その5
その塊は、言ってしまえば白い羽――いや翼の集合体。
天使の背中に生えているような翼が、固まって球体になり宙に浮いているような、そういう存在だった。
中央のやや上に縦向きの目が一つ。あとは対照に横向きの目が四つ。
……正直、まともな存在とは思えない見た目。
《ケッペキ様、ね……本物の天使なワケねぇと思うけど……》
「天使……?」
私が、そう聞き返す。
だって、天使ってイケメンとか美女の背中に羽が生えてる感じじゃない?
あれは全然天使っぽくないんだけど。
そう思っていると、六綿さんが補足してくれた。
「今の人型に羽が生えた姿に描かれる以前――天使はああいう姿として描かれていたコトがあるんだよ」
「まぁあれが天使だって分かる人も、相当なオカルトマニアか雑学好きな気がするけど」
《おっと、男性二人もアレが見えるのか……ますますやばい存在な気がするな。そんだけ、現実世界に表出できるってコトだろうし》
確かに。
難しいことは分からないけど、一般人にも見えてしまう怪異ってロクなモノじゃない気がする。
《男どもは鷸府田ちゃんもケッペキ様も、出来るだけ視界にはいれないようにな》
「だいぶ無茶いいますね!」
六綿さんはそう言いながらも、スマホのカメラをお姉さんたちの方へ向けたまま下がっていく。
「姉さん白いし、天使でてくるし……どうなってるんだよ……」
普段なら喜びそうなシチュエーションもさすがに自分の身内が関わっていると、混乱するっぽい。
それでも、ぶつぶつ言いながら六綿さんと下がっていくのは、さすがというかなんというか……。
《アリカちゃん。なんとかできそうかい?》
「わかりません。ここのルールも、色んな条件も何にも分かってないんで」
《そりゃそうだわな。こっから手を出せないのはもどかしいな》
ビデオ通話か。
あ、そうだ。私もビデオ通話コールしておこう。
ついでに音量もマックスだ。
スマホをタプタプと操作しながら、私は六綿さんの手に持っているスマホへと疑問を投げかける。
「お姉さんとケッペキ様。現象の核はどっちだと思います?」
《十中八九ケッペキ様だろ。鷸府田ちゃんが怪異化した流れはともかく、あれがまともな存在なワケがないしな》
「ですよね」
……究極のところ、ケッペキ様を退治できれば終わる可能性もある。
《だけど気をつけろよ。ケッペキ様って名前の天使に、人もモノも白紙化していく能力舎だ。
恐らくは鷸府田ちゃんの潔癖症由来の現象だろうコトを思うと……その空間においては潔癖であるコト、清潔であるコトが、何よりのチカラになるんだろうよ》
「現状、真っ向勝負だと勝ち目なさそうですね。パワー型の能力でも勝てるか怪しいかもしれません」
《同感だ。それにしてもアリカちゃんは、怪異との戦い方に慣れてるね。少しばかり安心するよ》
「そ、そうですか? えへへ……」
なんか所長並に怪異馴れしてるっぽい人に褒められると嬉しいな。
そんなやりとりをしていると、鷸府田さんが私の後ろ髪を指差してくる。
「音野さん、キミの髪の毛……」
「どうしました?」
「半分くらい白くなってる」
「……マジですか」
完全に真っ白になると、消滅しちゃうかお姉さんの仲間になるか……。
短期決戦が必要だろうけど、正直――何をすれば良いのかが全く分からないんだよなぁ。
「ケッペキ様……? どうしたの?」
悩んでいると、お姉さんとケッペキ様が何やら話をしている。
それに、お姉さんが納得したようにうなずくと、気怠げな足取りで前に出てきた。
「アリカさん……だったわね? すぐに洗い流して忘れてしまう名前だけれど、貴女は汚れと穢れを清めて上げてと、ケッペキ様にお願いされたの」
「……だいぶ遠慮したいんですけど……」
ジリリと、お姉さんが近寄ってくる。
私は後ろ手に、男性二人にもっと離れろとジェスチャーする。
それが通じたのか、彼らが少し離れていくのを感じた。
「怖がらなくていいのよ。全て清めて洗い流す……身体から頭から心から、全ての穢れが無くなっていくの……それはそれは、とても清々しくて気持ちが良いコトなの……」
「勝手に人の想い出とかを穢れ扱いしないで欲しいんですけど?」
「ふふ。大丈夫よ。想い出なんて結局はどれもこれも穢れなんだもの。そんなものがあるから苦しいの。そんなものがあるから縋ってしまうの。
記憶も、繋がりも、夢も希望も絶望も、全て白く清めてしまえば、もう何かに捕らわれたりしないですむもの」
「でも、お姉さんは今ケッペキ様に捕らわれてますよね? ケッペキ様への信仰心みたいなのは洗い流さないんですか?」
素晴らしいことのように語るお姉さんだけど、どうにもケッペキ様の言いなりになっている節がある。
「少なくともケッペキ様との繋がりを白紙に出来てないですよね?」
正直、この指摘はだいぶ危ない橋な気がする。
言ってしまえば、今のお姉さんはケッペキ様の狂信者みたいな感じがするし。
「…………」
急にお姉さんの穏やかな雰囲気が変わった。
やっぱり、地雷だった?
