恋したウサギと願い事が叶う池
公式の『逆さ虹の森』に独自設定を交えてあります。
苦手な方はご注意ください。
不思議な逆さまの虹がかかる、『逆さ虹の森』。
そこには、様々な森から、いろんな動物たちが訪れます。
彼らは、森の外ならいがみ合う動物同士でも、逆さ虹の森の中ではけして争いません。
暴れん坊の、アライグマでさえも、です。
不思議な逆さまの虹が、みんなを穏やかな気持ちにさせてくれるからです。
そして、無理に争えば、この『逆さ虹の森』が消えてしまうからです。
そんな逆さ虹の森を訪れる動物たちの中に、一匹のウサギがおりました。
彼女は、森の中にすむ、お人好しのキツネに恋をしています。
外にすむキツネは乱暴で、ウサギは何度もひどい目に遭ったものですが、
このお人好しのキツネはとても優しく紳士的で、
ウサギがオンボロ橋の床板を踏み抜いて落ちそうになった時など、いの一番に駆けつけて、引っ張りあげてくれたほどです。
ウサギは、けれども「ありがとう」というお礼も、「好きです」という愛の言葉も伝えたことなどありません。
なぜなら……
ウサギもキツネも、
アライグマもリスも、
クマもトリも、
みぃ~んな。
森の動物たちはみんなそれぞれの言葉で話し、同じ言葉ではないからです。
ウサギの言葉で「愛しています」と伝えても、もしかしたらキツネには「すっとんきょう」と聞こえるかもしれません。
だからだから、ウサギは願い事をしようと決めました。
ドングリを投げ込んで願い事をすると、叶うという噂がある、ドングリ池に。
「どうか森のみんなが同じ言葉を話しますように」
と。
さっそく、ウサギはドングリ池を探し始めました。
同じ青の森にすむ仲間も、隣の緑の森にすむ仲間も、ドングリ池の場所を知らなかったからです。
ウサギはまだ行ったことのない場所を、やみくもに駆け回りました。
すると、美しい鳥の歌声が聞こえてきます。
森で一番の歌声を持つ、コマドリの鳴き声です。
その鳴き声につられるように歩を進めると、やがて澄んだ美しい池のほとりに出ました。
「きれい。きっと、これがドングリ池だわ」
ウサギは持っていた一等大きなドングリを、ぽちゃん、と池に投げ入れました。
「ドングリ池さん、どうか森のみんなが同じ言葉を話しますように」
すると、どうでしょう。
懸命に祈っているうちに、コマドリの歌声が、歌うような言葉に聞こえてきたではありませんか。
今日も逆さ虹の森で歌うの
空は晴れて
空気は澄みわたり
私の美しい声が遠くまで届くから
さぁ、みんな聞いて
私の歌を
逆さ虹の森と歌う歌
さぁ、みんな聞いて
私の声を
明日も明後日も
ずっと森が穏やかであるように
「聞こえたわ、コマドリの声! 歌、言葉が! なんて素敵な歌なの!」
ウサギはとっても嬉しくなって、あたりを跳ね飛び回りました。
ああ、けれど、こうしてはいられません。
なぜなら、ウサギは想いを伝えられるようになったと気づいたからです。
あの時のありがとうと、大好きだという気持ちを届けなくては。
ウサギは急いで走り出しました。
キツネは、きっと大楠の木のウロのちかくにいます。
そこが彼の一番のお気に入りだから。
ウサギは急いで走り出しました。
もっともっと、と自らの足を急かしながら。
こんなに走ったのは、いつ以来でしょうか。
藍の森にすむオオカミに追われたときぐらいでしょうか。
あの時も、心臓はバクバクと痛くて、張り裂けそうでした。
けれども、今日の痛みは なんとも暖かくて心地がよいのです。
やがて、大楠の木のウロの前に到着しました。
やっぱりキツネは、思った通り、そこにいました。
ですが、キツネはひとりではありませんでした。
怖がりのクマと、知恵のあるフクロウと一緒に話し込んでいました。
「森がおかしい」
「種族の違うものの話がわかる」
「そうだ。さっきまでなら、こんな風にクマとキツネとが話しなぞ、できなかった」
ウサギは嬉しくなりました。
森のみんなの言葉が、愛しいキツネの言葉がわかるからです。
今すぐ飛び出したいけれど、我慢しました。
まだ、三匹の話は続いていたからです。
「これはまずい。なぜ、こんなことになったのか」
フクロウが羽で顔を覆い、ため息をつきました。
「ぼくは嬉しいよ。キツネと話をしてみたかったから」
「私もだよ、クマ君。この森にすむものはみんな、そう思うものだ」
キツネとクマの言葉に、ウサギがうんうんと頷きます。
しかし、フクロウはゆっくりと首を振りました。
「けれどもダメだ。この森を訪れるものは、この森にすむものほど穏やかじゃないんだ。もしもちょっとしたきっかけで口喧嘩でも起こりもしたら」
キツネとクマは息を飲みました。
「『逆さ虹の森』が消える」
ウサギは、背筋がゾッと寒くなりました。
この、穏やかで優しい、逆さ虹の森が消える?
