召喚3
3
日本語が通じたことから、悪魔とのさらなる情報交換をしてみようと試みたのだが、紅依奈が
「リビングでお茶でも飲みながら話たら?」
と提案してきたので、一階に移動することとなった。
しかし彼女は「お茶入れてくるね」と言い残してキッチンにすぐ去ったので、ひとまず悪魔にはリビングにおいてあるコの字型のソファーに座るよう促した。
彼が座ったのを確認した後、自分も彼と対面になるように座る。
急に二人きりになったことに少しばかり不安を覚えながらも、初見からかなり時間がたっているせいもあり、脳は冷静さを取り戻していた。
改めて明るいリビングで彼のことを見てみると、これがどこかのテレビ番組のドッキリではないことが、はっきりした。
もちろん彼の美貌もなかなか現実離れしている。しかし注視すべきは彼の服装だ。
黒いズボンにコートそして赤いインナー。このように説明すれば、いたって普通の服装(6月にしては厚着すぎるが・・)に見える。
しかし彼が着ている黒いコートには何か違和感を覚える。少し横にずれてみたり、多方向からみてわかった。
彼のコートには《影》がないのだ。
どの方向から見ても1枚の真っ黒な折り紙をコートの形に切り抜いたように純粋な黒1色。
極めつけは首元。
顔の影が首には落ちているのに対し、コートの襟には落ちていない。
これはどういうことかとまじまじ見ていると、この空白の時間に耐えかねたのか向こうから話しかけてきた。
「君が俺を召喚したのか?」
声がしたほうに視線を上げると彼の瞳と目が合う。
「そうです。」
彼の問いに返事をしつつも彼の顔から眼をそらしてしまう。
しかし彼はそんな行動を一切意に返さないで話し続ける。
「さっきの女の子と君のどちらが召喚したのか気になってな。」
そして彼は笑顔で片手を差し出してきた。
「俺の名前はクオン。よろしく」
なるほど彼がいた世界でも握手の文化はあるのかなどと思いつつ、彼の右手を握り、自らの名を口にする。
「俺は関谷陵魔です。よろしくお願いします」
二人の手が離れた瞬間、再度二人の周りを静寂が包む。
しかし一つだけ聞いておかなければならないことがある。
意を決して陵魔は口を開いた。
「えっと、一つお尋ねしたいのですがクオンさんは悪魔ですか?」
そう、この確認は必要不可欠なのである。相手が何であるか確認しないとうかつに言葉を交わすこともできない。
「人間だよ。多分陵魔たちと同じ」
ひとまず目の前の美少年が人間だとわかったことに安堵のため息をついているとクオンがさらに話し続けた。
「それで陵魔はなんで俺を召喚したの?まあ、たぶん世界の危機を救ってほしいとかだと思うけど…」
「いや、いたって平和ですけど」
この世界いや敢えて地球と言い換えれば確かに飢餓や貧困、紛争などで苦しんでる地域がある。
しかし自分が住んでいる地域は、地球の中でも一二を争うほど平和だし貧富の差こそあれど、食に困っている人はほとんどいないだろう。
つまるところ陵魔が生きている小さな世界《日本》はイケメンの救世主は必要ないと思える。
「じゃあこれから何か起きるのかもな。」
驚きの言葉に彼を見るが、クオンの表情はいたってまじめでふざけているようには見えない。
「なんでそんなことが分かるんですか?」
と聞き返すと、
「これまで世界を救うために幾度となく召喚されてきたからさ。いわゆる英雄ってやつだよ。」
なるほどクオンが極度のナルシストか、もしくは能はあるが爪を隠すことを知らない残念な鷹だということが分かったと言える。
「つまりクオンさんは今までもいろんな世界に召喚されて世界を救ってきたってことですか?」
「そういうこと。」
おとぎ話のような話に俺の心は過敏に反応した。
戸惑い、疑念、恐怖、様々な感情が心からあふれ出る。
しかし今一番俺の心を震わしているこの感情は歓喜だ。
俺は一つあることを確信した。
世界には、今にも餓死しそうな人、戦争・紛争などの理不尽な暴力に苦しむ人、差別により生まれた時から自由がない人、様々な人が俺より苦痛を感じて生きているだろう。
数字で見ても俺より苦しんでいる人のほうがこの世界に多いだろう。
それはそうだ。この先進国日本の中でも裕福な家庭に生まれ、中1で母を無くしたとはいえ衣食住には全く困らず、毎日自由に学問が学べる。
しかし常に思っている。
俺の苦しみを理解できる奴はいるのかと。
道徳の授業や歴史の授業によく出てくる、差別・暴力・飢餓・・・様々なことに対してその状況を解決しようと立ち上がる者たちがいる。
それは、農夫だったり、牧師だったり、看護師だったり、多種多様な職ではあるがその英雄的行動によって歴史に名を刻まれた者たち。
その授業を受けるたびに、彼らが受けた理不尽な仕打ちに胸を締め付けられる。
二度とこんなことを繰り返してはならないと。
しかし同時に、この本に出てくるどんな奴らにも俺の苦しみは理解できないと思ってしまう。
そして先進国の子供という理由で強制的に、弱者を支援する立場に回されている。
先進国の子供も途上国の子供も互いに相手の苦しみを知らないのにこちらだけ背負わされる。
つまり簡単に言うとこういうことだ。
誰も俺の悲しみを理解できず癒すこともできないのであれば、俺がこの世で一番不幸なのではないかと。
クオンが、俺の傷を癒してくれるのか、それとも意味を与えてくれるのかはわからない。
それでも英雄譚の主人公のようにここから俺の人生が激動することを確信した。