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#3.2 三つの魂

施設を出てからの6ヶ月間、俺は夢の中を彷徨うように日々を傍観していた。彼女と一緒に暮らしながらも、それが彼女だと分かるまで3ヶ月、俺が一日中、何もせず向日葵のように、部屋に差し込む日差しを追いかけるのを止めるまで1ヶ月、そうして日が暮れると彼女が部屋から居なくなるのを不思議に思っていた1ヶ月、彼女が家に帰ってくるのを夜明けまで待ち続け、言葉を話せるようになるまでの1ヶ月。そうして俺は夢から覚めることが出来たようだ。


彼女は日が暮れると出かけ、深夜遅くに戻るというを生活をしていた。それは生活を支えるための仕事であったのだろうが、それがどんな仕事であるのかを一度も聞いたことがない。それは俺に聞く勇気が無かったからだ。


だが、正気に戻った俺が最初に考え優先したのは、彼女の仕事を辞めさせることだった。それが叶わなくても、せめて夜ではなく日中の仕事をと思い、俺の社会復帰を急いだ。


まだ、大きな声や音、そして暗闇や強い光など極端な環境変化には体が順応していなかったが、記憶の限りでは変わってしまった彼女の風貌や笑顔の絶えた生活から抜け出すべく、身も心も奮い立たせたものだ。


しかし、3年の月日で何もかもが一変してしまったように、その時頼りになるツテを持っていたわけではない。そこで、取り敢えず以前の職場を訪ねたが、その会社ごと無くなっていた。人に聞けばそれも3年前程になるという。それを聞いて、全ては俺が引き金になったのかとも思ったが、今更どうしようもないことである。そうであるかも、そうでないかもしれないと、あれこれと悩んだところで真実はどこにもありはしない。


暫くの間、職探しに奔走したが、どこにも俺を雇いれてくるとこは無かった。これでとうとう、本格的にヒモ生活かと諦めたところで、以前の職場の先輩と遭遇し、そのツテを頼り、なんとか職を得たというわけである。これを強運と見るか偶然とするかはまだ結果が出ていない。


こうして働き始めることが出来たが、それでも彼女は夜の仕事を辞めるつもりはなく、頑なに拒みもした。俺からすれば、せっかく大学を出ているのだから、それを活かせる仕事に、彼女なら就けるはずだと思えたが、本人がその気ではない以上、俺にはどうすることも出来ないでだろう。


俺が働き始めると、同じ家に住みながらもすれ違うようになった。それもそのはずで、俺が仕事を終えて帰宅しても彼女は仕事に出たばかりである。そして俺が寝た後に彼女が帰宅、彼女が寝ていいる時に俺は出勤である。果たしてこれを一緒に暮らしていると言えるだろうか。


俺が彼女を『死にたがりの彼女』と呼ぶようになったのも、この頃からである。それは、彼女の口癖が「死にたい」だったからだ。勿論、それは冗談か生活の疲れからくる何かの比喩だと思っていたが、それを真面目に話し合ったこともある。しかし彼女の口癖が変わることはなく、いつしか俺もそれを聞いても「またか」と思うくらい、日常的なものだった。



時は戻り、施設の塀の脇を歩きながら夜空を見上げる俺たちである。普段、空を見上げることなど滅多にないというのに、こういう時に見上げてしまうのは何故なのだろう。そして、瞬く星を見ると昔のことを思い出してしまうのは何故だろうか。星は遥か遠くにあるというのに。


いつの間にか親友の前を歩いていたが、どうしても言っておきたいことが頭に浮かんだ。だが、それを口にしてよいものかどうか悩んだが、それは抑えきれなかったようだ。


「彼女が昔、言っていたことがある」

俺の言葉に何か言いかけた親友は、そのまま黙って続きを待っているようだった。


「私は、三つの魂を持っている、と」

「三つ? か」


親友は俺の言っていることの意味が分からないまでも、それをそのまま受け取ろうとしたのだろう。それ以上、何も言うことはなかった。


「一つは、自分の中にあると。まあ、それは分かる。

そして二つ目は俺が持っていると。俺が彼女のことを覚えている限り、記憶の中に私はずっといるはずだと。それを聞いた時、それはそうだろう、俺が彼女を忘れるはずがないからなと思った。

そこで俺は彼女が答えを言う前に三つ目を考えた。でも、どう考えてもそれらしいものの見当がつかない。俺と彼女、それ以外の者が彼女の魂を持っているのか、一体それは誰なのか。

そして俺は分かった気がした。でも、それを口にする勇気がなく、分からない振りをしたんだ。そんな俺に彼女は呆れたか、もしかしたら不安に思ったことだろう。

彼女の言う三つ目とは俺たちの子供のことだ。まだそんな気配さえない頃だったから、俺も何時かは父親になるのだなと思ってはいたが、覚悟が全然、彼女とは違っていたんだな。

それで子供の中に私の魂が芽生えて育っていく。それを私たちが見守っていくのだと言っていた」


思わず一気に話してしまった俺である。それをそうであると聞いていた親友ではあるが、そこに小さな疑問が湧いたのだろう。この話に続きはあるのだが、その先を話してよいものかどうか、いや、それを話さないでおくことが出来るかどうかが問題だと思った。


「そういうもの、だろうな。彼女らしいと言えばらしい。確かにお前が居れば彼女も『居る』ということだろう。俺も忘れはしないさ」


親友が良い方向に理解してくれるのは嬉しい限りである。しかし、俺の思いと違うことは訂正しなければならないだろう。それにだ。


「俺にも三つの魂があるんだよ。それを言おうかどうか悩んだが、もう、お前とは会えない気がするから、誰かに言っておきたいんだ。俺一人で抱えるには大き過ぎるんだ。俺の弱音を聞いてくれないか? 嫌な気分にさせるだろうが」