「ケッペキ様はいいのよ、だってケッペキ様が来てくれたから、世界を綺麗に白くする方法を教えて貰えたから……」
どこか怒ってるように見えるのに、表情は薙いだまま。
なんだかチグハグな感じがする。
……逆に言えば、まだチグハグになる程度には、お姉さんらしさが残っているのかも――って考えるのはちょっと楽天過ぎるかな?
そう思いながら、お姉さんがどう仕掛けてくるのかと注視していると、背後から――六綿さんのスマホから声が響いてきた。
《アリカちゃん、上だッ! 羽ッ!!》
うえ? はね?
言われるがままに上を見ると、いつの間にか白い綺麗な羽がひらひらと落ちてきている。
これ、絶対にやばいヤツだ……!
そんなに量は多くない。
これくらないなら私でも避けれる。
そう思った矢先、ふらりとした動きからは想像できない早さで、お姉さんが私の脇にやってきた。
「え?」
「お掃除は得意なの。お掃除をする為ならいくらでも早く出来るわ」
「……だいぶ反則では?」
思わず呻いた瞬間、左肩に羽が触れた。
バチリ――という感覚と共に何かが消し飛んだ。
いや、肩はある。別に何かが無くなったワケじゃない。
……いや、着ている服の肩の部分――この不自然に開いた穴はなんだろう?
こんな変なデザインの服を着てたっけ?
あれ? 左肩……?
こんなに真っ白になって……?
あれ? 真っ白??
「肩、綺麗になりましたね。動かす必要はないんです。動かし方は洗い流してしまいましょう」
お姉さんが私の左腕にもたれかかる。
磁器のような、陶器のような――そういう言い回しがあるけれど、お姉さんの肌は本当にそれみたいだ。
滑らかで、シミも皺もなくて、その綺麗が肌が、徐々に私の左腕を浸蝕していくように、私の左腕が綺麗になっていく。
まるで最初から左側だけノースリーブの服を着ていたような……。
まるで最初から私の左腕は真っ白で陶器のような腕だったような……。
……そもそも、左腕、私、動かせてたっけ?
昔から、私に左腕なんてなかったような……。
あ、なんか致命的に不味い状況な気がしてきた。
不味い状況のハズなのに、どうして良いのか分からない。
《記憶をつなぎ止めろッ! 身体が動かなくなるより、記憶を失うコトを防げッ!》
声が聞こえてくる。
そうは言われても、記憶なんてどうつなぎ止めれば……。
あ、いや。待てよ。
過去の記憶や記録に関しては、そもそも私の得意分野じゃないか。
一か八か。
右側しか動かなくても、右が動くならそれでいい。
やったことないけど、イチかバチかで仕込んでおこう。
私は過去の音に手を伸ばす。
「何かしようとしてはダメです」
白くて綺麗なお姉さんの唇から、白くて綺麗な舌が伸びる。
白一色だろうと、綺麗な人の綺麗な舌というのは艶やかで、同性の私ですらため息がでるほど色っぽくて……。
その舌が、私をチロリと舐めた。
瞬間――また、何かが吹き飛んだ。
「あ……」
やばい。
本気でやばい。
カクンと、膝がおれる。
膝に、チカラがはいらない。
そのまま私は、お姉さんに押し倒される。
お姉さんが私の服に触れると、服が真っ白になっていく。
私の着ている白い服を、お姉さんの艶めかしいほど白い舌がゆっくりと舐めていく。
お姉さんの唾液が染みた部分に穴が開いていく。最初から、そこに穴が開いていたかのように。
やがて服に開いた穴と穴が繋がり、穴が広がり、そうして私は裸になった。
……そもそも、私って何で服を着てないんだ?
いくらなんでも下着姿で怪異と向かい合うとか、我ながら理解できないというか……。
……いや。そもそも下着付けてなかった。全裸?
あれ? いや全裸だとしたら、どうやってこのマンションに……。
マンション? あれ、私……なんでこのマンションに……。
お姉さんに触られた部分が、どんどん白くなっていく。
綺麗な肌。シミも汚れもなくなって、ただただ白い肌に……。
「ケッペキ様のおかげで、こういうコトができるようになったのよ。
もっと綺麗にしてあげるからね。貴女の穢れを、少しだけ受け止めてあげるから」
そう言って、お姉さんの顔が私に近づいてくる。
ダメだ。
何がダメなのか分からないのだけれど、これはダメだ。
お姉さんの唇が近づいてくる。
そして、唇が重なり――舌が、私の口と重なる。
次の瞬間――
これまで以上の、何かが消し飛ぶ感覚に襲われ――
消し飛んだものの代わりに、白くて、眩く輝く、真っ白い何かが、私の心の奥――魂の芯にまで入り込んでくる気がした……。




