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プロローグ:他人(ひと)の性癖を笑うな

私立渡良瀬(わたらせ)高等学校。


ボク、渡辺誠は高校一年生として入学した。

勉強ができるわけでも、スポーツができるわけでもなく、毎日ゲームをして過ごす普通の高校生。どこにでもいる、何者でもない男子。それがボクだった。


入学した初日、美しいクラスメイトがいた。


会澤薫さん。

彼女はボクが今まで人生で見た中で、一番美しく華麗な人。ボクと違ってキラキラと美しく彼女は、ボクとは違う世界の住人だと思っていた。


夕方、ボクが忘れ物をして教室に戻ると、そこには誰もいなかった。つい昼間の会澤さんを妄想してしまい、ボクは会澤さんの椅子でオ○ニーをしてしまう。


しかし絶頂に達しようとした、まさにその時、ボクの行為を会澤さん本人に見つかってしまった。

高校生活が早くも終わったと絶望したボクだったが、会澤さんは黙っていてくれると言ってくれた。その代わりといって、彼女から要求されたこと。

それはあるものをコッソリ取ってくるという指令だった。

 4月8日。

 高校生活が始まった最初の日。

 春の柔らかな日差しが、

 夕暮れの突き刺す日差しに変わる頃、

 誰もいないはずの教室で、

 自分しかいないはずの教室で、

 ボクの始まったばかりの学校生活は、

 早くも終わりを迎えた。

 少なくともボクはそう絶望した。


 ◇◇


 私立渡良瀬(わたらせ)高等学校。

 僕が入学した学校だ。

 別にこの学校に特別な思い入れはなかった。

 入学したくて勉強を頑張ったわけでも、バカにして手を抜いたわけでもなく、普通に受験して、普通に入学した。

 進学を決めた理由は、家から近い学校で、一番偏差値の高い学校だったからだ。有名ではないが、そこそこ良い学校だと言われている。


 中学時代、ナミカゼ立てず、楽しいことも、悔しいことも大きくはなかった。

 部活はやっていなかったし、特に誰かとつるんで何かをやったこともなかった。

 人と話すのは得意ではなかったけど、目をつけられるほど、コミュ症でもなかった。

 ボクの背は低くもなく高くもなく、運動神経が良いわけでも悪いわけでもなく、中学の時、クラスの行事には、良くも悪くも目立たず参加した。

 そんな中学校時代だった。


 だから中学卒業間際に、よく妄想した。

 高校になったら、変われるんだろうかと。

 今の『普通』から抜け出して、『陽キャ』になったら、楽しいことが増えるんだろうかと。

 妄想の中で、ボクは積極的にクラスメイトに話しかけていた。男子はもちろん女子にも臆すことなく話しかける自分がいた。

 学校帰りには、友だちとダベり、週末はその友だちに誘われて遊びにいくんだ。


 ボクの『高校デビュー』は妄想の中で、夏休みまで進行した。

 だがしかし現実は妄想通りとはいかなかった。ボクの『高校デビュー』は、妄想のまま、すでに消えかけていた。ボクは入学式の日に、誰にも話しかけられずにいたからだ。


 ◇◇


 入学式が終わった翌日。

 初めて学校に一人で向かった。


 初めての通学路を通り

 初めての校門をくぐり

 初めての校舎に案内された。


 初めての教室。

 初めて会うクラスメイト。

 一人で通う初めての場所は誰だって緊張する。

 緊張と高揚の入り交じった空間。

 薄く開いた窓から、春先の冷たくも柔らかい風がときおり吹いてきた。

 頬を撫でて通り過ぎていくと、高ぶった熱を少し気化して連れていってくれた。


 自分の席は廊下側、一番後ろの席だった。

 自分の名前「渡辺(わたなべ) (まこと)」から考えれば、窓際の前から順番に出席番号順に席が決まっているのだろう。


 前の方から順番に見ていく。

 30人強の教室で、半分くらいの生徒が席についていた。ボクは少し早めに教室についたみたいだ。

 入学式の時にすでに気がついていたが、教室内に自分の顔見知りはいなかった。というより、この高校に自分の顔見知りはいなかった。友達は…もともとあまりいなかった。あまりというか、まぁそれはいいや。


