その後 1
後日。
「だいぶ無茶をしたようだな」
「あはははは」
腕組みをした所長から言われて、私は苦笑で誤魔化した。当然、誤魔化せるワケがないんだけど。
所長もいつも通りの表情のようで、眉間の皺がだいぶ深い。
今、私はベッドの上にいる。病院のベッドだ。そしてここは個室である。高そう。
記憶が曖昧だけど、私がケッペキ様を倒したことで、あの潔癖ステージは終息したらしい。
ただ、私自身は、真っ白いお姉さんにキスされたあたりから記憶が曖昧だ。
なんか必死にがんばってた感覚はあるけど、記憶がほとんど残っていない。
気がついた病院のベッドの上だったんだけど、目が覚めた時点では大変だった。
何か自分のことだけじゃなくて、あらゆることが、なんともあやふやで、身体もロクに動かせなかったのだ。
それもようやく落ち着いてきたから、こうして所長と話せるようになったんだけど……。
「あの、所長。聞いていいですか?」
「ん? なんだ?」
「今の今まで――いや今もですけど、色んな記憶があやふやなので、アレなんですが……ここってどこです?」
「病院だが?」
「そういう話ではなくて」
「冗談だ」
「真顔で冗談言わないでください」
「……真顔のつもりはなかったんだが」
「もっと表情筋に仕事させてあげてください」
しかし、こうやってまともに喋れるっていうのは安心するね。
目が覚めた直後は、言葉もロクに喋れないし、人の言葉も何言ってるか分からないしで、プチパニックになってたくらだい。
文字も読めなくなってて、筆談も出来ないとなると、本当にキツい。
じゃあボディランゲージで……と身振り手振りをしようとして、身体が自分の動かしたいように動かない状態で……。
それでもなんとか、看護師さんたちの仕草から、大人しくしておけと言われているのが分かった時、涙が出そうだった。
まぁ、私自身は泣いているつもりだったのに、実際に出ててたのは引きつった笑いだったらしくて、もう情緒はめちゃくちゃである。
目覚めてから一日経つとそれも落ち着いてきて、言葉は発せずとも聞き取れるようになり、さらに時間が経てば文字も読めるようになってきた。思い出してきたとも言う。
数日も経てば、想い出以外の日常行動はだいたい思い出せたので、一般病棟の個室に移されて、こうやって面会の許可出た。
でも、こうなってくると疑問は湧くんだよね。
「私の状態って一般的な人には不可解に映らなかったのかなって」
「そうだな。部屋や家主がケッペキ様の呪いから解放されているのに、キミだけは完全解放されずに白かったらしいしな」
「めちゃくちゃ怪しいじゃないですか。今はふつうの色になってるから余計に」
「なのに医者たちから詮索されないのが不思議か?」
「はい」
所長の言葉にうなずくと、彼は小さく、フッと笑った。
「安心していい。ここは兎塚総合医療センター。
開拓能力者に理解ある金持ちがパトロンをしている病院だよ。
テン・グリップスの息がかかってるのは些かシャクだがね。能力者や怪異による傷病対策や手当、秘密保持などの信用はできる」
なるほど。なるほど。
所長さんの個人的な感情はともかくとして、能力者や怪異の関わることに理解のある病院ってことか。
だから、私の様子に対しても詮索とかなかったワケだ。
「君の記憶の混乱は、急場しのぎで行った対策の後遺症だ。
危ないコトをするなと叱りたいところだが、状況を思えば最善でもあったからな……」
「自分が何してたのかあやふやすぎてよく分からないんですけどね。なんか、ケッペキ様と戦っている時のコトはずっとあやふやなままだろうな……みたいな感覚もありますし」
「そうか」
小さく息を吐き、少しだけ思案をしてから所長さんが改めて口を開く。
「簡単に言えば、ケッペキ様による潔癖汚染で記憶が消えていく中、能力を使って残しておいた自分の記憶を直接脳に叩き込んでいたんだ。
記憶を失っている最中は、それで問題なく行動できたのだろうが、ケッペキ様が倒されたコトで消された記憶は再生された。だが打ち込まれた記憶は脳に残っているので、元に戻った楔の記憶とが混ざり合って、一時的な混乱が起きたのだと思われる。
本来の君の能力を思えば――それでも、君が意識を失えば解除されるだろうに、効果時間が尽きるまでずっと脳に残っているようだ。
そのコトから、君自身が大切な記憶を残そうと、強固な楔として記録を打ち込んだのではないかと思われる」
