召喚1
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6月下旬の夕方。季節通りの雨が降りしきる中、高校2年生十六歳の関谷陵魔は、自室にあるデュアルディスプレイのパソコンを操作しながら動画配信の準備をしていた。
動画投稿を始めて三年近く経つ。
今ではもう羞恥心や恐怖などはないに等しいが、時々何故自分が動画投稿を始めたのか考えることがある。
なぜ自分は動画投稿を始めたのだろうか?
その理由は中学時代のむず痒い記憶に起因する。
当時思春期特有の病を発症していた俺は、いったい自分は何者なのかという問いに、ついての答えを得るために様々な本を読んでいた。
そんなある日一つの文章が目に飛び込んできたのだ。
【アイデンティティ(自我同一性)は、周囲の人間の認識によって形成される】
というものだ。
高校生になり、現代社会の授業で青年期の精神の発達に少し触れた今となっては、何も考えず他人に丸投げするという行為に意味はなく、根本的に意味を読み違えていたことに気づいたのだが……
しかし、当時の俺はインターネットという無限に広がる世界に自分を晒せば不特定多数が見てくれるのではないか?
そしたら誰かが自分は何者なのかという問いの答えを教えてくれるのではないか、という淡い期待を抱いていた。
いや、無意味だとわかった今でも動画投稿を続けているのは、おそらく無意識下に求めているのだろう。
たった一人でいい…自分に意味を与えてくれる誰かを。
しかし現実は、そんなに甘くなかった。
正直舐めていたと言っていい。
アイドル的な人気を誇る有名動画投稿者も自分のように何もないから、芸能界などの舞台を目指さずに逃げてきたのだと思っていた。
しかしそれは違った。
彼らは、容姿や、企画力、などの自分の強みを明確に理解し、絶え間ない努力をしている。
普通に考えればわかることだ。彼らは、企画担当・演者・編集担当、などなどテレビ局の番組制作における全行程を自身で全て引き受けているのだ。
総合的な能力で考えれば、一流の芸能人と変わらないと言えるだろう。
学生が遊び半分でやってどうにかなるものではない。
そんな物思いにふけりながらマウスを転がすと、そこには陵魔のチャンネル情報が表示されていた。
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⊡ミステリアス・リョーマの検証チャンネル
・このチャンネルは降霊術や召喚術などのオカルト的な実験を生配信でお送りします
(アーカイブ残ります):月一配信
チャンネル登録者数124人
総再生回数3051回
動画投稿本数34本
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これが陵魔のチャンネルの現実、いや見切り発車で始めた底辺動画配信者の現実と言い換えてもいいだろう。
チャンネル登録者数のほとんどは同級生であるし配信をリアルタイムで見ているのはせいぜい15人くらい。
当初は同級生が動画投稿を始めたという話を聞いて70人くらい集まっていた。
しかし徐々に興味が薄れていったのだろうか?視聴数はみるみる減っていった。
陵魔は机に置いてあるノートを手に取る。
いつもこのノートにどのように配信を進めるか細かく計画しているのだ。
もちろん自分とはなにかを求めて配信をつづけているのに、台本という一種の社会的仮面で自分の弱い部分を隠し、他者を演じているという矛盾には、彼も気づいている。
それでも今日も配信ボタンを押す。
〘みんなーこんにちはー今日も元気に配信しようと思います。今日は友達から教えてもらったこの召喚術を試して見ようと思います。〙
配信しているとき、パソコンには自分の顔が映る。それは俺の顔を見つめ語りかけてくるように見える。
嫌いだ。起きること全てを周りのせいにして己を甘やかす自分が
〘えっ、何を召喚出来るか気になる?これはね、最上位の悪魔を召喚できるの!〙
嫌いだ。失敗を恐れ行動せず。成功もしなければ失敗から何かを得ることもなく。成長できない自分が
〘用意するのは白い紙と鉛筆だけ。まずはこの白い紙に魔法陣を描きます。そしたらここに血液を一滴たらすだけ〙
嫌いだ。自分を好きになれない自分が
〘では召喚します〙
机上に置いてあったデザインナイフを手に取り、左手の中指に刺す。
わずかな痛みを感じながらも、血を垂らすためにもう片方の手で指を圧迫する。
このまま身体からすべてが流れ出て自分という存在が痕跡もろとも消えればいい。
初めから全てが無かったことになれば……
指から一滴、赤い雫が落ちる。
とめどなくあふれ出る様々な感情の思考は、目の前で起きた不可思議な現象により突如遮られた。
一滴しか垂らしていないはずの血液が魔法陣全体に広がり、発光している。
驚いているのもつかの間、雷のような爆音が轟き、パソコンの画面が消え、雰囲気づくりのために置いておいた蝋燭の火も同時に消えた。
雷が家に直撃したのかとも思ったが違った。魔法陣を置いていた机が真っ二つに割れてそこに何かが立っている。
本当に悪魔を召喚してしまったのかと目を凝らすがよく見えない。
とにかく離れようと思い立ち上がろうとした瞬間、部屋の明かりがついた。
俺の瞳に映ったのは、角の生えた醜い悪魔ではない。
漆黒の髪、血より赤く透き通った瞳、そして漆黒の髪より黒く暗い闇色の外套を着た少年だった。