あの日
一連目の三行目がつくりかけたままになっていましたので、一部、語句を入れ替えて訂正しています。申し訳ありませんでした。
幼き日々を親しんだ 野山は木々の生い茂り
滑り遊んだ赤土の 山は草木に覆われて
埋めた夢は、いまも、なお 土に還らず草の陰
我は、我が身を処しかねて 己がこころを持て余す
いつか過ごした野の道を 歩いてみても、懐かしき
時は戻らず、ただひとり 想いをのせて、わらべ唄
歌ってみても、どどまらぬ あの日は、風に散るばかり
散れば、消えゆく言の葉を 歌にとどめているばかり
風にあずけた幼子の 夢は、いま頃、どこを吹く
海に流した片恋は どこの岸辺を打ち寄せる
そして、なくした故郷は 此処の他には何処にある
かつて、あの日に踏み染めた 道を何処に見失う
途方に暮れる我に、あの 幼き日々は帰り来ず
いまに迷いし我に、あの 標は、すでに役立たず
そして、こころの故郷は 遠き記憶の森の果て
辿れど、ときは遠ざかり あの日は遠くなるばかり
悔いばかりの人生というものも哀しいものですが、悔いも、後悔もない人生というものも、案外、淋しいものなのかもしれません。