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美麗島の少女

「なんと美しい島か」


 大航海時代にはじめてその島が発見されたとき、付近の海域を航行していた第一発見者のポルトガル船員はそのように感嘆の声をもらしたという。


 それは彼らの(くに)の言葉で「Ilha(イラ・) Formosa(フォルモサ)(麗しの島)」と発せられたのだが、のちにこの島を領有した大陸国の(しん)国が、彼らの国字である漢字を用いて福爾摩沙(フアルモシャ)と当て字し、さらに転じて漢訳され美麗島(メイリーダオ)と呼ばれるようになった。


 面積は九州とほぼ同じ三万六千平方キロメートル。

 気候は亜熱帯に属し、海岸沿いの岩場や汽水域にはソテツやマングローブが自生するこの南の島は、その麗しい名前とは反対に、風土病の蔓延(まんえん)する恐ろしい未開の島と考えられてき、また政治的にも長い間、きわめて冷淡に扱われてきた。


 清国による美麗島の領有は二百年以上に渡り、皇帝の代も八代におよんだが、どの(みかど)も一貫して()の島を「化外(けがい)の地」と呼び嫌い、ほとんど開発投資を行わなかった。そのため島は世界の潮流からは取り残され、一時は海賊や犯罪人の巣窟と化し、島は混沌とした時代を過ごした。


 美麗島が本格的な発展を見たのは、大日本帝国(だいにほんていこく)による植民地統治が始まり、彼らの国の言葉で美麗島(びれいとう)と呼び慣わされるようになってからのことである。


 明治二十七年、清国と日本の間で日清(にっしん)戦争が勃発し、翌年これに勝利した日本は美麗島を接収した。

 

 清国からせしめた多額の賠償金により、日本国内に産業革命を巻き起こすことに成功した日本は、意気揚々と美麗島の植民地経営にも乗り出したが、その道のりは非情に難航した。


 当初は日本式の理念や法体系を、有無をいわさず美麗島の人々に押し付けようとしたが、うまくいかずに反発を招いた。島内各地で反乱や武装蜂起が発生し、帝国政府はその鎮圧に手を焼いた。しかし清国が決して掘り返そうとしなかったこの島の眠れる価値を、日本はどうにか掘り当てようと悪戦苦闘し、巨額の資金を投下し続けた。


 電気や上下水道のインフラを整備し、綿密な都市計画にもとづき、美北(メイペイ)美南(メイナン)打狗(ダカオ)など、人口数十万人の大都市を島の南北にわたって構築した。

 

 また「農業は美麗島、工業は日本」のスローガンのもとに、島内各地にダムを作り、大規模な灌漑を行い、美麗島を一大穀倉地帯にさせるべく発展を試みた。


 やがて、日本の美麗島経営は軌道に乗り出した。

 

 美麗島割譲から十年後の明治三十七年には、北部の大都市美北(メイペイ)と南部の大都市打狗(ダカオ)間をむすぶ全長四百キロの南北縦貫鉄道(じゅうかんてつどう)が完成した。これにより物資が島の南北すみずみにまで行き渡るようになり、島の経済は活性化した。


 そして翌三十八年には北の超大国、ロシアとの戦争(日露(にちろ)戦争)に日本が勝利し、島中が戦勝の高揚感で沸き立った。


 

 そのような激動の潮流のさなか、この麗しき島に生きる、ある少女の物語ははじまる。



「ぜひ一度、お子さんを連れて公学校に来てください、お願いします!」


 明治三十八年、十一月未明の昼過ぎのことである。


 美麗島中南部の都市美南(メイナン)の郊外の農園地帯。

 まだ開発されて間もない新田のあぜ道を小さな足で踏みしめながら、劉小如(リウシャオルー)はできる限りの元気そうな声を出した。まっすぐ水平に伸びた彼女の手には「美南第二公学校 入学案内」と刷られた一枚のわら半紙が握られている。


「こんなんもらってもね、字が読めないんだよ、俺ぁ」


 紙を差し出された、いかにも小作農という風体の中年男は困惑した様子でそれを受け取り、田んぼの中で立ち尽くしたままぼやいた。明らかに気のない素振りだ。


「おじさんは読めないかもしれないけど、自分の娘さんには読めるようにさせたいと思いませんか?」


 小如は負けじと語気を強めながら、ちらりと田んぼの奥を見た。年の頃七、八歳ほどの少女がいて、稲刈りの手を止めてこちらをのぞいている。おそらく彼女がこの男の娘だろう。

