第九十七話 男女平等
「懐かしいわね、ユメ! 学校以来かしら?」
困惑顔を浮かべるユメ先輩を意に介さず、黒髪ロングの美女は軽やかな足取りでこちらまで来ると、白魚の様な指をユメ先輩の肩に置いた。
「元気にしてた、ユメ?」
「な、ナターシャ……う、うん! 元気にしてたわよ。ナターシャは?」
「私? 私は元気よ~。ちょっと寝不足だけどね~。ほら? カレシが寝かせてくれないから」
「彼氏が――か、かれっ!! ちょ、ナターシャ!? アンタ、真昼間から何言ってるのよ!?」
「あはは~。変わんないね~、ユメ。相変わらずの純情さんなの? そんな事じゃ何時まで経っても――」
そこまで喋り、黒髪ロングの美女は視線をチラリと小太郎先輩に向ける。
「……へえ~。なーに、ユメ? デート?」
「で、デートって! そ、そんなんじゃ……」
「なに照れてんのよ? 彼氏さん、どう? この子、すっごい純情だから『満足』してないんじゃないの? どう? 私が『満足』させた上げようか?」
「な、ナターシャ!」
「じょーだんだって。だってアンタの彼氏、冴えない感じだもんね~? 私だって選ぶ権利ぐらいはあるもーん」
そう言って楽しそうに――まあ、こっちからしてみたら不快以外の何物でもない、小馬鹿にした様にキャハハと笑う女性。まあ、話の流れ的にユメ先輩の知り合い、つまりはまあ、サキュバスなんだろうけど……つうか、この街、サキュバス多過ぎねー?
「……ひ、久しぶりですね、ナターシャ」
なんとなく、ユメ先輩が『カチン』と来たのを見て取ったか、トリムが慌てた様にその不快な笑い声を遮った。そんなトリムの声に、面白く無さそうにナターシャと呼ばれた女性は視線をトリムに向けて。
「……居たんだ、『樽』」
「っ……え、ええ。いましたわ」
「ぷっ。『いましたわ』だって。なに? まだそんな言葉づかいしてんの? 幾らあのお方の娘だからって、そんなカシコマッタ喋り方しても全然似合ってないわよ? ちゃんと鏡見てるのかしら、ト・リ・ム・サ・マ~?」
そう言って侮蔑と嘲笑をハイブリッドした嫌味な笑顔をトリムに向けるナターシャ。と、その笑顔が一瞬で引き攣った。
「ひぅ! ちょ、トリム様? アンタなんでオークなんて連れて来てるのよ! なに? 人間に相手にされないからってオークで妥協したってワケ!?」
……ああ、なんだろう、この懐かしい感覚。オークじゃねーよ、俺は。霊長類ヒト科だ。
「な、ナターシャ! このお方はオークではありません! れっきとした人間です!」
「……へ? に、人間? これが?」
「……人間で悪かったな」
『これ』とか言うな。つうか、震える指で俺を指すな。流石にへこむぞ、俺も。
「……ふ、ふーん。人間なんだ。そ。良かったね、トリム様? 人間に相手して貰えて? あー、でも、勉強になったわ? アレね? トリム様みたいな容姿でも相手さえ選ばなきゃ、人間に相手して貰えるって事が分かったわ」
そう言って少しばかり上機嫌になったのか、色っぽい流し目をこちらに向けるナターシャ。
「……でも、男性側は満足してないかも知れないわよね? お相手が『樽』じゃ、貴方もストレスが溜まるんじゃない? どう? 今晩、相手でもしてあげようかしら?」
そう言って俺の耳元にふーっと息を吹きかけて来る。クラクラ来るような甘い香りと、男好きのする潤んだ瞳に、俺もついつい口角を上げて。
「なあ、トリム? こいつ、ぶん殴っても良いのか?」
イイ笑顔を浮かべたまま、拳を握りしめてハーっと息を吹きかけた。俺のその仕草に一瞬ポカンとした顔を浮かべた後、慌てた様にナターシャが俺から後ずさった。
