ミッション3:剣道部に潜入せよ! その1
人はサルから進化した。
進化する過程で、人は色々なものを手に入れた。
二足歩行。
長距離を移動できる体力。
自由になった両手。
肉食による豊富なタンパク質。
大きな脳。
様々な用途で使う道具。
人類は多くのものを手に入れ、それによって大きな繁栄を遂げてきた。
しかし、手に入れるものがあれば、失うものもある。
人間が失ったもの。
それは体毛だ。
我々の祖先は全身を覆っていた毛を、一部を除き失った。それによって人類は、汗が揮発し体温を効率的に下げることに成功した。
体温を効率的に下げることができたことで、長時間の移動が可能になったのだ。
そして人類は世界各地へと、まさしく足を伸ばして行ったのだ!
つまりは!
体毛の減少と発汗は、人類進化そのものなのです!!
…
…
ボクはおずおずと手を上げた。
会澤さんは、まだプレゼンの興奮冷めやらぬ、といった感じだ。立ち上がったまま、こぶしを握りしめている。
ここは学校。
放課後の誰もいなくなった教室。
最近は会澤さんとボクが教室に残ることが多くなったように思う。
今日も次の『作戦会議』ということで、二人残っている。と、会澤さんは席に座ると唐突に語りだしたのだ。ちなみにボクも会澤さんの隣の席に座ることを許された(?)。
「ん?なにか分かりづらいところ、あった?」
会澤さんは、少し落ち着いたのか、ようやく
手を上げているボクに気がついた。顔はいつものクールビューティーというより、光悦とした満足げな表情……なんでだろう…
うん、よく分からない。
「あのー、今日は次の作戦会議なのでは…」
ボクはおそるおそる聞いてみた。話しかける時、少しお尻をモゾモゾしてしまった。とても収まり心地が悪い。
「えっ?だから私が匂いを集めている意義を共有しようと思って。」
「意義、ですか?」
「そう!」
意義…というほど高尚なものがあったのか…
そうか、それは知らなかった。
ただただ会澤さんが好きだからだとボクは勘違いしていました。神様、仏様、会澤様。愚鈍なボクをお許しください。
それにしても…
体毛の消失が『進化』なら、頭頂部の体毛を意図せず失う男性は『進化』してるんだろうか。
そんなどうでもいいことを考えているうちに、会澤さんは自分の席に座った。
ふぅとひと息。
会澤さんは満足げの顔をしていた。
ボクは会澤さんのことを本当に勘違いしていた。
もっと話さない人だと思っていた。
教室でクラスメイトと会話している時も、どちらかといえば聞き側で、ニコニコしながら話を聞いている印象だった。まさかこんなに饒舌に、早口で語るなんて。
人は好きなものを語る時、饒舌に、早口になると聞いたことがある。これがそういうことかと納得した。
ふと見ると、会澤さんの肌は少し湿っぽく、夕日を反射してキラキラ光っていた。
興奮して紅潮した頬を更に美しく浮かび上がらせていた。
キレイだ…本当にキレイだ…
話の内容さえなければ…
ぼーっとしているボクの顔を見て、会澤さんは不満げに口を尖らせた。
「分からない?これだけ説明しても!」
会澤さんの語りが再スタートした。
曰く、
汗はフェロモンなのだ!
匂いを発することで、異性にアピールするのだ!
自分が心地良いと感じる異性の汗は、自分の免疫系を強くする相手のシグナルなのだ!
私は理想の匂いを見つけなければならないのだ!!
