1/2のカタルシス
そっと、そっと静の手のひらの上にフィリスの右手が置かれた。
静はフィリスが自分を許すことにしたんだなと思ったのだが、次の瞬間フィリスから出た言葉はそれとは少し違うものだった。
「……私は、私は自分を全て許す事はできない。でも、今は半分だけ、半分だけ許す事にした」
なるほど、だから右手を……。
静は彼女の行動の本当の意味を知り、納得した。
そして、そっと微笑んで言った。
「今は半分。……それがフィリス自身の選択ならきっとそれに間違いはないよ。応援してる」
「うん!」
フィリスもそれに笑顔で答える。
「でも、私だってこの決断をするの大変だったんだよ。……静の手が、まるで私の事を救い出してくれる神様の手の様な感じだったんだもん」
「ははは……。まぁ、僕の存在が少しでもフィリスの救いになれたなら、僕は嬉しいよ」
……神様。その言葉を聞いた静は少し寂しい様な、嬉しい様な、どちらともいえない顔をした。
そんな静をフィリスは不思議がって
「どうしたの静?照れちゃった?」
と、聞いた。
「……照れてはない。……でも、少し嬉しかった。神様になるっていうのは僕の昔からの夢なんだ」
「神様になるのが夢?」
フィリスは言っている意味がいまいちピンとこず、首を傾げた。
それを見た静は、少し間を置いた後話始めた。
「あれは僕が二十歳の時だった……」
「長くなりそうだからやめとく」
「え!?」
突然思いもよらぬ事を言われた静は少し動揺した。
「冗談だよ。……でも、話しやすくなった?」
「うん、確かにそうかも」
少し気が楽になった事を感じた静は心の中でフィリスにお礼を言うのだった。
「僕は最近まで医師をしていたんだ。……怪我をしている人を助けたりする仕事をしてた。まぁ、それはこの前ちょっと人間関係が上手くいかなくてやめる事になったんだけど」
フィリスはその話を聞いて思い出した。
「……てんねんのせい?」
「……ははは。もう、そういう事にした方が楽になれるかもしれない」
「でも、それなら応急処置が完璧だった事も納得できる」
……今思えばあの手つきはかなり手慣れていた。
フィリスはそう思った。
「まぁ、僕は働いていて神の手の持ち主だと言われたりしていたんだ。……自分で言うのもなんだけど僕はとても凄い医師だったと思う。……フィリスにもあの時少し見せてしまったかもしれないけど、人の命に関わると性格が変わるんだよ。僕」
言われてみれば、あの時は今の静からは想像する事のできないほどの剣幕を纏っていた様な気がする。
「話がズレちゃったね。……僕が神様になりたいと思ったのは僕が二十歳の時、ある事がきっかけで僕は内戦の絶えない国へ向かう機会があったんだ。
そこで、初めのうちはそこの病院を見学したりする予定だけだったんだけど……突然内戦が巨大化して、死傷者が大勢出るようになった。
体に大きな傷を負った人は、もう自分が助からないと自分で自覚していたけれど、最後まで神頼みをしていた。
でも、神様が彼らを助ける事はなかった」
静は当時の事を思い出して、胸の奥が抉られるように感じた。
しかし、それでも話し続けた。
「だからさ、本当は見学するだけのはずだったんだけど……彼らを治す事に決めたんだ。
ーーここに神様がいないなら、僕が神様になってやるって。
それが、神様になりたいと初めて思った瞬間。
そうして僕はその国で二年近く傷を負った人々を治して治して、治し続けた。
徹夜なんて当たり前の毎日だったよ。それでも僕はめげなかった。
そうしてそんなに日々を過ごしている中で僕は、敵から狙われるようになった」
「味方からすれば、まさしく神のような存在でも、敵からしたら……」
「そう、不死身の兵士たちを生み出す『悪魔』だと、そんな風に呼ばれた」
静は今までの出来事を振り返り、涙を一筋流した。――だが、すぐに拭って話を続ける。
「そして、僕は命を狙われた。……今はこうして生きてるけど、心臓の近くを銃で撃たれた。
そうして、僕はその時心臓が止まった。まぁ、一時的なものだったんだけど。……その後は現地の人に助けてもらいながら、自分達で銃弾を摘出して傷を塞いだ。
今でも、胸に傷跡が残ってる。それに、たまに心臓も止まったりするんだ。
このことはあの国にいた人と……フィリス以外知らないんだ。黙っていたからね。
僕は、まぁ半ば強制的に日本へ帰らされてそこでしばらく入院することになった」
……そうして、帰国した後病室のベッドで重大な事実を知る事になる。
「そして僕は偶然聞いてしまった。……僕の助けようとしていた人達は……全員殺されてしまったと。
そこで僕は一年くらい鬱になって、でも、やっぱりそれはあの人達のためにならないだろうな……って、そう思って……。それで、それでっ……」
気づけば静は泣いていた。
涙を目から溢れ出させていた。
「それで…………それでさ」
口が震えてその先が、言えなくて。少し顔を下げ目を瞑り、涙を堪えようとしていると……
突然顔に何か柔らかな感触が当たった。
それだけじゃなく、自分の体に所々何かが当たっていた。
そして静は不思議に思って目を開けるとそこにはベッドの上に立って自分に抱きついているフィリスの姿があった。
「いいんだよ。無理に言わなくても。辛い思いをしてきたんでしょ。……それは痛いほど伝わってきたよ」
フィリスは、そう言いながら静の頭を撫でた。
静ははじめは抵抗していたが、次第に力が無くなっていって……気づけば抱き返していた。
「静は、自分のことを許さないの?……私は今なら言える。許していい!って。……楽になっていいんだよ。……誰も、誰も静を恨まない」
静はその言葉に思わずハッとした。
楽になっていいのか?……その答えはとっくに出していた。
……楽になどなっていい筈はない。
……だが、そうやって覚悟の決めた答えを今、目の前の少女に揺らがされそうになっている。
フィリスもこんな気持ちだったのだろうか?
「ありがとう、フィリス。……僕よりよっぽど神様みたいだった。……ほんとにありがとう」
「私は静の方が神様みたいだと思うな。……むぎゅ」
フィリスはそう言うと先ほどよりも強く抱きしめた。
静にとってはフィリスの抱きつきは少し強すぎたかもしれないが、彼が先ほどから気にしているのはそこでは無かった。
「……フィリス、胸がさっきから顔に当たってるんだけど……」
「へ?」
フィリスはそう言われて自分の胸元を見る。
するとそこには自分の胸に静の頭が埋まっているではないか!
それを見たフィリスは途端に恥ずかしくなり、顔を紅潮させ……
「へ、へんたいっ!」
と、大声を出すと静を吹き飛ばした。
「ぐはっ!…………り、理不尽だっ」
壁まで吹き飛ばされた静はそう言うと視界が暗転していくのを感じ、やがて気絶した。