勇者に殺されかけた魔王の娘は、異世界へ降り立つ
不定期更新の極みですが、それでもよければお付き合いください。
部屋の外からは多くの人間の足音が響いてくる。
それは何かを探し回るようで、荒っぽく、鬼気迫った様子で――彼らの目的といえばもう一つしかなかった。
「お父様ぁっ。怖いよ……」
部屋の隅で丸くなる少女が一人、震えた声でそう言った。
彼女はこの世界を混乱の渦に落とし入れたとされている魔王、の娘である。
魔王のように特別気が強いわけではないが、次の魔王となり得る力はきちんと備わっている。
――いや、すでに彼女は魔王となっていた。
そう、この時彼女の父である魔王は、既に勇者という魔王と対をなす存在によって倒されていた。万が一にも生き返れないように魂ごと、消されたのだ。
故に、彼女は既に魔王となっていた。
それを本人はまだ知らなかったが。
彼女は魔族にとっては微かな希望であり、彼女一人残っていれば新しい魔王となることで何十年、何百年とかかってもいずれ魔族の力を立て直すことは可能だろう。
しかし、だからこそ彼女は今人族に追われ、命を狙われている。
彼女を殺し損ねれば、また魔族が力を持ってしまうからだ。
つまり人族にとっては彼女は魔王の次に殺さなくてはならない敵なのだ。
そして、彼女はそれを痛いほど理解している。
早く何処かへ消えてくれないかと願いながら、彼女は外の人間が通り過ぎるのをその場に丸まって待つ。
一秒一秒が無限に引き伸ばされたように感じられる。
極度の緊張と、恐怖と、仲間たちの身の心配と、様々なものに心をぐちゃぐちゃに乱されて、でも耐えることしかできない。
そして、しばらくして辺りには静寂が戻る。
「た、助かった?」
彼女はそう思い、思わず安堵の溜息をついた。
一先ず脅威は去ったのだと。
が、その時だ。突如轟音が響き、それと同時に部屋中が土煙に包まれてしまった。
(――っ!? 何? ……何が起こってるの!?)
彼女はその突然の出来事にひどく混乱していた。
ーーそれ故に致命的な隙が生まれる。
ザッ、と目の前の砂埃の中から突如として現れた細長い剣が、彼女の喉元から数センチ横の空を切り裂いた。
直接の攻撃はギリギリあたっていないが、繰り出された剣の風圧で彼女の首の皮が少し切れ、血がポツリと溢れていた。
「外しましたか。まぁいいでしょう、はなから一撃で仕留めようなどとは思っていませんでしたし」
彼女が今置かれている状況を本能で理解し始めた時、そんな声が目の前から聞こえてきた。
「……あ、あなたは誰? どうして、ここが」
彼女の今いる部屋は外の廊下とはつながっておらず、この部屋がある事は外からでは分かりようもない。
だからこそ、少女は何故自分の居場所がバレたのか分からずに動揺していた。
少女は目の前の敵を視界に捉えようとするが、依然その姿は舞い上がる砂煙によって分からない。
ただ、すぐ目の前に何があるのかすら分からないほどの砂煙の中、彼女の首をほぼ正確に狙ってきたことから彼女はその敵が只者ではない事を察した。
「質問に答える義理なんてないんですが……まぁ名乗ることぐらいはしてあげましょう。
私はエイル・フォーレイン。氷原の勇者と呼ばれている者です」
(氷原の、勇者……。ゆう、しゃ……?)
その単語を聞いた彼女は咄嗟に攻撃態勢をとった。
彼女自身に戦う勇気が足りなくても、染み付いた身体の動きは研ぎ澄まされている。
「ハハッ、いい動きですねぇ。そうこなくてはやりがいが無い。
さて、まだあなたの名前を聞いていませんでしたね。どうでしょう、教えてくれませんか?」
「……お前に、お前なんかに名乗る名なんて無い!!」
彼女は気づいてしまったのだ、最愛の父はもうこの世にいない事に。
勇者がここに居る。
その状況だけでそれを悟るのには十分だった。
だからこそ彼女は腸が煮え繰り返るほど目の前の存在が憎かった。
それはもう、どうしようもない程に。
「ハッ、酷いですねぇ。私は名乗ったのに君は名乗らないんですか? ……まぁ既に知っているんですけどね、フィリス・グレンハート。
この世界を闇に染め上げた罰、その身で償ってもらうとしましょう!」
少女――フィリスはエイルの言い放った言葉を聞き激怒した。
(何が『世界を闇に染め上げた』だ! 私達は何もしていないって分かってるくせに!)