しかも、ウサギの願いのせいで?
「そんな、私、私は」
だけども、追い討ちをかけるようにウサギに、もっと残酷な現実が襲いました。
「ぼく、黄の森のパパとママに知らせてくるよ! 逆さ虹の森にむやみに入らないように、みんなに知らせてって」
クマが立ち上がって、黄の森に体を向けました。
それを見たキツネは首肯くと、
「私も赤の森の仲間に伝えよう。特にアライグマに。彼と藍の森のオオカミが出遇いでもしたらと思うと! ああ、妻と娘が心配だ!」
と、言いました。
ウサギは、
全身の血がなくなってしまったような気がしました。
もともと白い毛が、さらに白くなって、透明になって消えてしまうかと思いました。
キツネには、愛する誰かがすでにいたのだと、はじめて知りました。
ウサギはガクガク震えました。
大粒の涙が溢れだして、ボタボタと落ちましたが、けして拭いなどしませんでした。
大楠の木のウロの前には、もう誰もいませんでした。
ウサギは、震える体を無理やり走らせました。
転がるように。
逃げるように。
一目散に駆け出して。
やがて目にひとつの影を映し出しました。
「待って、待ってください!」
弾む息を、震える喉から絞り出して、嗄れたような音で呼び掛けます。
影は、止まってくれました。
「……なんだい、私は急いでいるんだが」
キツネです。
赤の森に駆け出していたキツネを、ウサギは呼び止めて、なんとか息を整えようとしました。
「お……お伝え……お伝えしたいことが、あります」
不審げに、目を細めるキツネの表情を、ウサギは初めて見ました。
キツネはいつも、穏やかに笑っていたものです。
不機嫌そうにふぁさふぁさと、揺らぐ尻尾を見たのも初めてです。
こんなのを見たくて、私は願いを言ったんじゃない。
ウサギはまた、涙が溢れそうになるのを堪えました。
言わなきゃ、どうしても言わなきゃ。
そうでなければどうして、こんな思いまでして、ここに来たのか。
ウサギは、ゴクンと喉を鳴らしました。
「あの」
首をかしげる不審げなキツネ。
「森のみんなが同じ言葉を話せるようにと、願い事をしたのは私です」
次の瞬間、ウサギは地面に引き倒され、キツネに喉笛を切り裂かれんほどに睨み付けられました。
「なんてことをしてくれた! お前のせいで、この森が消えるのかもしれないんだぞ!」
ウサギはポロポロと涙を溢しました。
自分を引き倒す、そのキツネの姿は以前自分を追いかけたキツネたちより余程恐ろしい姿をしていたからです。
けれども、ウサギはちっとも怖くありませんでした。
なぜか、そんな姿のキツネさえ、愛おしくてたまらなかったのです。
「キツネさん、私、あなたが好きです」
ウサギは言いました。
「だから、お話ししてみたくて願い事をしました。こんなことになるなんて思いませんでした。ごめんなさい、ごめんなさい」
ウサギは、もう喉を切り裂かれてしんでもいい、と思い、ギュッと目をつぶりました。
けれども、痛みはやってこず、代わりに体にのし掛かっていた重みが消えていきました。
目を開けたウサギの傍らで、キツネはため息をついています。
「はぁ、私はなんてお人好しなんだろう。そんな風にされて、襲ったりできるわけがないじゃないか。それに」
キツネは森を見上げます。
「私の手で逆さ虹の森を消し去るところだった。ここは、赤の森との境。ギリギリ範囲外だったようだねぇ」
決まり悪げに頭を掻くキツネに、ウサギは呆然としました。
「言っておくが、私は妻帯者だ」
「はい、つい先程知りました」
キツネはさらに決まり悪気な顔をしましたが、やがて手を差し出すと、ウサギの手を取り、引っ張りあげました。
ウサギはオンボロ橋で助けられたことを思い出して、ほほを赤らめました。
「ただのウサギの小さな願いが、こんな風に叶うわけがない。君、他に何かしたね?」
ウサギは頷いて、ドングリ池の話をします。
