その8
「うわぁ!?」
どこからともなく聞こえてくる草薙先生の声とやりとりしていると、背後から男性の悲鳴が聞こえてきて、そちらに視線を向ける。
《ちょっと六綿さん、急に転んでどうしたんだよ。ちゃんとスマホをケッペキ様に向けててくれよー》
「すみません。なんか急にテーブルが出てきて、吹き飛ばされたというか……」
彼の言う通り、確かにさっきまで無かった真っ白い白亜のような色味のテーブルがそこに現れている。
テーブルの足下を見れば、お姉さんが領地拡大している池に片足を突っ込んでいた。
つまり――
「お姉さんの穢れに触れたコトで、存在が思い出された感じですね」
《なるほど。存在が復元されるにあたって、そこに重なっていた異物が強引にどけられた――それが六綿さんが急に転んだ理由か》
「だとしたらケッペキ様そのものを汚す方法とかあると、一気に弱体化できそうですね」
「それはあるな」
「二人は納得してるけど、何を言ってるのかさっぱり分からないんですけどッ!?
……って! キミ、今更だけど服! 裸だよ!?」
「たぶん着てますよ。そのテーブルと同じで存在が消されちゃってるだけで」
「存在が消されてるなら裸なのは間違いないでしょうッ!?」
「? よく分かりませんけど、裸だと何か問題あります? あっちのお姉さんも裸な上にお漏らししてますし」
「いやそうじゃなくて……ていうかもう、そっちは見ないようにしてるから言わないで」
《アリカちゃん、もしかして事件解決する為の必要要素以外の記憶や感情はちゃんと復元してない?》
「え? あ、はい。そうです。そうだと思います。ウルズの左手に残せる情報量にも限界があったと思いますし」
――本当は恥じたり悲鳴を上げたりするのかもしれないけど、草薙先生が言う通り、私は事件解決の為に無理矢理復元した人格でしかないからなぁ……。
さっき、別の女性の声が言ってた通り、本来の私とは少しズレた人格をしているとは思う。
「あの! ケッペキ様が!」
もう一人の男性の声がして、私はケッペキ様の方へと向き直る。
すると、地面に転がっていたケッペキ様が立ち上がり、お姉さんに向けて、文字通り目を光らせている。
《あいつ! 鷸府田ちゃんにビーム打ち込むつもりか!》
「そんなことされたら、せっかく広げた穢れもまた消されちゃうかも!」
「鷸府田さんからしたら消えて欲しいんだろうけど……」
おじさんのツッコミは無視して、私はケッペキ様へと向かっていく。
池の水を跳ねさせながら、私は踏み込んでいき――
ドクン……自分の力が急に衰えていく感じがして、足を止める。
《アリカちゃん!? もしかして自分が漂白されたの逆手にとってパワーアップしてた? だったら穢れを踏んじゃダメだろ!!》
「あ。そうか、そういう……」
完全にやらかした。
記憶や感情が正規のモノだったら、もしかしたら避けたかもしれないのに。
ケッペキ様の羽の一つが細長くなって伸びると私の左手に向かってくる。
「まずい……!」
私のやってることのタネがバレてる!
右手で弾いて間合いを取るか?
僅かな逡巡。
結論は、最初の思いつき通り。
伸びてくる羽の一つを、私は右の拳で打ち払う。
拳を中心に、全身にある様々なものが吹き飛んでいく感覚。
バチン。それでも、わたしは、ひだりてのきろくで、ふっきする。
だけど、そのあいだにケッペキさまの目の一つがわたしに向いていた。
意きが戻りきっていないあい昧な状たいの私に向けて、目からビームがはっ射されようとしている。
「……まずッ!?」
復帰したけど、意識と感覚がズレている。
すぐさま立て直そうとしてるけど、たぶんビームの方がはやい。
追い込まれたのか、すごい頭使ってるじゃんケッペキ様!
そんな感心をしていたところに――
「させねぇよ!!」
ケッペキ様の側のベランダ側の窓が開く。
そして、男性の一人が、ケッペキ様に向けて植木鉢を投げた。
完全な不意打ち。
植木鉢はケッペキ様に直撃すると砕けて、中の土を撒き散らす。
汚れたケッペキ様が苦しむようにもがきだした。
《ナイスだ弟くん!》
汚れのせいか、ケッペキ様は宙に浮いているのが大変そうだ。
だから――
「そろそろ終わりにしましょう! ケッペキ野郎!」
立ち直った私がケッペキ様へと踏み込んでいく。
池を踏みしめて跳ねかせるけど、関係ない。
同じ穢れで汚れた状態であってなら、こちらの方が全てのスペックが上だ。
だから、今なら確実に勝ちにいける!