「何を、今更なんだ」


親友は間を置かずに言ってくれたが、どこまで分かっているのかは見当がつかない。おそらく、いや、きっと俺の言うことを聞いたら後悔することだろう。しかし、俺には自分が抱えているものを少しでも軽くしたいというワガママがあった。でなければ、このまま歩き続けることは出来ないだろう。しかし、それさえも萎縮してしまう俺である。そんな思いが顔に書いてあったのか、親友が話し始めた。


「俺が聞かなければ誰が聞くっていうんだ、見損なうなよ。何を聞いても俺の味方が変わることはない。

それにもう過ぎたことだろう、全部、吐き出してしまえ。そして置いて行け、嫌なこと全部だ。でなければ……辛すぎるだろう。お前が少しでも楽になるのなら、少しは俺にも背負わせろよ、な」


親友の言葉には身にしみるものがある。しかし、それでも踏み出せない俺は……踏み出す代わりに吐き出したようなものである。


「俺たちには、子供がいた、居たはずなんだ。

ああ、飽くまで俺の予想なんだが、彼女は妊娠していたのだろう。それを俺には言わないで、その、産婦人科に行ったのだと思う。そして確認してから俺に言うつもりだったのだろう。それが俺が拉致られた日なんだ。そこまでは調べることが出来たんだが、飽くまで噂レベルだけどな。

それで、それで、彼女は病院からどこかに連れて行かれたのだろう。何がどうなったかは彼女を見ていれば、見ていた俺には分かる、多分。

だから彼女は夜の仕事を何時までも辞めなかった。それは、それは、汚れた自分が許せなかったからだろう。拭いきれない過去をずっと一人で(まと)っていたんだ。

そしてもっと悪いのは、それを知っていた、というか気づいていながら、それを確認しなかったし、それは、それは、何もなかったことにしたんだ! 俺は。

だから、彼女は、何時も、口癖のように『死にたい』と言ったんだ、言ってたんだよ! 俺は、それを、耳を塞いでいたんだ。本当のことを聞いたら知ったら、俺が、俺自身がどうなるか分からなかった。そうだよ、逃げて逃げて逃げまくったんだ。とんだ馬鹿野郎で意気地無しなんだよ、俺って奴は!」


酷いことを言ったと直ぐに後悔の波に溺れそうになったが、どこかで、どこかが楽にもなった気分も感じている。しかしもう、抱きしめることの出来ない彼女を思っては夜空を見上げようにして泣いた。


気がつけば、その場で立ち止まっていた俺たちである。人生の後半で醜く泣きはらしたところで何が変わるわけではない、なあ、と親友の方に振り向くと、一緒に泣いてくれたのはいいが、絵にならない光景である。


言いたいことを言い放った俺が、とやかく言えたものではないが、過ぎ去った過去をいくら思っても仕方がないことだ。俺としては親友に言えただけでも幸せなほうだろう。その親友は、まるで自分のことのように心を痛めたに違いない。


「お前、ここから逃げろ、今すぐだ」と、ちょっと他の人には見せられない顔で言う親友である。だが、そうもいかない事情というものがある。


「この先は天国かもしれないし地獄かもしれない。けれどなあ、俺が逃げたら、お前に迷惑が掛かるじゃないか」

「だから俺は、」

「見ろよ、塀の上にもあっちにもカメラだらけだ。それに俺はスター並みに監視されているんだよ……立ち止まることは出来ないんだよ」


それを最後に俺たちは話すこともなく歩き続け、そして施設の門にやってきた。硬く強硬に閉じられた出入り口、その脇にある小さな建物には守衛だろうか。そしてそこに面している道路には俺たちが乗ってきた車が止まっている。その中では多分、例の運転手が不平を漏らしていることだろう。


ここが終着点であり親友ともここまでである。この先に待ち受けるのは謳い文句の通りなのか、それとも生きては出られない開かずの扉なのか。それは入ってみるまでもなく明白なのだろう。それをわざわざ自分から飛び込んでいくなど正気とは思えない。それでも、どこかで騙されてみたいとう気持ちが無い訳でも無い。最後の最後に、全てに報われる事が起きないだろうか。そこはやはり、完全には否定できない甘さがあるからだろう。


「送ってくれて、ありがとう」

それ以上、もっと何か、この状況に相応しい言葉を言いたいところだが、生憎と浮かんではこない。その相手である親友も、何か言いたそうだが、それは堪えているというよりも俺と同様、言葉が見つからないのだろう。やっと、絞り出すかのように、


「生きろよ、絶対に、生きるんだ」と、これが最後の別れのようなことを言う親友である。それを聞いて、本当にそれはあり得るのだろうと、今更ながら気付いてします俺である。それを誤魔化すかのように許可証のような紙切れを取り出し、守衛のような人に渡すが、それは不機嫌そうに対応する人である。それだけで不安が募るというものである。今更ながらこの場から逃げ出したい気持ちに駆られる。


小さく開けられた通路を、またここを逆に歩けるよな、と言い聞かせながら、振り向かず歩き通る。そして静かに閉まっていく扉は、最後は大きな、そして不細工な音を立てて閉まる。それが何だかとても情けない音に聞こえて仕方がない。


「また、会おう。約束したぞ」

「ああ、約束だ」


ここは昔、日本と呼ばれた日本自治区。日本人が多く住み、その数は9000万人と言われ、平均寿命は男女共に85歳を優に超えている。しかし実際には日本人同士が出会う機会はとても少なく、高齢者を見かけることは、無い。

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