「な、なに言ってるのよ、コイツ! 頭おかしいんじゃないの!?」
「ま、マリア様! 抑えて! 抑えて下さいませ! た、確かにオークと間違われるなどお怒りは御尤もですが、それでも彼女は我が種族のものです! 私の方からきつく言っておきますので、此処は抑えて下さいませ!」
ナターシャとトリムの悲鳴にも近い声。その声に、少しだけ首を捻る。
「オークと間違えられる? んな事で怒るか」
そもそもオークにはラインハルト君っていうイケメンがいるんだぞ? オーク=不細工みたいな方程式は成り立たん。まあ、残念イケメンではあるが。ロリコンだし。
「正直、容姿に関して誰かに褒められる様な優れたもんだとはこれっぽちも思ってねーし、しかも今更の話だ。んな事で一々キレてたら、俺の通う学校は血の海だぞ」
正に世紀末って喧しいわ。
「で、では……な、なぜ?」
「別に自分の容姿を貶されようが腹も立たんが、ちょっと人様より顔面のプリントが優れてるからってそれを誇らしげにするヤツが個人的には好きじゃねーからだ。綺麗なお顔に産んでくれたお母さんに感謝しやがれ。特にお前ら、サキュバス族なんだろ? 容姿の良さはそのまま、種族の差ってやつじゃねーか。んなもんで誇らしげに語るな、アホが」
アレだ。自分一代で財を築いた人間が金持ち自慢をするのは腹も立たんが、某国民的アニメの青狸えもんに出て来る『パパのクルーザーでパーティーをするんだ』なんて自慢気にしている髪型の特徴的なおチビは何となく鼻持ちならないのと一緒である。
「そ、それでも女性を殴るのは……し、しかもマリア様の膂力で、ですか?」
「いい言葉だよな、男女平等。俺は男女差別はせん主義だ」
権利を主張するなら義務だって果たせ。殴られる覚悟も無い癖に唾を吐くなと俺は思うぞ?
「で、ですが! やはりいけません!」
そう言って俺の前で両手を広げて通せんぼをするトリム。流石に『樽』と呼ばれるだけある。その圧倒的な質量に、元来が細身のナターシャの姿がすっぽりと隠されてしまった。
「どけ、トリム。そいつ殴れない」
「ですから、殴ってはいけません! 穏便に!」
「この上なく穏便だろうが。一発で済ませてやるんだぞ? 咲夜や麻衣辺りが調子に乗ってたら、顔面の造詣が変わるぐらいぶん殴ってやる所存なのに」
「ヴァイオレンス!? だ、ダメです、マリア様! 女の子にそんな事をしたら!」
……まあ、流石にそれは冗談だが。だが、油性マジックでおでこに第三の眼を書くぐらいはきっとするだろう。
「ほ、ホントに頭おかしいんじゃないの!? あーやだやだ! これだから『変わり者』とは付き合いたくないのよね!」
そんな俺らのやり取りを好機と捉えたか、ナターシャがトリムの体に隠れたまま後ずさり俺との距離を取る。ちょ、逃げんなよ。
「もう付き合ってらんないわよ! あ、そうそう! ユメ、今度の『同窓会』、顔出すんでしょ? 今回はそこの『カレシ』も連れて一緒においでよ。じゃーねー」
そう言ってナターシャは身を翻してスーパーの入り口に駆ける。その姿をじとーっとした目で見つめた後、俺はため息交じりにトリムに視線を向けた。
「……逃げられたじゃねーか、えも……じゃなくて、ナターシャに」
「マリア様が『獲物』とか言ったら本当に冗談に聞こえませんから!!」
少しだけヒステリックに叫ぶトリムに胸中でもう一度溜息を吐き――そして、なんだか嫌そうに顔を顰めるユメ先輩に俺はその視線を向けた。




