第九十四話 兄キャラも偶には弟になったりしたりする。
「楽しかったです、マリア様!」
ニコニコ笑顔を浮かべて、『食材の枯渇』という異常事態の為にスーパーに繰り出した俺の隣を歩くトリム。言葉通り、その……ふ、ふくよか? まあ、恰幅の良い体格の全身から『私、楽しかったです!』という雰囲気を全面に押し出すトリムに、俺も苦笑交じりの微笑を浮かべて見せる。つうか、『恰幅が良い』って女性に使う言葉じゃねーよな、うん。すまん、トリム。
「……そっか。俺も楽しかったぞ?」
そんな罪悪感交じりと、でも事実楽しかった事に対する気持ちを込めた俺の言葉に、トリムが物凄く微妙な顔をして見せる。なんだよ?
「あの……マリア様? お、お顔が少し……どうしましたか? 誰かを滅す瞬間の様な微笑みを浮かべておられますが……お、お気に触ったでしょうか?」
「……どういう意味だよ?」
精一杯の微笑みだっつうの! 謝って損したわ!
「……まあ、確かに俺の微笑みとか怖いだけだもんな。悪魔の笑みって感じだし」
「そ、そんな事――………………い、いえ! そんな事はありません!」
「……随分長い間があったな、今」
だよね? なんか最近ちょっと忘れ気味だけど、基本俺、世紀末覇者だしね。この反応が新鮮な気がしてたけど、どっちかっていうと慣れ親しんだ感じだよね。マリア、うっかり! てへぺろ!
……おい、そこ。俺がてへぺろとかしたら獲物を狙って舌なめずりしている様にしか見えないとか思うなよ?
「……でもまあ、確かに俺も楽しかったぞ、セッション。つうかトリム、お前やべーな? なんだよあのスラップ。めっちゃ格好いいじゃん」
「そ、その様な事は! そ、その……ま、マリア様も本当に格好良かったです! 力強くて……そ、それにあのアルペジオもとても美しくて!」
「キャラじゃないってか?」
「も、もう! その様な事は…………ちょ、ちょっとだけ」
照れたように下を向きながら、それでも楽しそうにちろっと舌を出すトリム。そんなお茶目な姿に、俺も少しだけ怒ったふりをして見せる。
「おい!」
「きゃあ! 済みません!」
後ろに音符でも付きそうな程に楽し気に逃げるふりをして見せるトリム。そんな姿に苦笑交じりに肩を落として見せる。
「……ふふふ。でも、マリア様? 私、本当に楽しかったのです」
「あー……まあな。ギターとかならまだ誰かと一緒に練習とかも出来るけど、ベースはちょっと難しいかも知れないよな」
なんなんだろうね、あの『楽器と言えば取りあえずギター』率の高さ。小学生女子とかだたったらピアノスタート多いんだろうけど、中高生男子のギター選択率は有り得ねーぐらいに高いと思うぞ、俺。そんで、『F』で躓いて辞めるんだよ。
「……そうですね。でも……でもですね、マリア様? 別にベースだけではありませんよ? 誰かとお料理するのも……こうして、一緒にお買い物に行くのも、全て初めての経験です。今、とても楽しいです」
「そうなのか? ああ、でも……そういやそうか。お前、サキュバスの姫だもんな? 下々のサキュバスじゃ恐れ多いってやつか?」
俺の言葉に、トリムは微笑みを浮かべてゆっくりと首を振った。
「いいえ」
横に。
「……マリア様? 『サキュバス』と言えばどの様な魔族を思い浮かべますか?」
「サキュバス? サキュバスって言えば、そりゃ……」
人の夢に入り。
人の夢を操り。
絶世の美女の姿で相手の前に姿を現し、そして生気と精気を根こそぎ奪い尽くす、夢魔。
「……私の姿と、そのイメージが被りますか?」
そう言って、微笑みを苦笑に変えて。
「……私の容姿はサキュバス族のスタンダードから著しく外れています。幾らサキュバス族の姫とは言え……いえ、姫だから、ですかね? 皆、私の事を疎んじていました。誰よりも高貴な身分にありながら、その身姿は誰よりも――」
――醜悪、と。
「醜悪って! んな事は!」
「では、マリア様? 私の容姿に少しでも心が惹かれますか? くらっと来てしまいますか? 一生の伴侶として隣で歩いて貰いたいと、そう思って下さいますか? ヒメ様や、マイ様、カナデ様やナルミ様よりも美しいと、お世辞を抜きにそう思って下さいますか?」
「……そりゃ……」
「そんな事は無いでしょう? ああ、別に責めている訳ではありません。それが当然ですので」
「で、でも! お前は……そ、その……容姿はともかく! 料理だって上手いし、ベースだって弾ける! 人にも、その、なんだ? 気が使えるっていうか、優しいっていうか……すまん、上手くは言えないんだけど……」
尻すぼみになる俺の言葉に、嫋やかな笑みをトリムは浮かべて小さく頷いて見せる。
「……ありがとうございます、マリア様。貴方の言葉は、本当に暖かい」
