リコ
「起きてグールさん。ねぇ、起きて」
無理だよ。
眠いんだ。
だって、死んでるから。
なんてったって、俺グールだからね。
そして俺は、のそりと左の手を動かした。
「良かった。生きてた」
天使の澄んだ声が響く。
まだ幼さを残す高めのソプラノが俺の萎びた鼓膜を震わせた。
俺は唯一残った左目を空けた。
天使は安堵したような声音で「おはよう」と呟く。
うん。
俺、やっぱ死んでるんじゃないかな。
だって目の前に天使がいるし。
きっとここは天国。
一人の女の子を助けたおれは、成仏して天国へいけたんだ。
やったぜ、ここで童貞を捨てよう。
そう、目を覚ますと天使がいた。
床にヘタリこんだまま眠った俺を、少女の綺麗な顔が覗き込んでいた。
羽と輪っかがないのがつくづく不思議なぐらい、綺麗な娘だ。
"おはよう"
喉の奥で唸りながら、俺はぐぐっと体に力を込めた。
一応まだ体は動くみたいだ。
立ち上がろうと左手と半身をばたつかせる俺を、女の子は右手側から支えるように持ち上げてくれた。
俺の右手は、今はない。
昨日森で落っことしてきたおぼえがあった。
今更取りに戻ってもなぁ。
遺失物周辺にたむろするゴブリンさん達にわざわざ挨拶に行く気にはなれなかった。
片手が無いと、非常にバランスが取りにくい。
実は生前も、俺は片腕をなくした経験がある。その時は左だったけど。
最終的には、自分で組成して生やせるようになったが、一時期の片腕生活は本当に大変だった。
少女は気遣うように俺に寄り添うと、ゆっくりとこの地下室の出入り口へと向かう。
ありがとう。
後は外に運び出してくれたら、死体らしくそのへんで動かなくなってるから、もう大丈夫だよ。
少女は俺の体に手を添えながら、物問いたげな顔で俺を覗き込んだ。
「ねぇ、グールさん。私、喉が渇いたんだけど、この辺りに水場ってあるかな?」
"あっ"
やっべぇ!
言われて初めて気がついた。
俺、超迂闊。
この子を助けて、すっかり「我が生涯に一片の悔い無し…!」みたいな雰囲気になってたけど、この子は人間だから衣食住なんとかしなきゃいけないんだった。
グールボディになってはや一年、一般的な生命体の活動に関する感覚がすっかり鈍くなっていた。
グールはとりあえずその辺に転がってても死なない。
いや、もう死んでるから死なないってのも変なんだが、とりあえず活動停止したりしない。
でも人間はそうはいかないんだ。
水場と食べ物のあてぐらいは世話しないと。
"外に出よう。案内する"
「ん、わかった」
そして俺たち二人は、廃墟めぐりのデートに出発した。
傍目には要介護老人と、つきそいにきた優しいひ孫の女の子だ。
「こっち?グールさん」
"ああ、そっちだ。そのまま真っすぐ進んでおくれ"
俺のヨタつく足取りに合わせて少女は進む。
街の中央広場跡に、小さな泉が広がっていた。
少女が駆け出す。
「綺麗!この水、飲んでも平気なの?」
"あぁ、大丈夫だ。とても綺麗な水だから飲んでも平気さ。だから、その水、俺に近づけないでくれよ"
走るリコの背を眺めながら、俺はあたう限りの速さで距離を取った。
何しろその水、それ聖水だからな!
俺は、グールだ。
それに触ると普通にダメージが出る。
今の耐久で食らったら一発で即死しちゃう。
少女は泉から水をすくって喉を潤した。
喉が音を立てる勢いで飲み干すと、口元を拭って、喜びの声をあげた。
「おいしい!おいしいよ、グールさん!くー、生き返る!うまい!」
"そう?喜んでもらえて良かった"
かわいい。
あと、なんか最後の方、ちょっと、この女の子の素が出てた気がする。
そっちもかわいい。
「水筒がほしいな。持ち物、全部潰されちゃったからなぁ。悔しい」
少女が残念そうに嘆いている。
どうやら気に入ってもらえたようだ。
俺は、嬉しい。
実はこの泉のことを俺はよく知っていた。
この聖水の泉、元は街の噴水があった。
その建設に俺は一枚噛んでいたのだ。
噴水って綺麗な水が出てるようにみえるけど、実は管理が難しい。
単に水を循環させるだけだと、すぐに水が汚くなってしまうし、常時水を汲み出すのは無駄が多い。
そのことについて市長から相談を受けた俺が、聖水が湧くツボっぽい何かを開発して寄贈したのだ。
神聖属性は殺菌効果が強い。
聖水をちょちょっと混ぜた水を循環させるようにすれば、水が汚れる心配もないだろうとクレバーな俺は考えたのだ。
それで、とりあえず強い分には問題なかろうと適当に調整した試作品を渡したところ、強すぎる神聖属性のせいで試しに手を突っ込んだ市長の指が溶けてしまい、大騒ぎになった。
"じゅっ"って音がして、市長の指が溶けたんだぜ。びびるわ。
「市長!貴様、アンデッドだったのか!」
「違うわ!あほか!」
みたいなやり取りを、お互い真っ青になりながらする羽目になった。
市長の指は回復魔法でなんとかしたんだが、問題は強聖水ならぬ凶聖水が湧き出すツボの扱いだった。
せっかく威力がでる聖水を作れるのに、処分してしまうのももったいない。