今の私は非常に曖昧だ。
どちらかというと、今の私はウルズに近い。
一度、アリカとしての名前を忘れたせいで、主導権がウルズにある――という感覚が近いか。
だからだろう。私は明確に怒りを露わにする。
大事な私を消し飛ばしたこと。
アリカをアリカたらしめている、構成している、その記憶、記録、過去を消し飛ばしたこと。
自分の片割れ。
自分の半身。
自分そのもの。
もう一人の自分。
肉体の自分。
言い回しはどれでもいい。言葉なんてどうでもいい。
自分の過去を否定したことがゆるせない。
なにより。
音野 在歌として、開拓能力として――過去に手を伸ばす能力の持ち主として。
掃除だとか浄化の名の下に、過去を穢すような怪異を許さない。
だから――
指を揃えて真っ直ぐ伸ばし、右手を大きく振り上げる。
――音野 在歌の記憶の中に、消し飛ばされてもなお色濃く残るその姿を模倣する。
初めて出会った自分以外の能力者。
命を救ってくれただけでなく、能力の使い方や方向性を示してくれた恩人。
その人の能力。それが行ったチカラある一撃。
手刀。
「綺麗事言って汚れを誤魔化すクソ怪異如きがッ、天使を気取ってんじゃあない! このペテン師がッッ!!」
ウルズによる全力のチョップ。
それがケッペキ様を捉えて、池の広がるフローリングへと叩き付ける。
さっきまであった、触ると消し飛ばされる感覚はない。
恐らくは、身体が汚れているせいで、そこまで強力な浄化が使えないんだ。
手刀を受けた部分を大きく凹ませながら、ケッペキ様が池を転がる。
《あー……鷸府田ちゃんの様子が……。なんか羞恥の涙から恍惚の涙に変わってる気がするんだけど……。
なんか変な扉が開かれちゃったっぽいなぁ……アリカちゃん、責任取れる?》
「わ、私のせいですかー!?」
……いや、私のせいか。
独り遊びの音を打ち込んだ結果がこれだから、その性感と、今の状況が結びついちゃっただろうしなぁ……。
「あの、姉ちゃんのコトも心配だけど……ケッペキ様、なんか小さくなってない?」
「土にまみれて、床に転がってさらに追加で穢れにまみれたから、弱体化してるんでしょうねぇ」
身体を構成する翼の数が明らかに減り、目の数も五つから三つへ。
見た目も不気味さよりも、愛らしさが増して、威厳というか威圧感みたいなのは、ほとんどなくなってしまっている。
「いい気味ね、ペテンのケッペキ野郎」
私が据わった目でケッペキ様を見下ろしていると、ケッペキ様は赦しを懇願するように瞳を潤ませて見上げてくる。
「……! ……!」
だが、そんなもの私には興味がない。
私はお姉さんに打ち込んだものと同じ音を右手に握り込む。
「これで、終わり!」
フローリングの池に転がるケッペキ様に、私は拳を叩き込み、同時に握り込んでいた音を押し付けた。
「……! ……!! ……!?」
拳がめり込み半分潰れた身体をビクンビクンと震わせ、三つの瞳を恍惚そうに歪めて白目を剝く。
そんな姿のまま、ケッペキ様の身体はゆっくりと塵となって消えていく。
僅かな沈黙の中で、ケッペキ様は完全に塵となって霧散した。
部屋の中に沈黙が広がる。
《これで終わった……と思うんだが……》
もしかして、ケッペキ様は核じゃなかったのか――そんな空気になり始めた頃、お姉さんの様子が変わっていく。
「あ、ぁあ……」
お姉さんを中心に、色を失い白く輝いているだけだった部屋が色を取り戻していく。
同時に、色彩を失って姿が消えていたモノや、隠されていたモノたちの姿が元に戻っていく。
そのうち、私の記憶や感覚も元に戻るだろう。
これで一見落着だ。
そう思って息を吐いた時だ――
「……!?」
ガツンと、頭が揺れる。
「あ、あれ……」
何かに叩かれたワケじゃない。
でもこの感覚は何となく分かる。
自分に音を押しつけたような感覚だ。
また、ガツンと脳が揺れる。
「う、え、あ……」
言葉が上手く出なくなる。
立ってられない。
「でょtえgっyw!?」
おじさんが声を掛けてくれてるのは分かるのに、言葉が理解できない。
ガツンと、脳が揺れる。
分かった。
これ、自分の脳に記憶を打ち込んでたやつのバックファイアみたいなのだ。
アレルギー反応というべきか。
空白化する記憶という毒に対抗していた音の記憶。
それが、ケッペキ様の消失と共に攻撃対象であった毒が消えてしまったので、対象を失った。
結果として、脳へと打ち込む衝撃だけが残ったというか、消失期間に発生した出来事の辻褄合わせのような衝撃になっているというか……。
ガツン。
「あ、ぇ、ぅ……」
ああ、マズいあ、
頭や、こkoろで、no かん、考え¥とか……までy 清浄をたmoて無く。なって、きたkitaaaaaaa....
《アリカgほlsおお。いえm!?》
「オトノndけ、s、nn・・・!!」
「DIEjえおhんjオトノんw、あ!!」
ガツン。
喪う、Kanべん…し0て。ほ強い……いtい、
気持血が。割るい・・・勃って、rれれれ、ないな、、、
ガツン。
手の動かし方が分からない。
足の動かし方が分からない。
そもそも手足を動かすって何だ?
私は、ワタシは、わたしは、なんだ?
ちがう。わたしはワタシを覚えている。忘れちゃダメ。
ウルズ。
アリカ。
オトノ、ウルズ。
オトノ、アリカ。
たおす、ケッペキ様
まもる、おねえさん。
まもる、みんな。
なかよし、ききょう。
おんじん、しょちょうさん。
だいじ、わすれない。
なにもかもわからない。
でも、それだけはおぼえてなければ。
わたしがわたしをわすれても、わたしがわたしをいかすから
わたしは、このちからで、だいじなもの、を……
だって、そうしないと、わたしは・・・わたしは・・・
ぶつん――と、電源をオフにするのではなく、突然コンセントを引き抜いたかのような衝撃により――私の意識はそこで途切れた。
とぎれた意識の中で、べちゃりと顔が濡れる感覚や、床に顔を打ち付けた感覚だけはなんとなくあって。
痛い。冷たい。
そんなことを最後に感じていた気がする……。




