第128話 sideエメリン・ブレス④
その場はそれで収まったが、その後もイヴァンヌ様はブレス侯爵家を訪ねてきた。私はその度に毅然とした態度で追い返した。だが、何度も何度もイヴァンヌ様はオスカーを返せと言いに来る。今はまだ言葉も理解しない赤子だが、そのうちオスカーも言葉を理解するだろう。
慣れない子育てと、オスカーを取られるかもしれないという恐怖で、私は正常な判断が出来なくなっていたのだと思う。たまたま金の無心に訪ねて来たアラベラの言葉に耳を傾けてしまった…
「そんな女、殺してしまえばいいんだよ。なあに、証拠は残らないさ。暗黒魔術で自分から川にでも飛び込んでもらえばいいんだから、ほら、簡単だよ」
暗黒魔術は、黒魔術と違って生命力をかなり削られるので、まだ使ったことが無かった。でも、あの時はアラベラの言葉が正しいと思えた。もうそれしか方法がないように思ったのだ。
アラベラに宝石を渡すと、嬉しそうにそれを懐にしまってから、人を操る暗黒魔術の魔法陣の書いてある本を差し出した。
「気をつけるんだよ。生粋の魔女だとしても何度も使えば死んでしまう。この私をご覧よ、使いすぎて魔力が枯渇寸前なんだ。魔法使いは魔力が無くなれば死んでしまうからね…せいぜい5回が限度だよ…」
「あなたは、何回使ったのですか?」
「4回だね…次は命がけだ」
アラベラは4回、5回目で死ぬのね…なんとなく心に留めておいた。
それから1週間後、イヴァンヌ様がまた侯爵邸を訪ねてきた。例のごとく返せないと伝えると、次に来る時は知り合いの司法官も同席すると言い残して去っていった。その言葉を聞いて私は決意を固めた。
急いで屋敷の地下室へ向かった。昔はここも荷物があったらしいが、今は何もなくガランとした空間が広がっていた。何もない場所なので使用人が来る危険性も低いが、念のためカギをしっかりとかけた。事前に豚の血を用意しておいた。金に困っていた下働きに、何も聞かずに持ってくるよう金を渡して頼んでおいた。用意するのに人を何度も介して用意するよう頼んだので、足はつかないだろう。それに豚の血を何に使うのか見当がつくのは魔女ぐらいだろう。
壺に入れておいた血に筆をつけ、慎重に魔法陣を描いていった。魔法陣の中心にイヴァンヌが先ほど使っていた紅茶のティーカップを置き、名前として欲しい行動を書き、魔法陣を完成させた。
私はゆっくりと魔法陣に手をつき。呪文を詠唱した。言葉を発する度に、魔力と共に生命力までごっそり減る感覚がする。最後の呪文を詠唱すると、魔法陣が赤く発光して空へ上った。そしてスッと消えた。地面を見ると、置いてあったティーカップは粉々に砕け、地面に描かれた魔法陣は消えていた。
砕けた破片を片付け、半信半疑で寝室へ向かった。ごっそり生命力を持っていかれたのか、そのままベッドで一日眠った。幸い使用人たちは、イヴァンヌが連日訪ねてきた心労だと思いそっとしておいてくれた。
翌日、目が覚めて居間へ向かうと、そこに青い顔をしたアレン様がいた。昨日の昼過ぎにイヴァンヌ様が川へ飛び込み自殺したと説明された。身元確認のため、今朝早くに憲兵所に呼ばれたそうだ。
「自殺ですか…それはお気の毒に…」
内心踊り出したい気分を隠してそう伝えると、アレン様が私を注意深く観察しているような目で見た。
「君は関わってない、な。自殺だと証言はされているが…」
「勿論ですわ。たまたま昨日お見えになっていましたが、特に何もしておりませんよ」
「そ、そうか、それならばいい…」
それからは今までのことが嘘のように平穏だった。