そこでただの水が湧く湧水のツボを作って、その中にこの強聖水が湧くツボを放り込んだのだ。
希釈してしまえば、綺麗でおいしい、ちょっと神聖属性がついた水が出るツボに早変わりである。
でも、おれは作ってから気がついた。
「この中のツボ、もう取り出せないじゃん…」
うっかり手を突っ込むと、手がじゅっていって溶けるのだ。
湧水のツボを叩き割る以外、聖水のツボを取り出す手段がなくなってしまった。
少し迷った俺は、この聖水のツボin湧水のツボを市に寄贈することに決めた。
産業廃棄物として捨てるぐらいなら、行政に押し付けてしまおうと考えたのだ。
そこそこ貴重な素材を使ったので、もったいない精神が出てしまった。
俺の寿命よりも街の歴史が長く続くのは自明である。
管理は人任せにして、俺は知らぬふりを決め込むことにした。
目の前の泉からは、今でも尽きること無くこんこんと綺麗な清水が湧き出していた。
あの泉の底には、強酸みたいな凶悪火力の聖水が湧き出すツボが眠っているのだ。
設計上は500年ぐらい水が湧き出す仕組みになっている。
俺が死んでから何年経ったかは知らないが、こうやってあの産業廃棄物が一人の少女の喉を潤しているのを見るとなんだか感慨深かった。
頼むから、早く枯れてくれ。
「おいしかったぁ、グールさん」
少女はお腹いっぱい水を飲んだようだ。
水を滴らせたいい笑顔で近づいてくる。
喜んでもらえてよかった。
でもその濡れた手は乾かして?
俺の体溶けちゃう。
少女の歩みは止まらない。
濡れた指からしたたる水が地面に落ちる。
俺は恐怖した。
こいつッ、まさかわかってやっているのかッ
やめて!触らないで!
私の体、市長の指みたいになっちゃうよぉ!
どたばた逃げ出した俺を、少女はちょっと楽しそうに追いかけてきた。
とんだS少女だ!
少女のSはドSのSだ。アンデッドさえ追い詰める。
きゃっきゃ言いながら迫る少女に追いかけられて、グルルァみたいな断末魔が俺の喉からこだました。
その後、俺達は街の果樹園の跡や畑の跡を案内した。
この娘には食べ物が必要だったからだ。
だが、これが散々だった。
元果樹園には、森から侵略してきた雑木に追い詰められたりんごの木やオレンジの木がまだそここに残っていたが、季節でもないので実がなっていなかった。
麦も全滅、豆は多少は残っているが、代謝の小さい俺はともかく、この娘の腹を満たすには心もとない。
だめだぁ。
このままじゃこの子、餓え死にしちゃう。
俺は頭を抱えた。
そんな俺を尻目に、少女は気楽な顔でさっき見つけた野いちごを摘んで頬張っていた。
"ごめんよ、食べるものがないかもしれない"
「うーん、なら私がうさぎでも狩るね」
えっ。
俺がびっくりして顔をあげると、すごい勢いで駆け出していく少女の後ろ姿が見えた。
唐突なロケットスタート。
「ぎゅんっ」とか音がしそうなぐらいの加速を見せた少女の背中があっというまに遠ざかっていく。
翻るワンピースの裾が大木の陰に隠れると、森の静寂が戻ってきた。
どうしようかと思ったが、自分がよたよたあとを追いかけても邪魔になる。
木のシワの数でも数えてるかーと俺が倒木に腰掛けると、森の向こうからすごい勢いで少女が戻ってきた。
人間って高速で動くと怖いのな。
手足をしゃかしゃか動かしながら急接近してくる白ワンピの女の子は、相当なホラー映像だった。
俺、グールなんだけど、俺みたい定番モンスターより絶対上位の狂気をはらんでると思う。
ずざーっと俺の前で急停止した少女の手には、野うさぎが二匹、耳を握られて揺れていた。
ひぇっ
まだものの5分も経ってないんですが…
「グールさんにも一匹あげるね」
"あ、ありがとう"
ところでグールは生肉をマルカジリできるが、人間はそうは行かない。
塩とか欲しいけど、手持ちは無いし、とりあえず焼くぐらいしかできないだろう。
俺は迷ったが、この少女は魔法使いだ。
火ぐらい自分で起こすだろうな、と思った俺は、離れたところでもらった野うさぎを頂くことにした。
バリバリ野生動物を頭からかじる姿は、人様には見せられないよ。
実はグールになって初のお肉である。
俺にとっては最後の晩餐になるかもしれない。
しっかり堪能させてもらった。
絵面はもうどうしようもないぐらいのスプラッタなのだが、とてもとても美味しかった。
ごちそうさま、天使ちゃん。
この御恩は死んでも忘れません。
なにせ、グールだからね。死んでも覚えてるから、嘘にはならない。
ちなみに生肉にかじりつくことに対するためらいとか特に無かった。
生前、一時期人間捨ててた時期があったのだ。
腹壊さなきゃなんでも良いわ。
俺の適応力の高さには定評があった。
グールになって初めて満腹になった俺は、それこそゲップしそうな満足ヅラで、少女のところに戻った。
早めにもどって女の子のお食事姿を堪能するのだ。
女の子がおいしそうに物を食べてる姿が俺は好きだ。
嫌いな人間はいないか。
今日の食事は二度美味しい。うへへ。
そんな俺の思惑に反して、少女は、うさぎを抱えたまま、途方にくれていた。
どうしたのかしら。お腹痛い?
