第九十三話 正妻の名は
トリムも来た事だし、折角みんな集まってることだからと、夕飯は我が家で取る事になった。正月明けで『おせち』にも飽きて来たという理由もあり……まあ、無駄に食材もあるので鍋でいっか、という事で料理……という程の事でもないが、鍋を作る事になったのだが。
「トリム?」
「はい、マリア様。タラです」
「さんきゅ。っていうかすげーな? 魚、下ろせるのか?」
「料理は好きですので」
そう言って俺に綺麗に三枚に下ろしたうえに、鍋用に食べやすいサイズに切ったタラを差し出しながら、少しだけトリムが苦笑をして見せる。
「……むしろ、このお宅の方が凄いですわ。鍋をする、と言ってタラがまるまる五匹出て来たのは驚きましたが」
「切り身の方が簡単だけど、一匹単位で買った方が無駄なく使えば結局安上がりになるしな。出汁も取れるし……なんだ、ウチは良く食う人間が多いしな」
「……あの、こ、この体型を見て頂ければ分かると思いますが……お、お恥ずかしながら、私も……た、食べる方でして……」
「ん? ああ、気にすんな。たぶんお前より俺の母親とか親父の方が良く食うぞ? 俺もだし、咲夜や麻衣も良く食うしな」
「……サクヤ様もマイ様もお食べになるのですか? それであの体型なんて……羨ましいです」
「あいつらはその分、良く動くからな――って、皿、洗っといてくれたのか?」
「え、ええ。あの、何か不味かったでしょうか?」
何故かしゅんとした後、捨てられた子犬の様な瞳でこちらを見上げるトリム。そんな庇護欲そそる視線に、俺は慌てて首を左右に振った。
「ああ、違う違う。助かるって話だ。ありがとな」
「い、いえ。こう、料理の合間に手早く洗えるのは洗っておいた方が後片付けが楽になるので」
「だよな! そうなんだよ~。後片付けまでして料理だよな?」
「え、ええ! その、普段料理をされない方は、料理をするだけで満足為されるのですが……その、キッチンにこんもり洗い物が溜まっていると、こう……」
「わかるわかる! だよな~! ウチの親父とかそうなんだよな~。いやな? 『たまには俺が作る!』って張り切ってしてくれるのは良いんだけど……」
「で、ですです! あ、有り難いのですよ? 有り難いのですが……」
「そうなんだよな~。完璧善意でやってくれてるから、あんまり邪険にも出来ないんだよな。でもさ? その後、ちょっと『どや!』って顔されるとイラっと来ねーか?」
「……そ、その……『いら』は言い過ぎですが……後片付けは私がするんですね? という気分には……」
「ははは! 分かる分かる! と、ああ、トリム?」
「はい、お醤油ですね? 薄口で良いですか?」
「あー……そうだな。トリムはどっち派?」
「皆さんはどちらですか?」
「濃口好きが多いな」
「それでは濃口にしておきましょうか」
「良いのか?」
「私はどちらも美味しくいただけますので。はい、これです。それと……マリア様?」
「ん? どうした?」
「その、お料理とは関係ないのですが……マリア様、ギターをお弾きになるとお聞きしたのですが……」
「お弾きになるって程大したモンじゃねーけどな。なんだ? 弾けってか?」
「え、ええ! ぜひ、お聞きしたいのですが……その、ですね? 実は私、ベースを少し嗜んでおりまして」
「マジか! スゲーな!」
「い、いえいえ! その、本当に初心者も初心者なのですが……こ、こう、やっぱりベースだけでは少々味気ないと申しましょうか……周りに楽器をしている方もおりませんので、どうしても、CDなどの音楽に合わせてとなりますので……」
「ああ、ベース弾きは結構言うな。ベースソロとかかっけーなとは思うんだけどな? ピック派?」
「ツーフィンガーの方が……最初に練習したからか、どうしてもピックは苦手でして。そ、それでですね? その……セッションなど、どうでしょうか?」