「っ! そ、そんな良いモンじゃねーけど……でもな? 俺は思うぞ? 容姿だってそりゃ、ねーよりはあった方がいいけどよ? 人間……つうか、魔族の価値は別にルックスだけで決まるんじゃね――」
最後まで、喋れなかった。
「――そうですね。魔族の価値は決してルックスで決まる訳ではないでしょう」
トリムが――今まで見た事の無い程、寂しそうにしていたから。
「でも、マリア様? サキュバスの価値は容姿で決まるのですよ」
「トリ――!」
「ま、ならば痩せろという話ですからね~。でもまあ、私は別に今の容姿に然程の不満を持っている訳ではないですので」
次の瞬間、先程までの表情が嘘の様にあっけらかんとした表情を浮かべるトリム。その姿が、なんだかこれ以上は触れてくれるなと言っている様で、俺は強張った表情を少しだけ緩めて見せた。
「……そうだな。まあ、健康の為にもダイエットぐらいはした方がいいんじゃねーか?」
「むー! マリア様、女の子に『ダイエットした方がいいんじゃねーの?』は失礼ですわよ!」
「いや、お前が言いだしたんだろうが。つうか、誰が見ても言うって、お前の場合」
「そ、それは……ううう……で、でもですね? 私、こう見えて運動は苦手なのですよ」
「いや、こう見えてもなにも、とても運動得意そうには見えねーけどな?」
走ったり飛んだり出来そうな体型ではないし。ああ、でもあれだけ多芸なトリムからしたら『こう見えても』もあながち嘘ではないのか?
「腹筋も出来ませんし……う、腕立て伏せも……スクワットはそのまま座り込んでしまいますし……」
「自重トレーニング系全滅かよ。つってもいきなりダンベルやらなんやらは危ないしな」
「そ、それに……き、筋肉がつくと余計に体重が重くなると聞きますし!」
「……すまん、トリムなら誤差の範囲だと思います」
『もう! マリア様の意地悪!』なんてポカポカと俺を叩くトリム。いてーいてーなんて適当に返しながら、目当てのスーパーに辿り着き、カゴを手に取って。
「……あれ? マリア?」
不意に後ろから声が掛かる。聞きなれた、それでも久しぶりに聞くその声に俺は後ろを振り返り、笑顔を浮かべて見せる。
「ちっす。お久しぶりです、小太郎先輩」
「うん、久しぶり。ああ、あけましておめでとう」
「おめでとうごさいます」
俺の笑顔にも動じる事をしない男性――高校の一個上の先輩である葛城小太郎先輩に頭を下げる。見た目はなんとなくひょろっこいこの先輩のいつも通りの柔和な笑顔に、俺も知らず知らずの内に笑顔を浮かべた。
「小太郎先輩はどうしたんすか? 買い物っすか?」
「ん……俺じゃないんだけど……ユメがな? 『疲れた時は甘いモノ!』って……こう、無理やり連れて来られた」
「ユメ先輩って……ああ……デートっすか?」
「……そんなんじゃねーよ。つうか、マリア? ニヤニヤすんな。感じ悪いぞ?」
そう言って俺の頭――は、届かないから、肩のあたりをコツンと小突く。イヤな感じは全くしない、そんなスキンシップに俺も大袈裟に肩に手を当てて見せる。
「いってーっす! 折れちゃいましたわ!」
「……むしろ俺の手が折れそうなんだけど? お前、またゴツくなったんじゃねーのか?」
呆れた様な表情を見せる小太郎先輩に、俺もにししと笑う。と、小太郎先輩が俺の後ろに居るトリムに気付いた。
「……と。すまん、お前、デート中だったか? 申し訳ねーな」
「んなんじゃねーっすよ。おい、トリム? ご挨拶」
「なに偉そうに言ってんだよ、お前は」
呆れた様な小太郎先輩の言葉に、はっと気づいたように慌ててトリムが頭を下げる。
「も、申し遅れました! わ、わたくし、トリムと申します。その……ま、マリアさ――マリアさんとは……ご、ご友人?」
「ま、そんな所だろうな」
「ご友人をさせて頂いております。以後、お見知りおきを」
『様』とか『婚約者』とか言わない辺り、流石に麻衣や奏みたいな『がちゃがちゃ』とは訳が違う。そんなトリムの挨拶に、小太郎先輩は笑顔を浮かべて頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします。マリア――大本君の高校の先輩で、葛城小太郎と申します」
「先輩、先輩!」
「……んだよ?」
「抜けてますよ! 『学校が誇る二大アイドルに二股掛けてるイケメンです』ってのが!」
「ちょ、おい! んな事してねーよ!」
「またまた~。マジぱねーっすわ、パイセン!」
「……怒るぞ、マリア?」
小太郎先輩の睨みつける眼差しに、『くわばわくわばら』と言いながらトリムの背中に隠れる。でかくて隠れやす――おい、なんだよ、トリム? その訝し気な表情は。なんだ? 俺が失礼な事考えてるのに気づいたのか? エスパーかよ?