 彼女の気を引かなくては。だが、その父親の返答はそっけない。


「ばかばかしい、女に学なんか必要ないよ。仮に男だったとしても、書房(しょぼう)にやって読み書き習わせるくらいで十分さ。公学校なんか金持ちの道楽息子の行く場所だ」


「でも……」


 小如が次の句を継げずにいると、彼女の横に立っていた呉候賢(ウーホウシャン)が助け舟を出した。


「お父さん、これからは男女の別なく学問を修める時代ですよ、ほら、ここ見て下さい」


 候賢は入学案内のわら半紙の、長い文章が書かれている部分を指して見せた。


「ここの『入学のススメ』という案内文はこの子が書いたんです。八歳で入学していまは十三歳ですが、もう日本人と日本語で話すのにも、書くのにも不便はありません。もちろん日本語だけじゃなくて、簡単な算術や料理もできますから、きっと将来、給金のいい場所につとめられます」


 あなたの娘さんだって、将来立派になって稼ぎ頭となり、親を(たす)けてくれる可能性はあるんですよ、と候賢は言外に匂わせたつもりである。

 小如は、候賢が自分のことを褒めるのを聞いて、少し誇らしい気分になった。


「あんた、先生か?」


 父親の問いに、候賢は胸を張って答えた。


「はい、呉候賢と言います。今年から美南第二公学校で教鞭を取っています」


「ずいぶん若いな、いくつだい」


「十九です」


「そんなガキに毛の生えたような年頃なのに、先生かい」


 そんなことを言われても候賢は笑みを絶やさない。小如はというと、田んぼの中からこちらを見ている娘の気を引こうと必死である。

 彼女はぎこちなく笑みを浮かべて、指先でちょいちょいと娘に向かって手招きした。できることなら直接話したかった。娘が学校に行きたいと口に出して言えば、親は渋々ながらも通わせてくれることがあるからだ。

 娘は鎌を持ったまま、小如に近づいてこようと足を踏み出しかけた。やった、と小如が思った瞬間、


「よそ見すんでねぇ! 仕事せい!」


 父親のするどい声が娘に向かって飛んだ。娘はびくりと身体をふるわせ、あわてて作業に戻った。


「お父さん、まずは軽く遊びに来るつもりで、親子で公学校にいらっしゃいませんか? 見学は随時受け付けています。まずは学校がどういうものか知ってほしいんです」


 候賢は構わずに続けたが、父親はふいに目を下げて、小如の足許(あしもと)をじろりと見た。

 小さな翡翠(ひすい)色の纏足靴(てんそくぐつ)が視線の先にあった。四歳から纏足されている小如の足の大きさは十センチにも満たない。ちんまりとしたつま先がセーラー服のスカートの間からのぞいている。


「その子はどうやって毎日学校に通ってんだ」


 父親が候賢にたずねた。小如を連れて誘致活動をするとき、よく聞かれる質問だった。


「もちろん、一人で歩いて通っていますよ」


「嘘つけ。その足でそう遠くまで歩けるわきゃないだろ」


 父親の言うことは半分当たっていた。

 小如はーー美麗人の女子は皆そうだがーー纏足された小さな足のせいで、よちよちとアヒルのように歩く。

 その面積の小さな足裏では体を支えきれず、果然転びやすい。彼女は十分と静止して立っていられず、三十分と歩き続けられなかった。

 加えて幼少期から無理やり足指の骨を曲げているのがたたり、時々足がちぎれるかと思うほどの激痛にさいなまれることがあり、彼女の足で十五分ほどの公学校に通えない日もままあった。

 

「美南第二公学校っていやぁ、西門町の角っこんとこだな。うちの娘はそこまで歩いて通うのは無理だ。纏足をはじめたのはつい去年だし、まだ時々痛がって泣いてるしな。あんまり出不精になっちゃまずいってんで、ああやって稲刈りやらせちゃあいるが、うちと田んぼの間を往復するのがせいぜいさ」


「もちろん足の調子が悪いときは休ませて結構です。ご家族の方がおぶって学校まで通わせることも、女子の場合はよくありますよ」


「おぶって通わせるだって?」


 何をバカなことを、と言わんばかりに父親はせせら笑った。


「悪いが帰ってくんな。うちは家族総出で年中忙しいんだ。冬に田植え、春に稲刈り、夏にまた田植え、秋にまた稲刈りだ。学校に行かせる気も余裕もねぇよ」


 小如はそれを聞いて落胆した。教育に理解のない親に遭遇するのは毎度のことだが、ことに女の子の親だった場合は言いようのない失望感があった。


(女の子を学校に呼び寄せるのは、どうしてこう、男の子の何倍もむずかしいんだろう)


 同年代の女子が、学校になかなか増えていかないことが、小如には何より残念なことだった。

 当時の資料によると、美南地区の児童の公学校通学率は、男子六十三パーセントに対し女子は一七パーセントである。ただでさえ少ない上に、実家の仕事や農作業が忙しくなれば女子はすぐに来なくなった。公学校卒業まで至る女子は、さらにその中の一割にも満たない。


「……わかりました。ありがとうございました」


 候賢は一礼すると、小如の手を取り、踵を返してあぜ道をゆき出した。田んぼで稲刈りを続ける娘の視線が、少し上がってこちらを見たのに小如は気づいたが、悲しくなるので目を合わせなかった。

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