第180話 誘拐されました
リリーが予約してくれていた人気のカフェの個室で、私たちはケーキセットを頼んで誕生日のお祝いをしてもらっていた。久しぶりの外出やカフェに警戒する気持ちが薄れていたと思う。
「少し外すね」
私は洗面室へ向かうため席を立った。護衛がついて来ようとしたが、それは流石に恥ずかしくて断った。カフェの洗面室はここからさほど離れていないので、侍女の同行も断った。
「大丈夫?私も行こうかしら?」
リリーが心配して声をかけてくれたが、わざわざ同行してもらうのも気が引けて、それも断ってしまった。すぐに戻るからと手で制して、洗面室に向かった。特に怪しい人物と会うこともなく洗面室から出ると、皆が待っている個室へと向かった。
そこまでは覚えている。ところが次に意識が戻った時、私は木箱のようなものに入れられているのか、視界が暗くてどこにいるのかも見当がつかない状態だった。微かに木箱の隙間から光が見えるが手足を拘束され、ご丁寧に口に布を噛まされ声すら出せない状態だった。ガタガタと振動が伝わって来るので馬車か何かで移動している最中のようだ。
つまりあの後に、拉致されたということだ。まさか洗面室から個室までのわずかな距離の間に攫われるとは思ってもいなかった…今頃リリーたちは、私が消えてしまって心配しているのだろう。本当に申し訳ない。
その場で殺されなかったということは、恐らく今すぐ命を取ろうと思っている人物の仕業ではないのだろう…安心はできないが、ひとまず今の内に逃げる方法を考えないといけないだろう。犯人は私を狙った?たまたまそこにいた私を攫った可能性は低いだろう。
兎に角犯人の目的も知っておきたいし、逃げられそうなら自力で何とかしたいと思った。
それからかなりの時間、ガタガタと揺れ続け気持ち悪くなってきた頃に揺れが止まった。数名の男性の声がして私の入っている箱が担がれたようだ。時折聞こえる会話はトリアン王国の方言のように聞こえた。トリアン王国とミズリー国とは公用語は一緒なのだが、国で独特の響きが違う言い回しを使うことがあるのだ。
普通の金銭目的の誘拐ではなさそうだ…トリアン王国の者が私を攫うなら、それは王弟派の手の者だろう。聖女である私を攫って来いとでも言われたのか?ただ、魔物は石碑の清浄魔法を強化したためほとんどが弱体化されて、前回の討伐でほとんどが駆除されたはずだ。今更聖女を攫ってどうするのか?
それにしてもタイミングが悪かった。今日までアレックス様の指輪をつけていたら、きっと認識疎外の魔法で攫われることはなかったのかもしれない…ずっと指輪に守られていたのだと改めて実感した、まあ今更遅いのだけれど。ごめんなさい、アレックス様。
希望としては、ミラ様からもらったイヤーカフはまだ右耳についていて、確かあと一回は命の危機があればミラ様が駆けつけてくれるはずだ。出来ればそんな危機はごめんだけれど…
そんなことを考えている間にどこかに着いたのか、運ばれていた木箱がドスンと床についた。油断していた私は少し頭を打ったが、幸い怪我はなさそうだ。
「まったく、雇い主も人使いが荒い。やっと、目的の人物を確保したのに今すぐ連れてこいだなんて。国境まで何日かかると思っているんだ。これだから転移魔石が使える金持ち貴族は困るよ」
木箱を床に置いた誘拐犯の声が聞こえた。会話しているのだから少なくとも2人はいるのだろう。それに私と木箱の重さだ、2人では運ぶのは大変だろう、つまりそれ以上の人数がいるのだ。
「転移魔石は貰ってるんだろ?使わないのか?」
「貰っているけどな、もったいなくて使えないな…転売した方がいいだろ?かなりの額になるぞ」