「ドングリ池を見つけたのか。けれど、単にドングリを投げ入れただけじゃ、願いは叶わないと聞いたけど……」
キツネは首をかしげています。
ウサギも、一緒にかしげました。
ウサギはドングリを投げ込んで願いを言っただけ。他に何も特別なことはしていません。
「これは、フクロウに聞こう。確か、森中のトリたちに呼びかけをしているはずだ」
いこう、というキツネのあとを、戸惑いながらウサギは追いました。
トリたちに聞きながら、フクロウのもとにたどり着くと、呆れたようにドングリ池のことを教えてくれました。
「ドングリ池の願いを叶えるには、心の中から強く願う思いと、特別なドングリが必要だ。どんなドングリだったか覚えているかな?」
ウサギはうんうん唸りながら思い出します。
「見つけた中で、一番大きいのよ。帽子が緑で、ドングリが茶色いの。ほどよく長細い、美味しそうなものだったわ」
それを聞いて、キツネとフクロウは考え込みます。
「そんなドングリが、すぐ見つかるだろうか」
「トリたちを総動員して探せば、と思うが、すぐには難しかろう」
キツネとフクロウが首を捻り、フクロウは捻りすぎて一回転させてしまいました。
しかし、おかげで妙案が出たようです。
「ふむ。ドングリのことはリスに。彼女に聞いてみよう。きっと思い当たる何かがあるはずだ」
それを聞いて、ウサギとキツネは目をぱちくりさせました。
「あの、イタズラ好きのリスですか?」
「素直に協力してくれますかね?」
確かにイタズラばかりのリスが大好物のドングリを寄越すとは思えません。
けれどもフクロウは自信たっぷりに言いました。
「きっと、こう言って協力してくれるさ。「逆さ虹の森がなくなったら、イタズラしても逃げる場所がなくなるじゃないの!」ってね」
ドングリ池の前にやって来ました。
キツネの手には、あのときウサギが持っていたのとそっくり同じドングリが握られています。
リスの秘蔵のドングリは、きっと森を元通りにしてくれるに違いありません。
ウサギは、池のほとりから一歩、うしろに下がりました。
そして、キツネがドングリを投げる前にそっと手を合わせて、願い事が叶うようにと祈りました。
「ウサギさん」
キツネが言葉をかけてきます。
「君にひどいことをした。すまなかった」
ウサギは目をぱちくりさせて、首をかしげました。
「何か、されたでしょうか? 私はいろいろご迷惑をかけましたが」
キツネはくすりと笑って、ぽーんと池にドングリを投げ入れました。
ぽちゃん、と音を立ててドングリが沈んでいきます。
そこにキツネの穏やかな声が、染み込むように響き渡りました。
「私は『逆さ虹の森』が好きです。穏やかで優しい森。同じ言葉を話さない者同士でも、笑って暮らせる、この森が好きです。
話ができれば、もっと素敵な出会いもあるかもしれない。けれど、余計な争いも、呼ぶかもしれない。
今はどちらが正しいのかわからないけれど、ただまだこの穏やかな時間が続いてほしい。
だから、お願いします。
ドングリ池よ、この森を元通りに戻してください」
ウサギはその声が、池に吸い込まれるように消えていくのを感じました。
どこか、遠くからトリの鳴き声がします。
「あの」
しばらくしてから、ウサギはキツネに声をかけました。
キツネは振り向いて、何かを言いました。
でも、何と言ったのか、ウサギにはわかりませんでした。
けれどもキツネは軟らかくにっこりと笑ったので、ウサギは同じようににっこりと笑ったのです。
ウサギは、言葉がなくても、心が通じることを知りました。
そして、また、森の動物たちはみんなそれぞれの言葉で話しはじめました。
不思議な逆さまの虹がかかる、『逆さ虹の森』。
そこには、今日も様々な森から、いろんな動物たちが訪れます。
*+:。.。 end 。.。:+*
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