#2.2 途切れた歴史
さて、取り敢えずというか、例の彼女とはそれっきりである。同じクラスとはいえ、接点を持たない俺には突風が吹いたような偶然でしかない。その代わりなのだろうか、しょっちゅう俺のところに顔を出すようになった親友である。そうして気がついた頃には本当に親友と呼べるような仲になったのだが、どうしてそうなったのかは、昔のことなので記憶に無い。
しかし、こうして親友が親友と呼べるようになったが、この親友が俺にもたらしたのは、それだけではなかった。いや、こちらの方が本命というべきだろう。仲の良い友人なら、休日ともなれば一緒に遊びに行ったりもするだろう。勿論、俺たちもそうであったのだが、親友との待ち合わせに、なんと彼女も一緒に来たではないか。
でも、その時は思ったものである。親友と彼女が連れ添ってやって来る、その意味が何であるかなど、いくら鈍い俺でも分かるというものだ。彼女の姿を見た瞬間、小躍りしたい気分だったが、それは直ぐに反転し、落ち込む気持ちを隠すのに必死だった俺である。
しかし、しかしである。この親友という奴は俺の心を読むことが出来るのか、それとも超能力者なのか、それとも俺の顔に書いてあったのか知らないが、そっと俺の耳元で「誘ってみたら来たんだ。来るとは思っていなかったから驚いたよ」と囁くのである。
しかし、しかしである。それは親友が誘ったからではないのか、お前のその厳つい顔も、見る人によってはイケメンに写るのではないか。それに彼女は、変わった趣味をしているのかもしれない、と考えた。
しかし、しかしである。またまた俺の疑惑を察したのか、「来る途中、ずっとお前のことを話してたんだぞ」と俺を唆す親友である。そんなことに騙される俺ではないと心を落ち着かせたが、体が勝手に踊りたくなったのを必死で堪えた俺である。
こうして3人で街中を歩き、俺も何か気の利いた会話でもと意を決して彼女に話し掛けようとした時、逆に声を掛けられた俺である。しかしそれは彼女ではなく、親友でもなく、厳しい目つきをした男だった。
そしていきなり俺の携帯電話を見せろと、少し低めの声で言ってくる。それは、どう見ても考えても警察の関係者らしい。ここでそんなものは持っていないと言うことは出来ない。何故なら、それを拒否した者がどこかに連れて行かれたと噂に聞いたことがあるからだ。もし、本当に携帯を持っていなくてもその場合、持ち物を全て調べられ、どのみち連れて行かれるらしい。要は、それらしい人からの要求には逆らうな、ということだろう。
俺は大人しく携帯を渡したが、その場にいた親友と彼女も、強張った表情で成り行きを見るだけである。そうして携帯を受け取った男は慣れた手つきで、あれこれと調べた挙句、無言で携帯を返し、そして何も言うことなく去って行った。
その間、3人は黙って男のすることを見ているしかない状況だったのだが、それは権力に威圧され、抵抗することなど考えられないくらい心情的に屈服されたようなショックを受けたと記憶している。
更に携帯を調べられたのは俺だけであり、他の2人には見向きもしなかった。それは最初から俺たげに狙いを定めていたからだろう。そして携帯の何を調べたのか。それはおそらく通話履歴を見て、日本人同士で連絡しあっていないかを確認したのだろう。それも名前だけではなく電話番号からも判断していると思う。それが一見しただけで分かっているようで、要するに全てが監視しされている、ということだろう。
俺が休みの日にどこで誰と会い、どこに行くのか。これが芸能人の追っかけでも迷惑だろうに、いち学生の俺のことまで監視、調査しているとは呆れるほど迷惑であり、同時に恐ろしさを感じずにはいられない。それは、突き詰めれば俺という存在が社会から危険視されている証なのだろう。それは今でも変わらず続いていることである。
せっかく3人で出かけたのはいいが、嫌な記憶ばかりが残り、その後どこに行って何をしたのかは思い出にもならなかったようだ。
しかしその後、何がきっかけになったのかも覚えていないが、結果的に俺と彼女は付き合うようになり、そのせいか親友とは次第に疎遠となったと記憶している。しかし俺にとって親友はそれ以上の存在として今でも揺るぎない信頼を寄せている友である。
◇
ある日の夜、自宅で明日の準備をしようと鞄に教科書などを放り込んでいる最中、自分の物ではない本があることに気が付いた。それが何時からあったのかは分からないが、白い表紙の薄い本である。
そう、薄いといえばそれはアレを指していることは明白である。多分、誰かからのご褒美であるのか、それとも回し読みをしているのか。そうなると次は誰に渡そうかと、野郎たちの顔が思い浮かぶ18歳である。
思えばまだ彼女とはキスもしていないウブな俺である。そんな俺を気遣い、未知なる世界への道案内にしろ、という応援かもしれない。よって眠い頭は覚醒し、どんな事実でも受け入れる覚悟を決めた俺である。早速、未知への扉を開くが、あくまでもこれは借り物である、丁重に扱う必要があるだろう。