 教室の真ん中ぐらいで、同中(おなちゅう)なのか塾が一緒か分からないが、2名ぐらい机を挟んで話していた。もう10分ほどしたら、全員集まるに違いない。


 その時、ふと教室の入り口に何かを感じた。

 きっと教室内の全員が同じものを感じ取ったのだろう。

 全員の視線が一斉に入口に向いた。


 そこには、女性がいた。

 美しい女性。

 黒くて長い髪。

 背中の真ん中あたりまで伸びている。歩くたびに、その髪がさざ波のように揺れた。風になびく髪は、窓からの日差しをキラキラと反射して、後ろに光の引き波を作っていた。

 後ろからだから顔は一瞬しか見えなかったけど、二重の美人顔がチラリと横切った。肌も朝日をつややかに反射していた。

 足はスラリとしていて、かといって痩せすぎということでもない。女性らしい体つきで、教室内全員の目を引き付けた。

 誰が見ても「綺麗」という形容以外に思い当たらない。

 そういう女性だった。


「めっちゃ美人!」

「スタイルめちゃくちゃ良くない?」

「モデルでもやってるのかな?」

 真ん中で話していた二人の会話が小さく流れてきた。


 本当にキレーだ…

 つき並みな言い方だけど、天使が入ってきたようにボクには見えた。


 天使…

 そう、天使がいる…

 ボクの頭上に天使がいる…


 天使は重力をはじくように、ふわりと羽を回り込ませると、空中にとどまった。

 ボクが天使を見上げると、天使は口元に笑顔を浮かべた。

 天使は、ゆっくりとバレエシューズのような白靴の先をボクに近づけた。

 白糸で引かれるように、くつ先がボクの鼻先に近づき…

 くつ先がボクの鼻尖(びせん)を軽やかにつついた…

 とたん、天使の顔が教室に入った女性の顔に…


 ......!!

 いけない、いけない。

 ボクの悪いクセだ。少し気を抜くとすぐに妄想に入ってしまう。無意識に見上げていた顔を現実に戻すと、彼女が今まさに窓際の着席しようとしていた。


 窓際の一番前の席。

 つまり出席番号1番。


 会澤(あいざわ) (かおる)


 出席確認で最初で呼ばれた名前。

 それが天使、彼女の名前だった。


 ◇◇


 休み時間に入った。

 教室にいくつかのグループができた。

 さっきの同中(おなちゅう)二人組に、もう一人追加したグループ。

 入学式前から練習しているだろう部活の仲間集団がいくつか。

 前後の席に積極的に話しかけ始める女子。

 そして、会澤さんの周りに集まった数名。

 あれだけキレイなんだから、集まりたくなるのは分かる。会澤さんは、クラスメイト複数人に囲まれて、爽やかに笑い合っていた。きっと中学校の時から、そんなだったんだろうな。慣れてる感じがする。


 ボクは、それを遠くから眺めていた。

 誰かに話しかけるわけでもなく、話しかけられるわけでもなく、ただポツンと眺めていた。妄想上のボクは、現実には存在しないようだった。

 仕方なく、休み時間のたび、トイレに行ってゆっくり帰ってきた。

 教室を出る時も、戻った時も、会澤さんは誰かに囲まれていた。女子はもちろん、なんとか輪に入ろうとする男子も加わって、入れ代わり立ち代わり。


 そうだ。思い出した。

 今日、ボクに話しかけた人が一人いた。

 矢野くんだ。

 矢野くんはボクの前の席だ。

『はい、プリント』と前の席からプリントを回してくれた。


「おーい!渡辺くんだっけ?」

「えっ?!」

 突然名前を呼ばれた。

 声の聞こえる方を振り向くと、そこには矢野くんがいた。矢野くんは会澤さんの席の近くで、会澤さんを囲む一人になっていた。

 いつの間に?!

