纏足の痛み
翌日曜日の早朝、呉候賢が休日返上で公学校へと出かけたのち、小如は予定通り養母に、学校へ自習に行く、と嘘をついた。
養母の反応は予想通りだった。
「何を言ってるの、ダメよ、勉強なら居間ですればいいじゃないの」
と小如を叱るように言った。
「算術でどうしてもわからないところがあるの。お兄ちゃんに聞けば勉強がはかどるんだもん」
と小如は冷や汗をかきつつ押し通した。養母の圧力をはねのけて嘘をつき通すのはさすがに苦しさを感じたが、これしか方法はなかった。家と公学校の往復以外に、ひとりで外出することを実質禁じられている小如にとっては、学校へ行くという言い訳しか、もっともらしく通用させられるものはないのだ。
しばらく粘ると養母はついに、わかったわ、と折れた。
そのかわり、帰るときはひとりではなく、候賢と一緒に帰ってくるように念を押された。
「最近、美南か打狗の近くに海軍の脱走兵が逃げ込んだっていう噂があるのよ」
と養母は心配そうに言った。
その話は小如も知っている。学校でみんなが海軍監獄から脱走した兵士のことを話していたからだ。
図書室に置いてある新聞にも、その脱走事件のことが似顔絵つきで載っていた。大人向けの日本語で書かれているため、半分以上は読めなかったが、脱走兵の名前は読めた。
明智大樹。
須藤亥斗。
そう美麗語で小如が読んだとき、日本語では『あけちだいき』『すどうかいと』と読むのだと、通りかかった先生が教えてくれた。
名前が世の中に晒されて、軍や警察に手配されるのだから、よほど危険な人物らしいということは小如にもわかった。
ただ不思議なことに、一体何の罪で投獄されたのかは、先生も級友も誰も知っている者がいなかった。
決まってるだろう、軍人だぞ、人を大勢殺したんじゃないか、と噂している者はいた。
だが小如の想像では、軍人が戦争などで人を殺すのはやむを得ないような気もした。
とにかく、脱走の指名手配で大騒ぎされている割には、それに値するどんな悪行をはたらいたのかさっぱり情報がなく、憎んだり恐れたりするには、どことなくぼんやりしすぎているような気が、小如にはしていた。
「ばったり会っちゃったら、さらわれてしまうかもわからないわ。ああ、やっぱりだめね、出かけるのは」
過保護な養母の雲行きがあやしくなったのを見て、小如はあわてて取り繕った。
呉家も公学校も、美南市というそこそこの都会にある。
「真っ昼間の街中でそんなことは起こらない、いつも通り学校行って帰ってくるだけだから」
と念を押して説き伏せ、養母の気分が変わってしまう前に家を出ることにした。
あやしまれないよう、きちんとセーラー服を着て、通学カバンを持って。
美南駅は、呉家のある西門町から東へまっすぐ行ったところにある。
途中、日本人の多く住まう白金町、花園町を通り、美南病院が見える交差点に着く。ここまでが二十分。病院の角を東を折れ、北東へまっすぐ十分ほど歩けば、馬車や人力車の集まる駅前の停車場が見えるはずだった。
"大人の足で十五分、私の足で三十分"
足の調子が途中で悪くならないことを願いながら、小如はいつも行くのとは違う東方面に歩き出した。
ちなみに美南第二公学校は、小如の足で北方面へ十五分歩いたところにある。今日はいつもの倍歩かねばならない。
美南駅に行くのははじめてではないが、一人で行ったことは一度もなかった。
家の近所でありながら、ふだん出かけない方角に向かうだけで、小如の小さな冒険心はいたく刺激された。
うっかり石を踏んで転ばないように少し両手を広げ、足を小出しにして小如は歩く。
さながらアヒルのような危なげな歩みだが、美麗人の女はみな、このような歩きにならざるを得ない。
纏足の文化と共に暮らしてきた美麗人の男は、そのか弱そうな歩みに、つい護ってやりたくなるような感情を覚えるらしく、小如は時折目を細めて眺められたり、大丈夫かい、人力車を呼んでやろうか、と声をかけられることが時たまあった。
逆に日本人にはあまり評判が良くないらしく、奇異な目で足許を見られたり、かわいそうに、あんなにされて、などと、歩いているだけで通りすがりに言われることもあった。
"私だって好きでこんな足にされたわけではないのに"
と小如は思う。
これは必要なことだったのだ。
もし美麗人の女が天然足のままだったら『大足女』と馬鹿にされ、一生、結婚相手も見つからないのだと、みんなが口を揃えて言うのだから。
小如は三歳の時に、養母によって纏足された。
養母が、小如の足の骨をぼきりと折り曲げ、包帯でぐるぐる巻きに縛ったときの顔が忘れられない。
地獄のような痛みに、自分は喉が枯れるまで泣き叫んだが、養母も泣きながら包帯をきつく縛っていた。
あの時養母が心を鬼にしてくれなかったなら、きっと候賢は私を新婦仔として迎える気にならなかったろうし、不幸になったに違いない。
これで良かった、と自分で納得しているのだ。
途中、日本人の乗る馬車が何台も道の真ん中を通り、そのたびに小如は砂ぼこりを浴びて咳き込んだ。
十五分ほど歩いて美南病院が視界の先に見えたところ、両足のつま先に疼痛を感じた。
"あと半分、あと半分"
小如は自分を励ましながら、病院の角を左へ折れ、残りの半分を黙々と歩き続けた。
足先の神経がしだいに過敏になり、手持ちのカバンの重みすら、足に伝わって痛みを増やしているのがわかるくらいだった。
地べたに座ってしまいたかったが、そうしてしまうと再び立ちあがる時がなお痛い。
小如は何度か立ち止まっては休み、額に玉のような汗を流しながら先を目指した。
痛みがそろそろ限界に近づこうかというところで、ようやっと小如は美南駅前の停車場に着くことが出来たのだった。
「着いた……!」
美南駅の、真っ白な駅舎が陽にあたってまぶしく輝いていた。
それを見た小如の気分は、それまでの痛みも忘れるほどに高まった。まだ出発駅にたどり着いたばかりだというのに、すでに彼女は目標を達成した気分になった。
駅舎の中に入ると、小如はまず改札前に大きく掲げられている時刻表を確認した。
呉家に時刻表はなかったため、打狗ゆきの汽車がそもそも一日何本あるのかさえもわからなかった。
そして、そもそも時刻表の見方さえも難しくてよくわからなかったため、結局は駅員に次の打狗ゆきの出発時刻を聞いた。
あと三〇分後にやってくる、と駅員は答え、ちらりと小如の姿を視線で舐めた。
駅員だけではない。改札付近で汽車を待っているのだろう人達も、時折小如に視線をはしらせているのが感じられた。
無理もない。汽車通学をしている学生はこの時代めずらしくはないが、きょうは日曜日だ。
美南第二公学校の紋章が肩に入ったセーラー服を着た女子が、ひとりで駅前にいるのはよく目立った。
小如は急に恥ずかしくなって、顔を上げることもできなくなり、はやく月台へ行こうと、顔を真っ赤にしながら改札口へと向かった。
小如は、美慧からもらった自由乗車切符をモギリの駅員に出した。長い間、筆箱の中で揉まれて汚れていた自由切符は使えるかどうか不安だったが、駅員は一瞥しただけで切符を切り、通してくれた。
"これで、打狗に行ける"
小如はふくらむ期待を胸に改札を抜け、打狗方面ゆきの月台へと進んだ。
月台にはまだほとんど客はいなかった。
小如は月台に設けられた長椅子に座り、汽車を待つことにした。