「おお怖い怖い。何か気に障る事でもありましたか? 殺気を隠せてませんよ?」
「お前は! お父様がどれだけ貴方達人間と分かり合おうと努力をしてきたか分かっててそんなことを言ってるの!?
人間の犯した一つの過ちを、どうして私達に擦り付けようとするの!?
お父様は魔族と人族の未来のためにその誤解を解くためなら、この命を差し出してもいいと……そう仰っていたのにっ!!」
フィリスは、彼女の父がどこか寂しそうにそれを話す姿を何度も、何度も見てきた。
その姿を見て育ってきた。
父の背中はいつも遠くて、追いつこうとも追いつかなかったその背中。
しかし、どれだけ離れていようとも心の温もりは、優しい愛情はいつもすぐ側にあった。
その姿を知っているからこそエイルの言葉にどうしようもなく怒りが込み上げてくる。
「あぁ……。そういえば、あの魔王もそんな事を言っていた様な気がしますねぇ。
まぁ卑しい魔族の言葉なんて聞くだけ無意味なのですぐに殺してしまいましたが。
むしろ耳が腐るので黙って死んでくれればこちらとしては嬉しかったんですけどね」
父の思いを聞こうともせず、魔族の事を卑しいとまで言い切ったエイルに対して、フィリスはもう、際限なく溢れ出てくる怒りを抑え切れなかった。
「あ、あぁぁ、あぁぁぁぁぁぁっ!!」
フィリスは言葉にならないほどの怒りを叫びながらエイルに殴りかかった。
しかし、ハラリとそれを躱されると、殴りかかる為に無防備になっていた左腕をパシッっと掴まれる。
即座に掴まれた手を振り解こうと暴れたが、まるで腕がその空間に固定されたかの様に動かない。
フィリスは後ろを向き、エイルを睨みつけた。
砂煙が徐々に晴れ、初めてしっかりと見ることのできたエイルの姿は、青髪で顔も整っていて体つきもいい。所謂、美青年という奴だった。しかし――
「その目、怖いですねぇ」
そう言うエイルは言葉に反して不気味なほどの笑顔を浮かべていた。
「はあ……もう少し面白い姿を見れると期待していたんですが、どうやら期待外れだったみたいですね。
ギャーギャー五月蝿いのでもう殺してしまいましょうか」
戦う勇気など無かったが、怒りによって思わず殴りかかってしまったフィリス。
だが、その怒りをも吹き飛ばしてしまいそうなほど濃く、冷たい殺気が彼女に襲いかかる。
「ひっ……」
背筋が凍る様な恐怖が全身を駆け巡った。
このままではまずいと生存本能が警鐘を鳴らし、彼女は後ろに下がろうとする。
が、掴まれた左腕が動かないためその場から動くことができない。
「さて、では終わりにしましょう。――《血晶零下》」
逃げる事のできないフィリスにエイルは無慈悲にも魔法を使う。
すると、エイルの手の触れている左腕に恐ろしいほどの激痛がやってくる。
見れば彼女の腕はエイルに触れられているところから次第に凍りついていた。
そう、この魔法は術者が触れている箇所から、相手の肉だけでなく血液をも凍らせるという魔法。
激痛が伴うのは勿論だが、血が凍る事によって全身に血液が回らなくなり、血液が急速に冷やされる事によって死につながってくる。
内側から体が壊されるのだ。
いくら強靭な肉体を持つ魔族、それも魔王の娘であっても、そんな攻撃を受ければひとたまりもない。
「ぐぅ……あっ、あ゛あ゛ぁぁぁ!!」
彼女の顔は一瞬にして苦痛の表情に変わった。
「いいですねぇ。もっと痛がってくださいよ? 楽しめないじゃないです、かっ!」
エイルは追い討ちをかける様に持っていた剣で激痛に悶え苦しみ動くことのできなくなっていたフィリスの胸を刺し貫いた。
辺りを包んでいた土煙はもう無く、狙いが外れる事はない。
心臓は狙われていない。が、どこかの内臓が潰されたのは確かだ。
「かはっ」
堪え切れず、フィリスは口から血を吐き出す。