 その矢野くんがボクを呼んでいた。

『おいでよ!渡辺くんも!』

『そうだよ!』

 周りの人も手を振っていた。

 会澤さんは…

 こちらを向くと、ニコリと微笑んで…


「渡辺くん?」

 ボクはまたも呼ばれた。

 目の前に、席に座った矢野くんがいた。

「あっ、あぁ。」

 矢野くんは、会澤さんを囲んではいなかった。

 みんなすでに席についていた。

 会澤さんも前を向いたまま。


 どうやらボクはまた妄想に沼っていたらしかった。


 ◇◇


「なんでいつもこうなんだろう…」


 ボクは学校に再び向かう道すがら、なんどもなんども自分に愚痴をもらした。


 ボクが学校に向かう理由は単純。忘れものをしたのだ。親にサインをもらって提出しなければならない書類だった。

 大事な書類だからしまっておくようにと先生に言われた時に、すぐにバッグにしまえばいいものを、何を勘違いしたのか、机の中入れてしまったのだ。

 次の日から学校は休みで、休み明けにすぐに提出しなければならない用紙だったから、次の登校日に持って帰るというわけにもいかなかった。


 ボクは小さい時からずっとそうだった。

 いつも何かを忘れていた。

 特に緊張した時、初めての場所では必ず何かを忘れていた。

 小学校の入学式の日、教科書を忘れた。

 初めてのプールの日、水着を忘れた。

 遠足の日、水筒を忘れて、先生に飲み物を分けてもらった。

 中学の合唱コンクールの日、楽譜を忘れた。


 ものごころつく前の記憶はないが、きっと似たようなことをしていたと思う。

 それでも、さすがに高校になったら治るだろうと思っていた。

 甘かった。『三つ子の魂百まで』ではないけど、人はそんなに簡単に変われるものじゃないんだと今まさに実感している。


 若干息を切らして、教室に到着した。そこには誰もいなかった。

 部活に入る生徒は、すでに部活を開始していた。スポーツが得意で、入学式前から練習に参加していた人もいたし、体験入部として今日から参加していた人も多くいた。

 ボクのような帰宅部は、当然すでに帰ってしまっている。だから、教室に誰もいなくて当たり前だ。


 誰もいない教室は、昼間とは少し違っている。

 夕方の差し込む陽射しで赤く照らされた教室。

 遠雷のように聞こえる野球部やサッカー部の掛け声。

 いつもとは違う景色とBGMは、自分が別世界にいるんじゃないかと錯覚させた。

 自分一人だけが、この世界にいる。

 そう思えた。


 風が流れてきた。

 ふと見ると、窓が開いて、カーテンが揺れている。カーテンが揺れた先には、昼間に見た会澤さんの机があった。


 会澤さん…綺麗だったなぁ。


 昼間の会澤さんを思い浮かべた。

 歩く会澤さん。

 クラスメイトと話す会澤さん。

 微笑む会澤さん。

 勉強しながら髪をかきあげる会澤さん。

 スラリと立ち上がる会澤さん。

 会澤さん、会澤さん、会澤さん…


 あんな人と話ができたら…

 二人で笑いあえたら…

 一緒に下校したり…


 気がつけば、ボクは会澤さんの机の近くに立っていた。


 会澤さんが、この席に座って…

 髪をかきあげた時の耳元も、チラリと見えたうなじも、白くて可愛くて、キレイだったなぁ…

 立ち上がる時の姿勢も素敵で…

 後ろから見ても、スタイル良くて…

 特に、あのおしり…


 あのおしりに…

 会澤さんのおしりに…

 ボクの顔面を圧迫されたら…

 息ができないほど、圧着されて…

 少し挟まれる感じになるのかなぁ。

 苦しい…くらいだったら…嬉しい…


 ボクは会澤さんの椅子にボクの頭を乗せた。

 ボクは目をつぶった。

 会澤さんは、ボクが椅子に頭を乗せても、気がつかないように立ったままだった。

 会澤さんは、立ったままの姿から、そのままボクの顔のある椅子へ腰を落としてきた。

 真上からボクの視界を埋め尽くす会澤さん。

 柔らかい肉厚に押しつぶされる自分の顔を感じた。


 ボクの右手がひとりでに動く。

 パンツの中では、すでに固くなっていた。

 ボクはそれを、ズボンの上から右手でギュッと握りしめた。強く、強く。

 固さを感じて、妄想の中で、右手を動かさずにはいられなかった。


 うぅっ!