会澤さんは話しながら興奮したのか、ふたたび立ち上がった。それをボクは聞きながら、ずっとおしりをムズムズと椅子の上で揺らしていた。
もう…もう…ボクも限界だった。
「あの!」
ボクは意を決して、声をかけた。
「えっ、なに?!」
会澤さんは話の腰を折られ、少し不満げな顔をした。しかしすでに限界だったボクに気にする余裕などなかった。
「…やっぱり!ボク……床に正座してもよろしいでしょうか!」
◇◇
今回、作戦会議は、ターゲットを選ぶだけで終わった。
もうグラウンドにも体育館にも行きづらい。
グラウンドにはサッカー部、体育館にはバスケ部がいるからだ。特に体育館は…まぁね。
じゃあ、残ったものは何か。
ボクは会澤さんに『臭うもの』を挙げるように言われた。ボクが最初に思いついたもの、それは…
剣道。
体育の授業でやったとき、防具がものすごく臭かった印象が残っていた。防具を置いてある部屋も入ったが、そこも匂いがヤバかった記憶があった。なので、つい『剣道』と口にしてしまったのだ。
しかし、しかしだ。
どうするんだ?防具を持ってくる?
デカすぎて無理!
籠手でですら、カバンには入らない。これまでのように、入れ替えてなんてできるはずない!
失敗した…剣道なんて口にするんじゃなかった…そう思ったが、会澤さんは本気だった。手に入れる気満々だった。
ひとまず方法は後で考えることになった。ここ数日、授業中も休み時間も帰宅中も食事中も、ボクの頭を悩ます最大課題だ。
「どうした?そんな深刻な顔して?」
ボクが休み時間に悩ましい顔をしていた時、俯くボクに話しかける声があった。
心配そうな、それでいて悩みを吹き飛ばすような爽やかな声。
ボクにそんな声をかけてくれるのは一人しかいない。
「仲川くん。」
顔を上げた僕の前に、仲川くんが立っていた。仲川くんの爽やかな笑顔。ボクは本当に悩みを一瞬忘れてしまった。
「まこと、ここ数日悩んでいるみたいだし…なにかあったか?」
忘れた悩みを早速仲川くんに引き戻された。
仲川くんを見ると、本当にボクのことを心配してくれている。ものすごく申し訳ない…だって悩みは『どうやって臭いものを手に入れるか』なんだから…
答えに困っていると、仲川くんはボクの肩をぽんと軽くたたいた。
「言いたくなかったら、それでもいい。でも本当に辛くなったら、その……力になるからな。」
仲川くんは真っ直ぐに、真摯にボクを見つめてきた。あぁ本当のことを言ってしまいそうになる。
「う、うん…ありがとう、仲川くん。」
ヤバい、少しドキドキしてしまった。恋する乙女か、ボクは。
「で、その…」
仲川くんは少し伏し目がちになった。どうしたんだろう。あんまりこういう顔を見たことない。でも一度だけ見たことあるような……
あっ!そうだ!バスケ部の田中さんの話をしていた時だ!そうだ、そうだ。
ちょっと恥ずかしそうで、言いづらそうで、みたいな顔!そう!今まさに!目の前にある顔!
でもなんだろう。もしかして田中さんの事件(?)が耳に入ったんだろうか。そうか、たしかに、もし好きな人の悪い評判が耳に入ったら確かめたくなるよね。うん。でもどう伝えたらいいんだろう…
気づくと、ボクと仲川くんは、互いに向かい合って、自分たちの頬をかいていた。
「「あの…」」
お互いの言葉が重なった。ドウゾドウゾの譲り合いののち、仲川くんは1言、放った。
「会澤さんのことなんだけど、さぁ…」
!!!
あ、会澤さん!!
そっち!!
ひょっとして、見られた?!
二人でいるところを!作戦会議を!
ヤバい!ヤバい!