「いいぜ! 俺も久々に弾きたいしな。んじゃ、セッションしてみるか? アンプは何台かあるし」
「はい! ぜ、ぜひ!」
「うっし。それじゃ料理終わったらちょっと合わせて見るか。曲は? 何が良い?」
「マリア様のお好きな曲で大丈夫です! 230の16分ぐらいまでなら弾けますので、恐らくどんな曲でも概ね合わせる事が出来ると思いますが……」
「……ツーフィンガーで? それ、人間業じゃ……ああ、人間じゃねーか」
「ああ、すみません。流石に230になると、3本は要りますが」
「どっちにしろスゲーよ。全然初心者じゃねーじゃねーか」
「い、いえいえ。お上手な方は沢山おられますので……」
まあ、上見たらキリがねーしな。
「ギターは弾かねーの? なんかベース上手い人って片手間でギターも弾いてるイメージあるんだけど?」
「じ、実は前々からギターは弾いてみたいと思っていたのです! そ、それでですね? そ、その……厚かましいお願いで恐縮なのですが、で、出来ればマリア様? 少しギターを教えて頂ければ……」
「ん、いいぜ」
「宜しいのですか!? お願いしていながらなんですが、お手間では?」
「そんだけベースが弾ければ、ギターの上達もはえーだろう。全然手間じゃねーよ。あ、TABしか読めない派?」
「いえ、むしろTAB譜の方が苦手です。音が想像出来ませんので」
「んじゃ基礎は問題ねーだろう。いいぜ! その代り、スパルタだぞ?」
「あ、ありがとうございます! はい、望むところです!」
冗談めかしてそう言った俺に、『むん!』と握りこぶしを顔の前で作って見せるトリム。そんな姿に俺も苦笑を浮かべ。
「……ね、ねえサクヤ? あの二人は何の話をしてるの?」
「ほえ? え、ええ? 私に聞く? わ、分かる訳ないじゃん!」
……おい、アイドル。仮にも歌うたって飯食ってるんだから、BPMぐらいは分かれよ。
「……っていうか、トリムさんとお兄ちゃん、凄いね~」
「え? ど、どういう意味、サクヤちゃん?」
「ほら、ウチの台所って決して広い訳じゃないんですよ、ヒメさん。お兄ちゃんはあんな体型ですし、その……ま、まあトリムさんも小柄って訳じゃないでしょ? 普通はお互いが動くのだけでも精一杯なんですけど……二人はほら、なんかダンスみたいにクルクル入れ替わって料理してるじゃないですか。ね、お兄ちゃん?」
……ん?
「……ああ、確かに。言う通りだな、サクヤ」
「でしょ?」
「おふくろと料理すると必ず体が当たるしな」
先日は包丁が鼻先まで迫って来たからな。肉を切れとは言ったが、俺の肉を切れとは言って無いのだが。つうか俺、多分筋張って美味くねーぞ?
「確かにトリムとの料理はやり易いな。どう動くか分かるっていうか……」
「そ、その……私も、マリア様とのお料理は凄くやり易いです。こう、私だったらこうする、という所にマリア様が動いて下さるので、工程が半分になっているというか……し、失礼でしょうが、私がもう一人いる様な……」
「あ、それは俺も思った。俺ならこうしておくのに、ってこと、トリムがやってくれてるしな」
さっきの洗い物とか顕著な例だな。スゲーやり易いし。
「トリムがずっと居てくれたら、随分楽になるな。ウチに住むか?」
冗談交じりにそう言って見せる。と、トリムの顔が真っ赤に染まった。
「……あれ?」
「…………はぁ。お兄ちゃん? お忘れかも知れないですが、トリムさん、お兄ちゃんに嫁入りに来たんですよ?」
「…………あ」
……わ、忘れてた! い、いや! 料理が楽しすぎてだな! そんな俺に、咲夜が呆れた様な表情で溜息を吐いて。
「……これは私の真のお義姉ちゃんはトリムさんで決定かな~」
「「「…………マ~リ~ア?」」」
……他の皆の顔が、怖くて見れませんでした。っていうか奏に鳴海。お前らまで『マリア』って言うなよ……