「あー……なるほど。その楔が抜けていくにつれて、私が元に戻れているってコトですね」
「自分で打ち込んだ楔、抜けそうか?」
「んー……たぶん無理ですね。うまく説明できないんですけど、長期間続くモノではないので、自然に抜け落ちるのを待つしか無い……っていう感覚だけはあります」
「君の感覚がそう告げているのなら、それが事実だ。しばらくは病院で養生するといい」
「はい。そうさせてもらいます」
病院で寝起きして食事をしたりする分には大丈夫なんだけど、病院の外に出たら日常的にやる動作が混濁したままの可能性はあるからねぇ……。
何より――
「感情と行動の結びつきや、知識と行動の結びつきが変になっている部分もあるみたいですから。
お店でお金払うのに急に服を脱いだり、信号を待つのに逆立ちしたりとか……そういう可能性が多々あるみたいなので……」
「ならば、やはり完治するまでは病院の外に出ない方が良さそうだな」
「私自身がそれをおかしいと思えない状況みたいなので、可能な限りしばらくは大人しくしてます。絶対に黒歴史化すると思いますので」
――こればっかりは仕方が無い。
「そうだな。それがいい」
所長さんの優しい声に私が安堵していると、病室のドアがノックされた。
雰囲気としてはお医者さんや看護師さんではなくて、面会にきた人だと思う。
どうする――と、所長さんが視線で問うてくる。
「お客さん対応はたぶんできますよ。まぁ問題ある人だったら所長さんがどうにかしてくれますよね?」
「まぁな」
そううなずくと、所長さんは入り口へ向かっていき、ドアを開けた。
「おや? 君は?」
「初めまして。鷸府田 祀璃です。
わたしの部屋に取り憑いたお化けを退治してくれた女の子がここに入院していると聞きまして……」
「ああ。君が鷸府田君のお姉さんか。話は聞いています。どうぞ」
「失礼します」
はて? 鷸府田くんとは誰だろう?
いやたぶん、知り合いだと思う。そういう感覚はある。でも思い出せないんだよなー。
こういうの……ちゃんと元に戻ってくれるんだろうか。なんかすごい不安になる。
それに、その鷸府田くんのお姉さんと言われても困る。
私が退治したお化け――ってケッペキ様のことだよね。つまり、ケッペキ様と一緒にいた人だと思うんだけど……うーん……?
「ところで、貴方は……」
「郷篥探偵事務所の所長――郷篥です。君を助けた女性は、うちのバイトでして」
そっか。所長さんの名前は郷篥さんだったっけ。
っていうか、私は郷篥探偵事務所のバイトだったのか。
うーん、やっぱ色々記憶があやふやなのってイヤだなぁ……。
そんなことを思っていると、お姉さんが私の元へとやってくる。
彼女の姿を見て、あやふやだった記憶の一つが鮮明になる。
あの時は真っ白だった、ケッペキ様と一緒にいた女性だ。
「私にキスしてきた白いお姉さん」
「その説は大変申し訳ありませんでした」
「わ、わ、わ! 頭を上げてください!」
深々とお辞儀をされて私は慌てて頭を上げさせる。
「わたしに取り憑いたお化けを退治する代償として、部分的な記憶喪失のような状態になってると聞いています。なんとお詫びすれば良いか分からなくて……」
「あー……これも、近いうちに完全に治る予定なので、気にしなくていいですから」
「でも――」
まぁ、お姉さん的には確かに色々とお詫びとかしたい気持ちはあるんだとは思う。
でもなぁ――キッカケは誰だったかに頼まれたことだし、私自身のノリを考えると、助けられてそうなら助けてみるかぁ……くらいの感じだっただろうし。
「あの、お姉さんって、ケッペキ様を望んで受け入れたんですか? 気づくとケッペキ様と一緒にいたんですか?」
「えっと……最初は本当に天使が来たのだと思って、気がつけばあのような形で……」
「最終的には不本意だったで、いいですか?」
「……はい」
消え入りそうな声でうなずくお姉さんに、私は笑顔を向ける。
いやまぁ、私が笑顔のつもりでも、怒り顔とか泣き顔とか向けてる可能性があるのが今の私だけど、そこはもう気にしない。
「だったら、謝罪よりお礼がいいです。
お姉さんは無事にケッペキ様から解放されたワケですから」
本心からそう告げると、お姉さんが何か息を呑み顔を真っ赤にしながら所長さんへと顔を向ける。
なんか、すごいトキメキを得たみたいな顔してなかった?