 ボクが絶頂を迎えようとした、まさにその時だった。


『ガタンっ!!』


 何かが床に落ちる音が聞こえた。その音でスイッチが切れたように、ボクはそのまま固まってしまった。


 頭は椅子の上に置いたまま。

 右手は固く握ったまま。

 顔はきっと、絶頂直前の引きしぼった顔のままだっただろう。


 妄想から視界を遮って(シャットダウン)、おそるおそる目を開けた。

 視線だけをゆっくり音のした方に向けた。

 そこには…教室の入り口には、立ち尽くした美しい女性が立っていた。

 今さっきまで、ボクの妄想の中にいた女性。


 会澤 薫さん。

 リアルな彼女が目の前に、いた。


「な、何をやってるの?」


 彼女のその言葉に、ボクは高校生活の終焉を覚悟した。


 ◇◇


「もう一度聞くけど、何をしてたの?」


 ボクは床に正座したまま、会澤さんをチラリと見上げた。

 少し会澤さんの頬は紅潮しているようだ。

 や、やっぱり怒っているんだろう…会澤さんは、自分の席に座って足を組んでいた。

 さっきまで、ボクが頭を乗せていた椅子に…会澤さんはボクの上に…


 いや!!いや!!違う!!違う!!


 ボクは(かぶり)を振った。

 ボクはそのまま両手を床について頭を下げた。


「…ご、ごめんなさい…」

「ごめんなさいって、さっきからそれしか言ってないじゃない?!私は何をしてたかを聞いてるの。」


 頭の上から、会澤さんのため息が聞こえた。

 ため息すらも美しさを感じてしまう。


「…あ、あの…ゆ、ゆるしてく__」

「何を許してほしいって?」

「……」

 会澤さんは、分かっている…ボクが何をしていたのかを。その時のボクのアタマの中を。

 会澤さんは、全て分かって、ボクの口から言わせようとしている…そう直感的に把握した。


 ボクが何も言えずに黙りこけていると、会澤さんは痺れを切らしたように、話を先に進めてきた。


「まぁ、いいわ。ところで…あなた、私が教室に入ってきたところ、見た?」

「教室に?」

「そう。」


 会澤さんが教室に入ってきた時…

 その時、ボクは、椅子に頭を乗せて、目をつぶって…


「い、いえ、見てません…」

「そう?本当?」

「め、目をつぶって、いたの、で…」


 何となく会澤さんがホッとしたように感じた。

 ボクは正座で下を向いたままだったので、会澤さんがどんな顔をしているのかは全く分からなかった。でも、さっきまで強張っていた声が少し緩んだように思えた。


「ねぇ。」

 イタズラが思い浮かんだ子どものような声。

 ゆ、許して、くれるんだろうか。

 そういう甘い期待は、会澤さんの次の言葉でボクの中から吹き飛んだ。


「今日のこと、ばらされたくない?」


 思わず会澤さんを見上げた。

 そこには口元に笑みを浮かべ、何かを言いたげな顔があった。その顔には、夕暮れの光とカーテンの影が、交互にさしかかっていた。

 頬がさっきよりも赤みがさしているようにも見える。


 天使、いや、堕天使(あくま)のようにしか、ボクには見えなかった。

 イエスという答え以外ない、というボクの顔を見て取った会澤さんは、更に口元を緩ませた。


「そう…だったら__」


 いったい、ボクは、ボクの高校生活はどうなってしまうのか。

 ボクは別の意味で絶望し始めていた。

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