」
一瞬、あっけにとられた顔になるアリア。手の震えは止まってた。