Why do you need...?
心から謝りたいことが、誰しもある。
秘密の一つや二つ、絶対にバレてはいけないような秘密を抱えている人は少なくはないだろう。
正直に打ち明けたところで、誰も幸せになることはない。
だからこそ口を開かずそのままにし、いずれバレてしまうその時を静かに待つ。謝りたい、申し訳ないという気持ちを抑えて。
愚行であると心から理解した上で、継続して口を紡ぐ。
正確には、時が解決してくれると願って眠り、明日を迎えることの繰り返しなのかもしれない。
「明日への恐怖で眠れない」
彼自身の自業自得と言えばそれまでではあるが、自分のしでかした事の重大さに気付くまで、時間がかかり過ぎたのである。
彼は大学を辞めた。
理由は幾つかあるが、決め手となったのは金銭面の不足である。
教授や講師との不仲が原因で早くも留年が確定した彼は、両親と相談した。大学を留年するだけでも愚行ではあるのだが、両親は苦い顔をしつつも承諾する。ただし、自分で学費を稼ぐという条件付きで。
これを満たすためには30万円を自分の手で稼ぐ必要があった。
アルバイトの時間や日数を増やすことで、どうにか半年間で達成することができた。
しかし、この30万という数字は誤っていた。
留年時は、卒業までに必要な単位数に応じて金額が加算されてしまうというシステムの穴に気付かなかったのである。実際はその倍以上の額が必要となっていた。
彼は逃げた。
こういう時の行動だけは凄まじく早い。別に明日のことや将来のこと、罪悪などを考えていたわけではない。
ただ、こうするのが最善だろうと考えて行動しただけのこと。
思考は自然と、とりあえず逃げる方向へと進んでいた。
退学前の面接にて、唯一世話になった教授には「大学を卒業するから偉いってことは無いと思うよ。決して」とフォローを頂く。この言葉を彼は決して忘れることはないだろう。続けて教授は、教える立場の人間が言っていいことなのか分からないけどねと笑っていた。
無事退学願を提出した彼は、晴れて自由の身となった。
自分自身の選択によって、行動を決めることができる最高の環境が出来上がった。
アルバイトだけは辞めることなく続けたらしい。
自由のためにはお金が必要であると理解していたためである。
私は彼を馬鹿だなあと思った。
自由なようで自由でない生活が始まっているという事実に何故気が付かないのか。
両親は退学の事実を知らない。
となると、必然的に彼が大学へ行っている程で事は進んでいく。
嘘に嘘を重ねる時間が始まるということである。
両親は共に仕事であるが、時折ランダムな時間で帰宅してくることがある。
そのため、常に家へ籠るわけにもいかない。
時間を見計らって外出して、明らかに帰ってこないであろう時間に戻る。
そんなルーチンのような、いつ崩れるかも分からない、切れかけの橋を渡るような生活が始まった。
半年間は、家族や世間の中では「学生」の仮面を着けていなければならなかった。
その半年後に「社会人」になっていれば何も問題はないと、そう思っていたらしい。
実際、彼は日に日におかしくなっていった。
ひと月過ぎる頃にはもう目に見えて不安定であった。
別に薬に手を出しただとか、危ない注射をしたという訳ではない。
ただ、そのルーチンのような日々がいつまで続くのかということに恐怖を感じ、日々悪夢にうなされるようになっていたのである。
その姿を両親、特に母親が不自然に感じない訳がなかった。
家に一度帰宅する頻度が異様に増えていることに彼も気が付いた。
その時は決まって和菓子やフルーツが置かれているから分かりやすい。
それでも、両親が問い詰めてくるということは決して無かった。
出来るだけ疑いたくないということなのか。それとも泳がせていたのか、それは分からない。
2ヶ月経ったある日。
些細なことが原因で、彼の退学騒動は幕を閉じることとなる。
それは、年金機構の人が家にやってきたことだった。
その際に彼は不在だったため、結果的に両親が受けることとなった。
彼が帰宅した後で、自室の机にメモが置かれていた。
『学生証のコピーが欲しいんだってさ』
彼は自由な日々にピリオドを感じた。当然、学生証などとうに返還してしまったのだから。
それと同時に、失ってはいけない何かを失う気配すら感じた。
ここで翌日辺りに役所へ行き、年金控除の申請をしていたのなら、彼は違う道へ進んでしまっていたのかもしれない。しかし、彼は混乱してしまい、そこまで頭が回らなかった。
それが希望なのか、それとも破滅なのかは分からない。
ただ、ここで彼は正直に事を打ち明けた。嘘で塗り固められた生活を正直に話した。
当然ではあるが、事が重大であるだけに説教で済む訳がない。
ただ、そこで正直に話した彼は嬉し涙を流していた。
「やっと救われる。こんなつらい生活を脱することができるんだ」
この言葉を聞いて、母親は少し笑顔になった。
その後は散々説教をされることになったが、それでも彼の表情は曇れど、心は晴れやかなものに変わっていくのを感じた。
両親はやはり彼を心配してくれていたのだ。
厄介払いをされるのではないか。扱いが変わってしまうのではと、心の奥底で抱えていた悩みは吹き飛んでいったことだろう。
その後、彼は母親の協力のもと就職先を探し、縁あって翌月に入社を果たすことができた。
何事も正直に言った方が、上手くいくものなのかもしれない。
これから彼は、両親や支えてくれた身内への感謝を忘れることなく孝行をしていくことだろう。
もう決して、彼が嘘を吐くことはない。
この物語はフィクションです。