"食べないの?"
「火をおこしたいんだけど…」
彼女はハの字眉毛の困り眉で、抱えたうさぎを見つめていた。
火なら魔法でおこせばいいじゃん、とは俺は言わなかった。
魔法使いがマナを放出したくない理由なんていくらでもある。
例えば、自分に追っ手がかかってるときとかな。
おれはよっこらしょと地面に腰を下ろすと、その辺の乾燥した枯れ木を集めて発火の魔法を放った。
"できたよ"
「すごい!ありがとう、グールさん。魔法が使えるなんて思わなかった!グールさん、すごいのね!」
少女は喜色満面でお礼を言う。
俺は驚きで目を丸くした。
俺の目玉こぼれ落ちたりしない?大丈夫かな。
生前おれはこれよりよほど強い魔法をがんがん使っていたが、特にそのことを褒められたことはない。
知り合いの火魔術師のシェリーなんて、へーその程度しか使えないんだ、ふーん、ぐらいにおれのことを見ていた。
くそう!でもヤツのほうがかっこいい魔法をいっぱい使えたのだ。くやしい!びくんびくん。
そんな俺が、まさか発火程度で褒められる日がこようとは。
少女は嬉しそうに火を育てると、うさぎの肉を焼きはじめた。
「流石に食器もなしだとワイルドすぎるね」
木の枝に指したモツを火で炙りながら、少女は笑った。
滴る油がジュッという音を立てて火の中に消える。
ちょっと生かな~、などと言いながら少女は豪快に串にかじりついた。
むしゃむしゃと盛大に咀嚼してからごくんの飲み込む。
ほとんど一口だ。
食器があっても今の君の姿はワイルドだと思うよ。
俺は、そう思った。
二人で腹一杯になるまで食べた後、少しまったりした時間を過ごした。
「私、リコっていうの、グールさん」
"おう、おれはグールさんだぞ"
少女あらためリコが俺の方に向き直った。
「グールさん」
彼女の声に真剣な響きを感じ取った俺もまた、体をリコに向けた。
月なみな感想だけど、ルビーみたいに澄んだ瞳がとても綺麗だった。
俺の瞳は水晶体が白濁してるから、なおのこと綺麗に感じる。
「助けてくれてありがとう。私にお礼をさせてください」
素敵な申し出だ。
やっぱこの娘は天使だったんや!
俺は一も二もなく飛びついた。
"えっ、いいの?じゃあ、リコの無理にならない範囲で俺を助けておくれ。何をしてくれても多分俺は嬉しいから"
「うん、わかったわ。グールさん。これからよろしくね!」
俺は、とても嬉しかったのだ。
俺はもう壊れかけのグールだ。
彼女の役に立てることはあまりないだろう。
でも一人ぼっちの寂しさも知っているつもりだ。
ほとんど動くことさえできない身だけれど、それで彼女の気が紛れるなら、一緒にいさせてもらえると嬉しい。
それになにより、リコ超かわいいし。
などと、俺は平和なことを考えていた。
俺はこの天使の本性を何も知らなかったのだ。
それとは別にすごい気になってることが一つあった。
俺のセリフ、実は心の中で思ってるだけなのだ。
だからたとえば"ありがとう"って俺が言おうとした時は「ゲグゥグルウ」みたいなうめき声しか外には漏れていない。
でも普通にリコとは会話が成立してる気がするんだ。
気のせいじゃないよね。
もしかして、リコはアンデッド読心術とか持ってるんだろうか。
死霊術にそんなスキルがあったような気もする。
やばい。
もし持ってるなら俺の恥ずかしいあれやこれな記憶も覗かれてしまう。
まじやばい。
素敵な相棒ができた反面、俺はいろいろと気が気じゃなかった。
これでもカッコつけたいお年頃なのだ。
俺の焦りを知ってか知らずか、リコはにこにこしながらおれの禿げた頭を撫で回していた。
仲良くなったら撫でてみたかったんだそうだ。
いや、それどうなんだろ、リコちゃん。