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紅赤の華 〜日本が赤く染まるとき〜  作者: Tro
#2 途切れた歴史
4/8

#2.1 俺たちの歴史 (1/2)

このまま歩き続ければ、いずれ施設の門と呼ばれる入り口に到着する。時間にして1時間少々といったところか。そこが近づくということは俺の持分、自由である時間が短くなっていくということだ。


『もし』という仮定が出来るのなら、俺の隣には彼女が居たことだろう。それを想像することしか出来ないのは哀しいことだが、しかし何時でも心の中で話し掛けることは出来る。それが例え底の抜けたバケツに向かって話しているようなものだとしてもだ。


それでも、無言の彼女に話し掛けるのは、自分自身を保つための手段としては大いに役に立っていると思う。会えずとも彼女は、今でも俺にとっては支えなのだ。そして彼女との出会い、それこそが俺の人生を大きく動かしたと言っても過言ではないだろう。


そう、あれは今から20年以上前、俺たちが高校3年、18歳の時の話である。



3年に進級した時、見事なシャッフルにより誰一人として顔見知りのいないクラスになった。クラスの生徒数は40、その内、日本人は自分を含めてたったの5人である。しかし、ああ、この時も政府の発表では日本人は9000万人居ることになっていたが、クラスの構成比でいえばその10分の1である。


俺の居る地域だけが特に偏っていたのかどうかは今でも分からない。俺たち日本人以外は当然ながら大陸の人となるわけだ。よってここでは少数民族となる日本人ではあるが、それでは多勢に無勢、(さぞ)かし差別があったのではないかと思われるかもしれない。


確かにこれだけ差があれば少数を蹂躙することなど容易いだろう。しかしそれは前近代的な考え方であって、実際には民族対立などは起こることはもなく共存共栄が機能していたようだ。特に学び舎である校内では全く問題にもならず、生徒は皆、平等に扱われていた。


話を戻そう。知った顔のいないクラスで友達を作るのは、そう難しいことではなかった。それは俺の陽気な性格が発揮されたおかげだろう。但しというか、これも当然ながら男ばかりである。女子の友達なぞとても恐れ多い存在と認識していた。


気軽に話が出来る友人は全員、大陸の人であった。そこに数少ない日本人が含まれていないのには訳がある。それは日本人同士でも会話が禁止されていたからだ。


それは校則というレベルではなく、法律で決まっていたからに他ならない。何故そんなことが法律になっているのかと聞かれても、それは誰にも答えられない事である。インターネット、図書館、新聞等、あらゆる情報源に当たってもその答えを見つける事は出来なかったが、そもそもそれを詮索する事自体も危険な行為であるらしいとの噂があったため、直ぐに調べることを止めた次第だ。


学生の身分としては素直に従っておくのが身のためだろうと、当時でもそう思ったものだ。因みにこの法律を破るとどうなるのか、それをわざわざ確かめる強者は見たことも聞いたこともない。逆に言えば皆んな賢かったのだろう。それに俺が含まれるかどうは、どうだっただろうか。ただ単に勇気が無かったせいかもしれない。


なんとか出来た友人の中には、まだ親友は含まれてはいない。進級したての頃、親友との関係は最悪と言っていいのだが、但しそれは一方的に俺から見て、の話である。だが、親友との事は後回しにしよう。それよりも彼女との出会いの方が重要である。



午前最後の授業の後、教師が宿題に出していたレポートの提出を求めた。それで全員がノートを教師の前に持ってきたので、それをクラス委員に職員室まで持って来るように指示をした。よくある話ではあるが、そのクラス委員こそが彼女であったのは想像の範囲内であろう。


当然の如くというべきか俺にとっては高嶺の花の彼女である。いくら当時からナイスガイの俺であっても、所詮はその他大勢の一人に過ぎない存在であった。


だが、ここで運命が動いた。教師は大量のノートを見ると、これは女子一人では無理があるだろうと思ったに違いない。そこで今日は13日だから出席番号13番を彼女のお伴に指定したわけである。


ただ正確には、今日が13日だから13番というのは詭弁である。こういった雑用的な用向きは大抵、日本人が勤めるものだとの暗黙の了解が存在していた。これを詭弁というのは、たまたま今日が、というだけのこじ付けあり、もし今日が14日であれば違う理由になっていたことだろう。


但しこれを即、差別と決めつけにはまだ早いというものだ。何故なら、そんな回りくどいことをせずとも、直接指名しても良いものを、わざわざ偶然を装い、しかも名前を呼ばずに番号で指定したことである。


教師もまた大陸の人である。日本人の俺に対して名前で言ったところで何ら問題がない。そうして立場をはっきりさせることは普通に行われていたことであり、それがいつの頃からなのかは知らないが、何時の時代でも日本人は大陸の人の下に位置する少数民族なのである。


それを当時、何の知識も無い俺は少し有難がっていたのだが、今思えば単に教師が要らぬ波風を起こさないようにしていた、だけかもしれないと、真相は分からないがそう考えるようにもなった。


少し話は逸れてしまったが、教師の指示でノートの束を抱えることになった俺である。そして彼女はお姫様のごとく俺を先導し、従者のようにその後ろを付き従うのであった。当然のごとく彼女は手ぶらなのだが、それが当たり前だと言わんばかりの態度(無言でフンっといった感じ)で、俺の苦労などお構いなくである。


さすがにノートとはいえ40冊はかなり重い。もし教師が気を利かさなければ、本来ならお前が持っているんだぞ、と言いたくなるほど彼女の態度はデカかった。いくら将来、俺の奥さんになる人とはいえ、この時点ではとてもそんな感情を抱くことはなかった俺である。


彼女のことは殆ど知らなかったが、遠目に見ている分には美人で優しく、かつ頭の良い人に見えたものだ。しかしそれは注意深く、でもないが良く見ていれば分かることなのだが、彼女の態度はそれが向けれらる対象によって変わるということを知っていたようば気がする。


その証拠に他の者とは一線を画す態度、それは俺が日本人だからという理由ではなく、単に気に入らない、もしくは全く興味がない素振りで味気ないものであった。しかし実際はその逆で、要はツンデレだったのは当時の俺は知る由もないことである。それは今でも変わらぬ、何かの心の変化のようなもを感じ取る能力に劣っているからだろう。


話を戻そう。彼女の後について教室を出た俺たちである。重いノートの束を持っているとはいえ、そして女性と一緒に歩いているということもあったのだろう。俺の上辺だけの思いとは異なり、体の方は上機嫌であった。つまりは彼女と一緒に歩くというだけで舞い上がってルンルン気分の俺というわけである。


しかし、その淡い気持ちも現実が突きつけてくる。それは彼女が大陸の人ということに尽きる。現実とは、目立った差別は無いものの、日本人という少数民族に課せられた重み、それが身分的な上下関係を構成し高い壁となっていることだ。


例えば大陸の人と日本人は見た目で区別することが難しい。そこで学校では全生徒が名札を身につけ名前が記されているが、それだけではない。名札の下地の色を変えることで一目瞭然としている。それは、大陸の人は白、日本人は青となっているからだ。これは学年が違っても変わることのない目印となっている。またこの名札は校外でも付けておくという暗黙のルールが日本人だけにはある。


そして上下関係とは、その昔、日本人が民族として存亡の危機に瀕した時に大陸の人たちの庇護により存続できるようになったという歴史があるそうだ。しかしこれは後程、間違いであるらしいと分かるのだが、その『らしい』を証明するものは今のところ何も無い。

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