胸からの出血と凍らされていく体とで、普通ならもう死んでいてもおかしく無いが、彼女は魔王の娘。
タフさは親から引き継いでいるのでまだ死ぬほどの傷じゃ無い。
さらにいえば自動回復能力によって凍らされた血も少しずつではあるが元に戻りつつある。
後数十分すれば動き、戦える様になるだろう。
――勿論それはこのまま攻撃されなければ、の話だが。
「想像以上にタフですねぇ。親譲りですか? まだ楽しめそうですね、素晴らしい!」
エイルはそう言うとさらに剣を振り、腕、足、胸、腹と急所となるような傷は狙わず、がしかし徹底的に切りつけ始めた。
「ほらほら、もっと足掻いて、もがいて、苦しんで下さいよ!」
「ぅあ゛ぁ゛っ!」
傷口が増えるほどに鋭い痛みは増していき、やがて彼女の感覚は麻痺していく。
このままでは確実に死ぬ。
だが、もはや彼女には抵抗する気力など無かった。
切りつけられる度に、反射的に空虚な声を漏らすだけで、他にはもう、何も無かった。
暫くそんな事を繰り返していたが、そんなフィリスに飽きてきてしまったのかエイルはいつの間にか切りつけるのをやめていた。
「はぁ……もう終わりなんですか?」
エイルは一言そう言うとフィリスを壁へと放り投げる。
いらなくなった玩具を放り捨てるかのように。
もう、彼の興味はそこには無かったのだ。
フィリスはなす術もなく、壁に叩きつけられるとその場に倒れ、エイルに頭を垂れる。
まるで、彼女の首を差し出すかのように。
エイルはつまらなそうにフィリスのもとまで歩くと、蹲み込んで彼女の耳に囁いた。
「本当はもっと苦しめながら死なせてやろうかと思っていたんですが、面白く無いのでさっさっと殺してあげましょう。感謝して下さい」
「……」
エイルはそう言うと静かに剣を構える。
狙うは抵抗しなくなったフィリスの首。
どうやら一撃で首を落とす事にした様だった。
フィリスは虚な目でそれを見つめる。
微かに剣先が揺れたように感じた。
その瞬間、静寂に包まれた部屋の中ヒュッと風切音が一つ響く。
繰り出されたそれは狙い通り、フィリスの首を捉える軌道だった。
そして、その刃は――――勢いよく地面に叩きつけられた。
「――なっ!? き、消えた!?」
刃がフィリスの首に触れるゼロコンマ数秒前、彼女は突然何の前触れもなくエイルの視界から消えた。
「は? 転移魔法? いや、魔法の発動の痕跡なんて無い。そもそも転移魔法は阻害してあるはず」
エイルは目の前で起こったあり得ない状況に驚きを隠せなかった。
そして、暫くして彼は冷静になりぽつりと呟く。
「殺し損ねた、か」
その時、彼の笑顔は初めて崩れた。
◇ ◇ ◇
暫く目を瞑り待っていても、剣はフィリスの首を落とす事は無かった。
おかしいな、と思い彼女はふと目を開け、顔を上げる。
(……え?)
するとそこは全く見覚えのない場所だった。
自分の右と左には大きな石の様な物でできた壁があり、後ろには網目上の金属でできた柵の様なものが行手を阻んでいる。
突然起きた不思議な状況に彼女は驚きを隠せずぼんやりとしていたが、突如走った鋭い痛みによってすぐに呼び戻された。
(傷は……そのまま?)
自分の体に傷がある事が分かり、自分がまだ死んでいない事を確認できたが、結局この傷ならば間違いなく死ぬだろうな。と、フィリスは思った。
声を上げて助けを呼ぶために大きな声を出そうと思ったが、喉は血がこびり付き、掠れていて掠れた上手く機能してくれなくて、ただ
「ぅ……ぁぁ」
という呻き声の様な何かが発されるだけで、助けなんて呼べるはずがなかった。
そうと分かったフィリスは残り少ない体力で正面に這いずっていく。
地面には夥しい量の血が擦れてついたが気にするほどの余裕は、もう無かった。
(どこ……ここは?)