一気に口の中が乾いた。
「…な、何か…見た、の?」
それを聞くので手一杯。いや口一杯。
無理やりだ液を出して、ゴクリの飲み込んだ。もし見られたら、しかも、ボクが正座しているのとか見られたら…
「い、いや、見たとかそんなんじゃなくて、人づてに聞いた、みたいな。」
仲川くんは慌てて否定した。
その姿を見てボクは安心した。そして少し冷静になった。そうだ、ボクと会澤さんが作戦会議している最中、仲川くんは絶賛部活中のはずだ。
焦った〜。
ん?でもじゃあ何の件なんだ?まだ仲川くんは『会澤さん』という情報しか発していなかった…ボクは焦りすぎだ。
きっとこの1分内で、ボクの表情は喜(怒)哀楽焦謎くらいに目まぐるしく変化していたに違いない。
我に返り、仲川くんの方を見ると、困惑した顔をしていた。それはそうだ。まだ何も言ってないのに、挙動不審な態度をとる人間が目の前にいるのだから。
「その…言いにくいんだが…」
仲川くんが意を決してように言葉を絞り出した。
言いにくいこと…
その言葉を聞き、ボクの口内は、きな粉一気食いしたくらいの水分の持っていかれ方をした。ボクはまたツバを飲み込んだ。そんなボクの口内を心配したわけではないだろうが、仲川くんは言葉を続けた。
「…イジメられてる、とか…」
イ・ジ・メ…
イジメ?
しばしの沈黙…
言葉の意味が、脳の言語野で処理され、大脳新皮質にたどり着き、判断される。その経路が通常時の1.5倍かかったような。そんな錯覚。
あぁイジメ?
って誰が?誰を?
気まずそうな仲川くんの顔から、言外の意味を読み解くのに、更に十数秒。DIOのthe world もびっくりの停止時間だ。
「えっと…ひょっとして、ボクが会澤さんにいじめられてるではと心配してくれて?」
ボクが読み取れた情報を仲川くんに伝えると、仲川くんは最初の時のように心配そうな、不安そうな顔をした。そしてコクリと頷き『あぁ』と小声で答えが返ってきた。
いい人!!仲川くん!イケメン!
惚れそう!!
いかん!いかん!
ボクは仲川くんに惚れそうになる自分を振り切り、もう一度冷静になった。
ボクがイジメられてるとか思われたら、今後の作戦に支障が出る!
そんな誤解は解いておかないと!!
ボクは、会澤さんに弱みを握られて、会澤さんの要求に答えようとしているだけなんだから!!
……ん?これはイジメ?なのか?
ボクは首を振った。
違う!違う!これは決してイジメではないぞ?!
ほら、仲川くんがまた不審そうな顔をしてる!ボクの表情がおかしいからだ!
「イジメとか、そんなんじゃなくて…そう!
会澤さんから、少し相談されてて!」
ボクは仲川くんに向き合って、否定した。
うん!ウソではない!
間違ってはいない!
目的語を言ってないだけ!
仲川くんは安心したような顔をした。
が、すぐに次の質問をぶち込んできた。
「相談?何を?」
ノーーー!!!
目的語は聞かないでぇ〜!!
当然の質問だけど、今は聞かないで!!
あぁ『言いたくなきゃ言わなくても』とか仲川くん言ってるし!これだと口止めされてるみたいで、イジメの真実味が増してしまう!!
考えろ!考えろ!!
何か、何か!
そ、そうだ!!
「い、犬!会澤さん、犬飼いたいっててさー!ボクんち犬飼ってるから、相談に!!」
うそつきー!ボクの大噓つきー!!
ボクんちに犬なんていねぇ!!
むしろボクが犬です!!
「いぬ?」
「いぬ!!」
もう『いぬ』しか言ってないぞぉ〜
でも、でも、もうこれで押し切るしかない!!
「あっ、あぁ!犬!犬かぁ〜!」
仲川くんからゆっくりと返事が返ってきた。まるで、言語野から大脳新皮質に(以下略)…の停止時間を仲川くんがくらったみたいだ。
でもなんだか『そうか犬か』と自分に言い聞かすように仲川くんは呟いていた。
仲川くんは下を向いて、少し恥ずかしがっているように見えた。
大丈夫かな?納得してくれたかな?なんだか仲川くん少し嬉しそうだ。気のせいかな。とりあえず誤解は解けたと思いたい。
すると、仲川くんは思いついたように、質問を続けてきた。
「まことって、犬(を飼うのが)好きなのか?」
「うん…ボク、犬好きなんだ…」
今、何かが決定的にすれ違ったようにも思えた。しかし、表面上でも合っていれば問題ない。そう、この場はまったく問題ない!!