表紙をめくるとそこには、最後まで読み終えた後に当書を燃やか、細かく裁断して破棄しろと書いてある。が、一度眺めた程度で捨てられるはずがないだろう、と思ったが、それよりもこれは相当ヤバイ代物であることが伺えるではないか。
更に前書きは続き、この本は一人で読めとある。周囲を確認し、誰にも、そして親でさえもこれを読んでいるところを見られてはいけない、危険であると書かれている。
ということで期待を爆発させながら次のぺージへ、となるが、どう見てみも裏返しても文字ばかりである。では、アレ系の物語かと少々、いや大いに残念に思ったことは覚えている。
では、中身を紹介しておこう。但しうろ覚えなので要約している。
◇◇
「本来はこれを『日本語』で書くつもりであったが、今現在において『日本語』が読める人が少ない状況であるので、通常の言語で書くこととした。
その『日本語』とはそのむかし、日本という国があり、そこで使われていた言語である。但し、日本という国、すなわち日本国は現在の日本自治区と等しくはない。北は北海道から現在の東海省の全域、沖縄を含むまでの領域が『日本』であった。
ではそれが何時から、どのように日本が日本でなくなったのか。時期については諸説あり、はっきりとしないが、おおよそ100年くらい前だと考えられている。
まず事の始まりは、大陸の一部地域、そこに分断されてはいたが、それぞれ独立した国家があった。その地域が地域が突然、統一を果たした。これを世界は驚きを持って傍観したが、まずいことに、統一を嫌った人たちが難民となって日本の山口県に押し寄せた。
これを日本の政府は拒否するかと思われたが、意外にもすんなりと受け入れしまった。それは政治的に大陸の意向を持つ者に支配されていたからに他ならない。そして大量の難民は沖縄県と北海道に振り分けられ、山口県には臨時政府が建てられた。
それぞれの出来事は数年の開きがあるが、歴史的時間軸で見ればそれはほぼ同時に起こったと言っても言い過ぎではないだろう。全ては連続し、関係し合っていたからである。
時を置かず、この混乱の中、突如、沖縄県と北海道が独立を宣言。これにより混乱に拍車がかかり日本中が騒乱状態となる。そして沖縄県が独立、北海道は宣言したままの状態になった時、大陸の一部で統一された地域が大陸側に飲み込まれるように一体化した。
こうして一気に動き出した大陸の政府は、独立した沖縄県を併合、そのまま北上する形で東京までの地域を東海省として占領、その先を日本自治区として定めた。そして北海道は日本自治区に含まれたが、現在そこに日本人は誰も居ないとされている。
こうして『日本』という国は消滅し、日本自治区にその名を残すのみとなった。
では、こうした事態で戦争は起きなかったのか。その答えは『起きなかった』と言える。それは殆ど全て言って良いほど合法的に行われたからだ。
政治家の殆どが大陸に忠誠を誓い、それぞれの場所、それぞれの地域で地位を獲得、法律を変え新しくした。それにより、これらの事態は諸外国には日本の意志として見えたことだろう。
当時の安全保障では、自国を守らぬ日本に対して力の行使は有り得ず、安全保障を破棄して撤退。その代りに大陸の軍が歓迎されるかのように入れ替わった。そして当時の日本政府は皇室を伴ってハワイに避難、そこで亡命政府を立ち上げるも、情報を遮断された日本ではその存在を知る日本人は少ない」
◇◇
薄い本を読み終えた俺は、これが真実なのかどうか確信が持てなかった。何故ならこれらの事を裏付ける物はどこにも無く、また調べようもないということだ。それは年月が経った今でも変わることはない。
海外からの情報は全く入らず、各種メディアも語らない。そして教科書とは違う歴史が史実であるというには、余りにも掛け離れた物語、フィクションと思ってもおかしくはないだろう。
一応、俺の知っている自国の歴史は辻褄が合っているように思える。その隙間を手繰れば綻ぶのか、それとも一枚岩のように不変なのか。それを判断する手段が無い以上、これは誰かの妄想か希望が書かれているものであると考えるのが普通だろう。
誰が俺の鞄にこれを忍ばせたのかは知らないが、内容の真偽はともかく、確かに危険な存在であることには間違いはない。だからこれを一人で読めとあるのは納得だが、これは禁書の類になるだろう。
そこで俺は、この本を天井裏に隠すことにした。それは本を燃やすには時間が掛かる、さりとて裁断するにしてもハサミくらいしか用意できないからだ。そんなものでチマチマ切っていては不完全だろうし、切れ端が気になってしまうというものだ。しかし天井裏となると、今度はネズミが咥えてどこかに持ち出さないかとも心配になる。それくらい、厄介なものを手に入れてしまったものである。