「い、いえ……その……ま、マリア様がその様に……こ、子供っぽい? そんな姿になっている事に……すこしばかり、驚いてしまって」
「……はあ。トリムさん? こいつ、俺の事完全に舐めきってるからさ? こんな態度取るんだよ。おい、マリア? 先輩だぞ、一応?」
「いやいや、小太郎先輩? 舐めてるなんてそんな! マジで尊敬してます! 先輩! じゃ無かった、パイセン! マジカッケーっす!」
「……な?」
「あ……い、いえ……その、これは舐めているというより、じゃれている様にしか見えないんですが……」
お、良く気付いたな、トリム。
「そうだよ、俺はこの先輩にじゃれてるんだよ。この人、こう見えてスゲーんだぞ? 一見冴えない、何処にでもいるモブキャラに見えるが」
「まて、後輩。盛大にディスってる」
「絵の才能は抜群で、二科展っつう……まあ、スゲーコンクールみたいなので賞貰ってるんだよ。それだけじゃなくて、勉強だって出来るしな。小太郎先輩、何処狙ってるんでしたっけ?」
「……港を照らす大学」
「うわ、それ感じ悪いっすわ! 普通に言えば良いじゃねーっすか。『俺、東大狙ってます。つうかA判定っすわ。この間の全国模試、37番でしたわ! ははは、寝てても通りますわ!』みたいな!」
「言わねーよ! つうかお前、『東大狙う』っつたらなんて言ったか覚えてんのかよ!」
「え? 知らない話ですね~」
「お前は……『え? 東大狙うんっすか? 絵の才能もあって、勉強も出来て、二大美女に言い寄られてるって超リア充じゃないっすか! 爆発したら良いんじゃないですかね!』って言いやがったんだよ! 今まで見た事のない、超良い笑顔でな!」
「そうでしたっけ? それは……本当に済みませんでした」
「え? あ、いや、別にそこまで真剣に謝って――」
「ちょっと本音が漏れました」
「――手を付いて謝って貰おうか?」
瞬間、般若の様な顔になる小太郎先輩。そんな先輩が楽しくて笑ってる俺に、トリムが呆れた様な、それでいて優しい微笑みを浮かべて見せる。
「……マリア様は小太郎様の事が大好きなんですね?」
「ん? まあな。つうか嫌いな人にはこんな絡み方しねーよ」
怖がられるし。
「ったく、お前は本当に……おい、マリア? そんなのに騙されてやんねーぞ?」
「またまた。そう言って騙されてくれるから、俺は先輩大好きなんですよ」
「だから――って、待て。それはお前、完全に俺の事騙してるって告白してるよな?」
「……ひゅーひゅー」
「誤魔化し方が雑!? つうか、お前、他の人の前ではちゃんとお兄ちゃんキャラしてるんだから、俺にもちょっとはその優しさ向けろよな。そんな事だか――」
「……先輩、先輩」
「――ら……なんだよ?」
「お話し中スイマセンが……あれ、貴方の彼女じゃねーっすか?」
「は? だから彼女じゃ――」
言いかけて、小太郎先輩の口が止まる。開閉を忘れた様に、あんぐりと大口を開けて。
「――ユメ! お菓子は一個までって言ったろ!」
籠一杯にお菓子を入れた女性に大声で叫ぶ。叫ばれた女性は、『ヤバっ!』という表情を浮かべた後、とっさに逃げ出そうと踵を返して。
「――ユメ? ユメじゃありませんか!」
その行動を止める様、俺の隣のトリムが小太郎先輩に負けない程の大声を上げた。って……は?




