#1.2 終わりの始まり (1/2)
俺の極楽浄土行きの水先案内人が、かつての親友であるというのも俺の日頃の行いが功を奏したのだろう。先程のお返しではないが、今度は俺の方からハグをしてやった次第だ。これを事情を知らぬ第三者が見ていたらと思うと、とても恥ずかしいことだろう。
おっと、既に自治会長と運転手が居るではないか。運転手は仕方ないとして、自治会長の若造に見られるのはチト恥ずかしい。もう会うことも無いと思っていたが、きっと家に帰ったらクスクスと笑うに違いない。もうお前に用は無いぞと言ってやらねばと、気色悪いハグをしながら追い払おうとしたが、その心配は無用だったようだ。気を利かしたのか、それとも呆れたのか自治会長の姿はどこにも見えなかった。なら、居ないなら居ないで『仕事を途中で放り投げるいい加減な奴』とレッテルを貼ってやろう。
せっかくのハグ序でに、俺の肩に鼻水だか何だかの液体を染み込ませる、かつての親友について語ろう。早速だが親友とは「おい、お前」で言い合う仲である。名前で言わないのは後で説明しよう。
俺たちは高校3年生の時に知りあったのだが、高校を卒業してからは連絡も取らず、お互い音信不通の状態であった。この、僅か1年間ではあるが親友と呼ぶべき間柄であることには間違いはない。それなりの青春を謳歌したということだ。しかし生憎と時間が経ちすぎたことは、親友の老いた姿を見れば一目瞭然である。そのため、どんなことをしていたのかは、もう記憶に無いと言ったところか。
序でに言っておくが、俺にとって親友または友と呼べるの者は一人だけである。それは随分と寂しい状況ではないかと思われるかもしれないが、一人でも居るだけマシな方である。まして名前を呼び合わない関係では尚更だ。
さて、ここで名前について説明しておこう。俺と親友とでは身分が違う。その身分が違うことで俺は親友の名を呼ぶことが出来ない。それは法律で決まっていることなので俺にはどうしようもないのだ。卑賎の身の俺から親友の名を口にすれば、それは直ぐさま反乱分子と扱われ問答無用で投獄されることになる。ならばこっそり言えば良いのではないかと。いいや、どこで誰が聞き耳を立てているか分からないご時世である。それで通報でもされたら適わないだろう。ましてその通報に金一封が出るとなれば尚更だ。
酷い世の中だと思うかもしれないが、それが俺が生きている社会の現実であり、生まれた時、いや、それ以前から『そういうもの』となっている。
では、親友が俺の名前を言わないのには、違う意味があるからだが、それは単純だ。俺が親友の名を言えないのなら俺も言わない、という理屈だ。要は親友と俺との間に上下関係は無いという現れである。しかしそんな気を使う『大陸の人』は他には居ない。そう、親友との決定的な違い、それは俺が『日本人』だということだ。この辺については後で語ることにしよう。何故なら何時までも気色悪いハグを続けている訳にもいかないからだ。
◇◇
パーンと車のクラクションが鳴った。というより待ちくたびれた運転手が鳴らしたと言った方が正解だろう。それを合図に俺たちのハグも終わった。俺にしてみればハグから解放される良い合図であったが、俺から離れた男にとっては別の合図だったようだ。
男は運転席側の窓をコンコンと叩く。すると窓ガラスが下がりきる途中で「時間に遅れ」という運転手の声が聞こえてきたが、最後までは聞き取ることは出来なかった。何故なら男が運転手の顔を殴りつけた後に、「口で言えば分かる」と言ったからだ。
この光景を見て俺は初めて確信したようなものだ。これまで半信半疑だったが、これでほぼ、75%くらいは親友であると思えるようになった。何より、口より先に手が出るのは親友の悪い癖である。しかしいくら同級生だったとはいえ、二人に流れた時間は不平等だったようだ。まだピンピンしている俺と違い、親友はヨボヨボで萎びた老人である。とても同じ歳には見えない。いや、それは俺の勘違いではないかと思える程、時の経過は残酷なのだと思い知った俺だ。
