真綿に包まれた妻
よろしくお願いします。
わたしたち夫婦はイトコどうしの幼馴染だ。
兄妹仲の良かったわたし達の両親は
結婚後も常に連絡を取り合い、
家族ぐるみで付き合っていた。
夫はわたしよりも二つ年上で
幼い頃は兄のように慕っていたが、
いつしかそれは恋と呼ばれるものに
変わっていったのを覚えている。
そしてそれは夫も同じだった。
でもわたし達が14歳の年、
一瞬にして全てが変わってしまう。
共通の事業を営んでいたわたし達の両親が、
視察先で不幸な事故に遭い
帰らぬ人となったのだ。
そしてその後
多額の借金がある事が判明。
わたしと夫は家族も屋敷も何もかも、
全てを失ってしまった。
それでも互いが無事に残った事が
せめてもの救いだった。
それからは夫もわたしもそれぞれ
親戚の紹介で奉公に出て、
それぞれ懸命に生きて来た。
お互い住み込みだったが、
その間も常に連絡を取り合い、
まめに会っていた。
夫にしてみれば
ずっとお嬢様育ちで世間に揉まれた事のない私の事が心配で堪らなかったのだろう。
そうこうしている間にわたしが20歳になり、
それを機に結婚した。
少々の蓄えはあっても
無駄遣いは出来ない身の上。
結婚式は挙げず、指輪を交わし合うだけのささやかなものにした。
それでもわたし達は幸せだった。
共に暮らし、
互いを慈しみ合い、
時には喧嘩もしながら絆を深めてゆく。
夫の腕の中は優しくて温かくて、
まるで真綿で出来た巣の中のように
安心できた。
でもそんな日々は長くは続かなかった。
わたし達の両親を死に追いやった仇を見つけたと
夫が言った時、
わたしはどんな顔をしていたのだろう。
自分の指先が酷く冷たくなっていたのは
覚えている。
夫は言った、
わたし達の両親は転移魔法の移動中に魔力障害による事故に見せかけて殺害されたのだと。
仇の名は
イーライ=デクスター
ここ数年めきめきと頭角を表した
新進気鋭の投資家だ。
年齢は両親と同年代の50代。
妻と娘と三人家族だそうだ。
そのイーライに新しい事業の話を持ちかけられ、
共同経営という形で
わたし達の両親は多額の資金を投入しその事業を
起こした。
しかしあともう一歩のところで事業は失敗。
その事で奔走している時に事故を装い殺されたのだという。
夫が調べたところによると
イーライ=デクスターは全ての責と負債をわたし達の両親に被せ、自らも被害者だと訴えてわたし達の両親の財を奪い取ったのだそうだ。
ここまで聞き、
わたしはもう立ってはいられなかった。
ふらっと倒れ込む間際に
夫に支えられる。
夫はわたしを包み込み、そして言った。
「イーライ=デクスターは許さない。
必ずヤツの悪行の尻尾を掴んで地獄に叩き落とす」
その時、夫の瞳の中に灯った復讐の光を
わたしは生涯忘れないだろう。
わたしはとても不安になった。
そして夫にしがみつく。
「でもアレックス、危ないわ。そんな事を平気で
出来るような人に近付いて欲しくない」
「ルーシー・ルゥ、大丈夫だよ。俺が何のために
これまで生きて来たと思う?
この日のために、仇を打てる力をもつために、
今まで懸命に学び、己を研鑽してきたんだ。
ルーは何も心配しなくていい、キミの暮らしは今まで通りだよ」
「アレクは違うの?」
「俺は執事見習いとしてデクスターの屋敷へ入り込む。そこで働きながら証拠を調べ上げる」
「……わたしがやめてと言っても無駄なの?」
「ルーは悔しくないのか?俺たちの両親の無念を晴らしてやりたいとは思わないのか?」
「思わないわけじゃないわ、
でも、ただあなたが大切なだけよ。
あなたまで失ったらわたしはどうすればいいの?」
わたしがそう言うと
夫はとても優しい目で見つめ、
そしてわたしの額にキスをしながら言う。
「心配は要らない。
俺はそんなヘマはしないよ。必ずルーの父さん母さんの仇も打ってやるからな」
「アレク……」
そう言った夫はその後、
すぐにデクスター家に召し抱えられ
宣言通り執事見習いとして働き出した。
ルーク=アボットと名を偽り、
地方の出の独身者だと身元を偽り、
年齢も偽る。
そこにはわたしの知らない人物が
出来上がっていた。
でも、それでも
夫は必ずわたしの元へ帰って来てくれた。
どんなに遅くなっても帰宅して、
変わらずわたしを大切そうに包み込み、
そして眠った。
夫の香りに包まれるだけでわたしは
とても幸せな気持ちになれる。
その香りと逞しい夫の腕に包まれると
ふわふわとした心地よさで
わたしの心は何よりも満たされた。
いつしか夫の香りが
別のものに変わっていたとしても、
夫は変わらずわたしを大切そうに包み込んで眠った。
夫は酷く疲れているようだった。
上手くいっていないのだろうか。
帰れないほど忙しい日々が続き、
夫は少し痩せてしまった。
もうやめて欲しい。
お願いだから手を引いて欲しいと頼んだが、
夫は今更後戻りは出来ないと言った。
それでもその後は少し仕事が落ち着いたのか
以前よりは早めに帰宅出来るようになった。
時々街で
夫がイーライ=デクスターの妻や娘と
腕を組んで歩いている姿を見かけたが、
知らない人を装って気づかれないように
その場を立ち去った。
だって夫の本当の身元がバレて
彼が危険な目に遭うのはイヤだもの。
そんな日は夫は必ず
その時買っただろう美味しいお菓子を
お土産にしてくれる。
それを食べながら
二人で他愛のない会話をして
夜は互いに抱き合って眠る。
夫は家の中に何の情報も持ち込まない。
わたし達の家の中はいつも
ふわふわとした優しくて柔らかな空間だ。
だからわたしは平気。
だって夫が本当に愛しているのはわたしだと、
心から信じているから。
たとえ彼のシャツに口紅が付いていたとしても、
贈られたのであろう
見慣れない私物が増えたとしても、
夫だけを信じて愛し続けていられる。
夫は言う。
もう少し、
もう少しで全てが終わる。
両親の仇が打てる。
また元の暮らしに戻れる。
もう少し、もう少しなんだ……と。
だからわたしは待ち続ける。
夫の腕の中と言う真綿で包まれながら。
夫の本懐が成し遂げられるまで。