真綿で包む夫
「ふふふ、ルーク……私にキスしてもいいのよ?」
甘ったれた気持ちの悪い声で
イーライ=デクスターの娘が言う。
妻と俺の仇の娘、
近くにいるだけで反吐が出る。
しかしデクスター家の懐に入り込み、
使用人では入れないような部屋に入るためには
ヤツの妻や娘を懐柔するのは不可欠だ。
娘はまだいい、
下級とはいえ男爵家へと嫁ぐ事が
決まっているため、
己の処女を後生大事に守っているから。
厄介なのはヤツの妻だ。
もともと奔放で男遊びの尽きないあの女は、
俺がこの屋敷に勤め出した時から
目を付けていたようだ。
最初はのらりくらりと躱わしていた。
己を餌にして、
ヤツの妻から情報を巧みに聞き出していた。
しかし手に入らないものがあるのは
気に入らない質なのだろう、
やがて執拗に俺を求めるようになってきた。
最初は口付けを。
そしてその次は当然、
体の繋がりを要求された。
言う事聞かないと屋敷から追い出すと
ご丁寧に脅し文句を付けて。
屋敷に勤められなくなっては困る。
どうやって証拠を集めればいいのだ。
今の段階で、
調査を他人の手に委ねるリスクは避けたい。
信用出来る人間があまりにも
少なすぎる。
誰がデクスターの息がかかった人間か
わからないからだ。
こうなってしまったからには
俺はソレを逆手に取る事にした。
誰かに見つからないように、
誰も入り込まない場所でなら
逢瀬に付き合いますよと、囁いてやった。
その条件はヤツの妻の何かに触れたらしい。
顔を高揚させてしがみ付いて来やがった。
そしてデクスター家の書庫や、
出張で居ない時のイーライ=デクスターの書斎に嬉々として俺を連れ込んでくれた。
頭の悪い女で都合がいい。
でも
本当ならこんな事はしたくない。
妻以外の女など抱きたくはない。
当然これは裏切り行為だ。
気持ちは一切なく、
浮気ともいえない目的のための行為だが、
妻を裏切っている事に変わりはない。
でも……
これしか方法はなかった。
長期戦になればいずれ身元が割れ、
俺ばかりでなく妻にも危険が及ぶ。
そして何よりも俺たち夫婦が
真に幸せになるためには
互いの両親の仇を野放しには出来ないのだ。
覚悟を決めた俺は
何度もヤツの妻の要求に応えた。
必ず逢瀬は
書庫かイーライの書斎と決め、
コトが終わった後で
ヤツの妻が眠っている間に
証拠書類や物品などを探し集めた。
しかし俺は自分の心が
どんどん澱んでくるのを感じていた。
妻への罪悪感。
復讐への執着心。
手段を選ばない己への拒絶感。
それら全てに苛まれ、
俺の心は疲弊していった。
でも、それでも妻は
いつも俺を温かく迎え入れてくれた。
上手い食事に清潔な衣服。
そして柔らかい妻の微笑み。
夜、どんなに遅く帰っても妻は必ず起きて笑顔で迎えてくれた。
そんな妻を大切に大切に抱え込んで眠ると安心して眠れる。
しかし疲れきっていた俺を心配した妻が一度だけ、
もう復讐はやめてくれと言ったが
今更やめられるはずもない。
こんなところでやめてしまったら
俺は単に妻を裏切り、
雇い主の女房と関係を持っただけの男に
成り下がってしまう。
復讐という大義を失って、
俺に何が残る……?
すまない。
すまないルー。
本当に愛しているのはキミだけだ。
キミだけなんだ。
やっともうすぐ終わる。
全てが終わる。
あとは集めた証拠を
白日の元に晒し、
奴を地獄に叩き落とすだけだ。
その時に纏めてヤツの妻も
ゴミのように捨ててやる。
娘には罪はないとわかっているので
敢えて何もするつもりはないが、
嫁ぎ先で苦労するのは目に見えているな。
いや、破談になるか。
しかしそんな事は
俺の知ったことではない。
俺や妻が味わった悲しみ、
そして苦しみを思い知るがいい。
さあ、では最後の仕上げに取り掛かろうか。
そうして俺は
もともと父の下で働いていた
有能な弁護士と共に
集めた全ての証拠を叩きつけ、
ヤツの罪を全て晒してやった。
証拠は認められて
ヤツは逮捕される。
あとは法の下に裁判が執り行われ、
公明正大に裁かれることだろう。
当然財産も没収。
ヤツの妻も娘も親戚の家に身を寄せたと聞く。
ヤツの妻が俺の事を裏切り者だと卑怯者だと罵っていたが、
卑怯はともかく裏切り者呼ばわりは違うだろう。
裏切るもなにも
最初から目的の為だけの関係だ。
ふざけるな。
ああ……
そうだ、ようやく終わった。
ようやく全てが終わったんだ。
俺は妻の好きな菓子を買い、
全てを上手くいったと報告するために
家路を急いだ。
次回、最終話です。