「おい、行こうじゃないか。お前の、そのなんだ、天国とやらに」
親友が和かな顔をしながら車の後部ドアを開けている。だがしかしだ。
「俺は死んだのか? 久しぶりの再会だというのに、もうお別れか?」と皮肉を込めて言ってみる俺である。それに「天国みたいなものだろう。俺からすれば遊んで暮らせる場所だと聞いているぞ。この、羨ましい奴だ、俺と代われ」と交わしながら車に乗り込む俺たちである。
◇◇
親友の合図で、いや、号令で走り出した車、後部座席右側に俺、その左に座る親友である。親友との再会も久しぶりだが、車に乗るのも久しぶりのような気がする。走り去る光景、それと同じように走る去った人生。だがそこはカッコよく『駆け抜けた人生』と言いたいところだが、一人でチンタラしていたに過ぎない。そう思うと、車に乗り込む前にはしゃいだおかげで、今の車内は静かなものである。
本当はあれもこれもと話のネタは尽きないはずだが、なんだろう、それがあまりにも多すぎて面倒というか、どうでもよく思えてくる歳頃になったようだ。第一、車で移動している間に40年という月日を埋めることは出来ないだろう。ならいっそうのこと、これからのことを話すのがいいように思えた。
「どのくらい掛かるんだ?」と、隣でそわそわしている親友に尋ねると、
「そうだな、1時間、う〜ん、2時間くらいか、な」と随分と幅のある答えが返ってきた。それは途中で何かがあるということだろうか。しかし、ここではっきりとしない事は深く追求しないのが得策だろう。もし運転手の気が変わってしまったら、どこに連れて行かれるかも分からない。先程の運転手への態度からして親友は立場上は上だと推測できるが、どこまで運転手が純情であるかどうかなんて分からないものだ。彼の気まぐれ一つで俺たちの運命を変えることが出来ると思えば用心しておくことも大切だろう。
そんな不安から窓を少し開けてみようとしたが、いくら操作ボタンを押しても開く気配がない。これはもしかしてと思い焦るが、そんな俺を察したのか、「ああ、すまない。これ、警察の車両でね。窓は開かないんだよ」と平然の言いのける親友である。親友、親友、親友? 本当にこいつは俺の知っている親友なのだろうか。そんな俺に、更に追い討ちをかけるように、「そっちのドアも開かないから」と気楽な親友である。
思わず「マジかよ」と声にして言ってしまった俺はドアのロックを引き、車が走行中にも拘らずドアを開けようとしたが本気で無駄のようだ、ドアはピクリともしない。そんな俺に慌てた親友が
「大丈夫だ、安心してくれ。ただ車がそうだってことだけだから。本当にすまない、俺を信用してくれ」と拝むように言ってくる。
それを目の隅で見る俺、またパニックになって騒いだのだろうと言われそうだが、冷静かつ沈着に受け止めた俺である。何故なら急に人として成長し、ではなく、こんなことには慣れているということだ。しかしそれは犯罪を犯し、よく警察の厄介になったという意味ではない。それは……いや、この話は詰まらないので捨ててしまおう。
「大丈夫だ、慣れている」と笑顔と余裕で親友に返してやると、「そ、そうか」と安堵したのか背中をシートに預け、そのまま目を閉じた。そうして深呼吸すると普通の声で話し始めた親友だ。
「これから行くところは、」と言ったところで「施設だろう」と話しの腰を折る、それは分かりきったことを聞くのも言うのも面倒なタチの俺である。
「ああ、そうだ。ああ、そんなんだが」
「違うのか?」
「いやいや、そういう意味じゃない。なんだその、施設に行けるっていう点だけ見れば、いいなぁと思えてな」
一瞬ドキリとしたが、我々日本人には定年というものがある。それはどのような職業で就いていようが、いや、無職であっても60歳の誕生日を迎えたものは職を解かれ、施設に入ることが決められている。