「あの、郷篥さん。今のは……」
「見ての通り。本心からの顔ですよ」
「…………」
待って、私って今……どんな顔向けたの……?
「……もしかして失礼な顔しちゃいました? 今、感情と表情が一致しない時があるので、もし変な顔をしていたら……」
さすがに恐くなって私がそう口にすると、お姉さんは首を横に振る。
「違います。ケッペキ様からだけでなく、わたしの心の澱すら……今の顔は解放してくれたんです……! ありがとう!」
「え? それってどういう……」
私が疑問を口にするよりも早く、お姉さんは私の手を取る。
「そして気づいたわ! 好きになる相手って男性である必要はないのよね!」
「え? え?」
「今の笑顔にひと目惚れしました。是非ともお付き合いを」
「え? え? ええ?」
困惑しながらも、所長さんへと助けを求める視線を向けると、彼は私から目を逸らす。ちょっと!? 見捨てないで!!
「いいですよね? 恥ずかしいところは貴女に全部見られちゃいましたし、貴女の目を見てると不思議とゾクゾクしてしまうくらいで……」
「そういえば、協力してくれた小説家の女性の話によると、不可抗力とはいえ君がケッペキ様を退治する過程で鷸府田さんに新しい扉を開かせたと言っていたな」
「そうなんです。だから責任を取るつもりで、是非ともお付き合いを――」
「え? ちょ、ま……ええ?」
「大丈夫。年下はむしろ好きですから」
「あの……」
「ちょっと待ちなさいッ!!」
そこへ、新たな女性の声が割り込んでくる。
乱暴に病室の扉を開き、ものすごい勢いでベッドサイドへと駆け込んでくる。
あ……この顔、知っている。
私の記憶に、その顔と名前は、深く刻まれている――美橋 綺興……。
「どこの誰だか知らないけれどッ、在歌はわたしと付き合ってるんだから! 横恋慕は許さないわ!」
「そ、そうだったんだ!?」
記憶の深くに刻まれている理由が分かった。納得してしまった。
そう思っていると、さらなる女性の声が、やってくる。
「アナタまで堂々と事実を捏造しているんじゃないわよ、キキョウ」
「だって……」
どうやら、付き合っているというのは捏造だったようである。
「いいコト? アリカはね。私と付き合ってるの!」
胸に手を当てて堂々と黒セーラーの子が告げる。
そ、そうだったのかー!
「アンタまで堂々と事実の捏造してんじゃないわよ、リスハ!」
……それも違うんだ。
もう、何がなにやら……。
「お友達が事実を捏造するなら、わたしが事実を捏造しても良いじゃない。
ふふ、それに裸になって抱き合ってあれだけ求め合ったコトもあるのだし」
「さすがにそういう記憶捏造してくるのやめてください」
思わずツッコミを入れると、お姉さんは妖艶に微笑んだ。
「操られてたとはいえ二人で裸になって抱き合ってたのは事実よ?」
「ガチで!? いやでも、怪異に操られてたなら、ノーカンでは……?」
ノーカンなのかな? ノーカンであってほしい。
「ちょッ、キキョウさすがに拳握るのはどうかと思うわよ!」
「止めないでリスハ! 怪異に操られたとはいえ、在歌の貞操が!」
「落ち着いてキキョウ! アリカの貞操なんて怪異と遭遇する度にピンチが定番でしょ!」
「それはそうだけど、これはこれ!」
「それはそれどうなんだ自分!!」
思わずツッコミを入れてしまった。
その直後――
「うるさい! 騒ぎすぎだ!」
所長さんの拳が四つほど振り下ろされた。
「……センセ痛い」
「申し訳ありません、調子に乗りすぎました」
「いえ、わたしもつい、噛みついてしまって……」
「私が殴られる理由ありました……?」
めいめいに呻く私たちに――
「個室とはいえ騒ぎすぎだ」
――所長さんはそう言って、憮然な顔で鼻を鳴らすのだった。
初対面だろうお姉さんにも容赦しなかったな、所長……。
お姉さん曰く、下手なイケメンよりもイケメンスマイルだった模様




