第0話 バンド解散
生まれ変わる前のあたしは、ミュージシャンだった。
――ごめん、嘘。見栄を張りました。
生まれ変わる前のあたしは、売れない自称ミュージシャン兼フリーターだった。
「香凜、あんた将来どうすんの?」
ライブハウスから帰るバンの中、そんな誰も聞きたくない質問をしたのはバンドのベーシストであり元彼女の美玲だった。高給取りの休日バンドマンで、あたしは彼女のヒモだったことがある。
禁煙用のチュッパチャプスくわえて運転しながら、あたしはチッと舌打ちして顔をしかめる。
「将来なんか考えないね。あたし、パンクロッカーだから。常に今を生きてるんだよ、今を!」
「さっきの昼メシ代も私に借りたくせに、何言ってんの。パンク名乗りたがるのもコード少ない曲しか作れない言い訳でしょ。パンクなめすぎ」
「ぐっ……」
「あんた、今年で29よ。定職つけとまでは言わないけどさ。生活考えたらそろそろこのバンド、解散すべきじゃない?」
「……え?」
解散――その言葉にあたしは一瞬固まりそうになる。
それから自分が運転中なのを思い出して、あわててハンドルを切って路肩に車を止める。
「……ちょっと待って。今、なんてったの?」
「解散。バンドやるのはそりゃ、楽しいよ。でも、あんたは金も時間もバンドに使いすぎだって。このままじゃ生きていけなくなるよ。そろそろ解放されな」
「やだ!」
「やだ、って……」
むくれた幼児なみの速度で駄駄をこねるあたしに、ぽかんと口を開けてあきれる美玲。あたしは座席の後ろに乗り出して、もう一人のバンドメンバーに話しかける。
「ねっ、にゃー子ちゃんもやでしょ! 解散なんてさ! ……にゃー子ちゃん?」
「えーっと……」
ドラムのにゃー子ちゃん(自称・本名)は、後部座席で肩をすくめた。
あたしが期待してた反応じゃない。彼女も了承済みなのだ。この根回しの早さ、ちくしょう、社会人め!
「……知ってたの?」
「まー、そろそろ潮時かなって話はしてたにゃ。趣味でたまに集まるぐらいならいいけど、あーしも一児の母だしにゃー」
「嘘……でも、あたしはまだ……!」
食い下がろうとするあたしに、美玲はため息をつく。
「一人でやるなら止めないし、なんならメンバー探しも手伝うよ。でも、メジャーデビューとか武道館とか、叶わない夢に他人を巻き込むのはもうやめな。あんたの歌は売れないし、あんたは歌姫には向いてない」
あたしは運転席で膝を抱えてうずくまり、ぐずるように言う。
「あたしの歌はダメだったの?」
「……あんたの歌はよかったよ。でも、売れない歌だったの。それだけ……それだけだっていいじゃない。好きでいてくれる人も、私ら含めて二十人ぐらいはいたんだし」
「よくないっ! リアルな数字やめてよっ!」
ツッコミ風に返しながらも、あたしの目からはぽろぽろ涙がこぼれていた。
本当は、売れたかったわけじゃない。チヤホヤされたかったわけでもない。ただ私が魂の底から美しいと思ったものを、誰かに伝えたかっただけ。あたしの心が震える時に、世界の誰かに、同じように震えていて欲しかった。
だけど――みんな、聴きにきてくれる友達も、一緒に演奏してくれる仲間でさえ、あたしが思うほどには伝わっていなくて、それがわかってしまって。だから、あたしはやめられなかった。いつか伝わると信じたかったから。
「そりゃリアルだよ。……現実なんだから」
わかってる。あたしの技術とか、表現とか……才能が足りてないだけだってことは。
だけど、人生ひとつ賭けるんなら、たったひとつの願いぐらいは叶って欲しかったんだ。それができないのなら、それが叶わないのなら、あたしは――
「――だったらもう、生きてる意味なんかないじゃないっ!」
「香凜っ!!」
我ながら、子供みたいなことを言ったもんだ。
本気じゃなかった。死にたいわけじゃなかった。だけど、そんな流れで勢いよく車のドアを開けて飛び出した瞬間、大きなトラックが目の前に走ってきたというわけ。
(あ……運転手さん、ごめん)
それがあたしの、最期に浮かんだ言葉だった。