正面の大きな道には変な形をした金属の塊の様なものが異様な速さで動いており、建物の様な大きな何かには、夜だというのに所々に眩しく光り輝く何かを見ることができた。
暫くその非現実的で異様な光景を眺めていると、真横にあった他の建物よりも一層光り輝いているところから突然、人が現れた。
その瞬間、フィリスは死を覚悟した。
そう、その建物から出てきたのは人間だったのだ。
この傷ではそう長くは生きられ無いだろうし、酷く体が痛む。
いっそ殺してもらえた方が楽になれるかもしれない。
そう思ったフィリスは血を吐きながらも最後の力を振り絞って声を出す。
「ねぇ、そこの人間。私を、殺してもらえないかな?」
私の言葉に気づいたのかその人間は私の方を向いた。
そして、その顔が恐怖に染まった。
(ああそうか、本当に私は恐れられているんだね。私たちの思いなんて、意味なかったんだ。初めから間違ってたんだ)
彼女は他人事のようにそう、漠然と感じた。
「さあ早く、早くしてよ人間」
フィリスの言葉を聞いた人間は、ものすごく必死そうな顔で彼女の元へやってくる。
「君、大丈夫!? って、大丈夫な訳ないよね!? 今すぐ救急車を呼ぶから、それまで頑張って耐えて!!」
「は……?」
(大丈夫か、だって? まるで私を助けようとしている様な口ぶりで……希望を持たせてから陥れたいの? それとも本当に……?)
「もしかして、お前は私のことを知らないの?」
目の前の人間はそんな私の問いかけに対して何も答えずに、握っている謎の黒い板の様なものをパカッと開き何かをした後、耳にあて、何やら話し始めた。
その間、フィリスは目の前の男が一体どれだけものを知らないのかと呆れていた。
暫くして、男はその黒い物体をズボンの中へしまうと、自分の着ていた服を脱ぎながら
「誰か!! 誰か!! 助けて下さい!!」
と、大声で叫んだ。
フィリスは目の前の人間が何をしようとしているのか全く分からず困惑していたが、目の前の人間はそんなことお構い無しに彼女の着ていた服の上から剣で刺し貫かれた所辺りにどこからか出した白い布を被せると、その上から脱いだ服を縛り、圧迫しだした。
「人間、お前は何を……?」
「何って! 応急処置だよ、見てわからない?」
「え……? あぁ無駄だと思うよ、この傷じゃそんなものあってもなくても変わらない」
(もっと苦しめるために、生かしておきたいってことなのかな。そっか、でもよかった。きっともう死ぬから)
全身を切り裂かれていて、胸には穴が開いており、左手は血液ごと凍っており動かすこともままならない。
「私は今まで城に籠りきりだったけど、見てきたんだよ。昨日まで優しく接してくれていて、明日も一緒にご飯を食べようって約束した仲間が殺されていくのを。……それも、何人も」
(そして、その誰もが今の私のようなどうすることもできない傷を負っていた。みんな私を逃がすために死んでしまったんだ。
なら、もう私も死ぬしかないんだ)
「もう疲れた。私は生きてるだけで罪なんだ。だから、もういいよ。早く私を殺して」
「……はぁ? 嫌に決まってんだろ、何勝手に諦めてんだよ。一つ言わせてもらうとね、君が何十何百とそういう人の死を見てきたというなら、僕は何千人と助かって帰っていく患者を見たよ。
生きることを簡単に諦めるな。死んでいった奴らに失礼だと思わないわけ?」
「っ…………!!?」
何処の馬の骨とも知らない人間の言葉。
いつもならそこまで気にかけることもないだろうが……この時ばかりは違かった。
彼の訴えが、フィリスの胸に響いたのだ。
「……できるの?」
気づけば彼女の口からはそんな言葉が出ていた。
彼女自身、なんで自分がそんなことを言ったのか分からない。
だけど、目の前の男はそんなフィリスに対しただ一言、「ああ」とだけ答えた。