第五十三話 魔王様の掌の上
開け放したままの窓を呆然と見つめながら固まる俺とヒメ。と、後ろでドアが開く音がした。
「おい、マリア! 何事だ!」
「マリアくーん? 夜中にバタバタうるさ――さむっ! なんで窓開けてるのよ! 閉めようよ、コレ!」
ラインハルトと魔王様の声に、ようやく意識が戻って来る。そ、そうだ!
「ら、ラインハルト! 咲夜が……ああ、いや、咲夜だけじゃなくて、えっと、麻衣と奏と鳴海と、クレア……は違う!」
「お、落ち着け! 肩を掴むな! なんだ? 何があったんだ? お前の顔を見る限り、ただ事ではないようだが……」
肩からゆっくりと俺の手を引き離すラインハルト。『落ち着け』と、優し気な目でこちらを見つめるラインハルトに、少しだけ意識が正常に戻る。
「……わるい」
「構わん。それで? 何があった?」
「その……咲夜と麻衣と奏、それに鳴海が攫われたんだ」
「……攫われた? 誰に?」
「ヴァンパイア。ローザ・アインベルクって言ってた」
「……アインベルク家か。確か、族長であるレークス家の次に力を持つ家だな。中々に厄介な相手だ」
そう言ってラインハルトは首をコキコキと鳴らす。
「……さて。それでは夜も遅いし、さっさと行こうか」
「……行く? 行くって、ど、何処に?」
「何処に? 何を馬鹿な事を言っている。行先など一つに決まってるだろう?」
――アインベルク家、と。
「……ラインハルト……手伝ってくれるのか?」
「手伝う、という言い方は些か間違えだがな。私はただ、サクヤ嬢やマイ嬢、カナデ嬢やナルミ嬢を助け出したいだけだ」
「……」
「なんだ? いかないのか、マリア?」
「……アホか」
行かねー訳、ねーだろ? 俺の大事な妹分だからな! 俺が助けに――
「ねえ~?」
――そんな俺の想いとは裏腹、なんだか気の抜けた魔王様の声が聞こえて来る。気勢を削がれるその声に、少しだけ胡乱な目を向けて見せる。
「……なんですか、魔王様?」
「いや、そんなに慌てなくても良くない? だって、クレアちゃんが付いてるんでしょ? それって……まあ、ちょっと予想とは違うケド『予定通り』だし」
「慌てなくて良い訳ないでしょ! 攫われたんですよ? 誘拐ですよ!? 大丈夫な――」
……。
………。
…………。
「……予定通り?」
今、なんか聞こえちゃいけない言葉が聞こえた気がした。そんな俺の視線に、魔王様はにこやかに頷いて。
「うん! 予定通りだよ!」
……………………はあ?
◆◇◆◇
「うーんっと……どっから話せばいいのかな~?」
「最初からに決まってるでしょ!」
正座をさせられたまま、首をコクンと傾げる魔王様の言葉に、肩を怒らせてグイっと詰め寄るヒメ。普段なら止める所だが、今回は俺も流石に冷静に対処出来ない。
「……魔王様?」
「あーもう、分かった分かった! 話します! 話せばいいんでしょ~? もう~我儘だな~」
そう言って肩を竦めて――いや、魔王様? なんでそんなに上から目線なんですかね?
「うんと……そうね、話はクレアちゃんが魔王城に来た所に始まる――と、その前に……そうだね。此処まで来たらもう言ってもいいかな? えっとね? クレアちゃん、ヴァンパイアだって言ってたでしょ?」
「……そうっすね。ヴァンパイア一族の族長の娘って言ってましたよ」
そんで血が吸えないって嘆いていたからな、うん。そんな俺の言葉に魔王様はうんうんと頷いて。
「アレね? 嘘なんだ」
さらっと、トンデモナイ事を言いやがった。は?
「う、嘘? クレアはヴァンパイアじゃないって事ですか!?」
「うん。クレアちゃんはヴァンパイアじゃないよ」
「えっと……そ、それじゃ当然族長の娘だなんだって言うのも……」
「あ、それはホント」
……。
………。
…………。
「……意味が分からないんですけど? え? クレアはヴァンパイア一族の族長の娘だけどヴァンパイアじゃないんですか? 養女とか?」
「ううん。血が繋がったホントの娘だよ。娘なんだけど……」
少しだけ、言い淀み。
「――クレアちゃんのお母さんね? 人間なんだ」
「……は?」
「クレアちゃんのお母さんは人間なのよ。だから、クレアちゃんは正確にはヴァンパイアじゃなくて『ダンピール』って訳」
――ダンピール。
ヒトと吸血鬼の混血であり、人間と変わらない外見を持つが吸血鬼を倒す力を持つ半人半妖の生物。東欧やロシアの伝説ではポピュラーなモンスターだ……って、じゃなくて。
「えっと……え……えええええ!?」
『えええ』ぐらいしか声が出ないよ。マジか?
「マジよ」
「えっと……クレア、血を見たらバタンキューするんですがなんか関係あります?」
「ダンピールって吸血行為得意じゃないからね。血を見たら倒れるってのは……うん、体質じゃない?」
「……教会とかへっちゃらって言ってましたけど?」
「カトリックの吸血鬼ハンターだったらしいわよ、クレアちゃんのお母さん。遺伝じゃない?」
「……流水も大丈夫って」
「半分人間だしね」
「……招かれなくても入れるって云うのも?」
「それはクレアちゃんの性格じゃない?」
「……さっき、クレアの片目が黒かったのは……」
「オッドアイなのよ、クレアちゃん。普段はカラコン入れてるらしいわよ。たまたま、ずれたんじゃない?」
「カラコンとかあんのか! っていうかなんで魔王様がそれを知っているんですか!」
カラコンも衝撃だったが、魔王様が知っている事も驚いた。ホントに、なんで知ってるんだ、この人?
「ラインハルトがマリア君の『側付』になる事が決まった時にヴァンパイアの族長……クレアちゃんのお父さんね? お父さんがふらっと来たのよ。『クレアをヒメ様の側付に』って。そんときに聞いた」
「……おうふ」
「ヴァンパイア一族って、そりゃもう激しいほどの『純血主義』なのよ。ヴァンパイアとヴァンパイアの間に生まれた子供以外は絶対に認められないのよ。『不浄の血が混じる』ってね?」
「……その不浄の血を啜ってる癖によく言いますね?」
「ヴァンパイアに取って人間なんて家畜と一緒だからね。家畜とヴァンパイアの合いの子なんて、ヴァンパイア一族から見れば唾棄すべき存在なのよ」
困ったモノね、なんて溜息を吐く魔王様。そんな魔王様を見ながら、俺はなんだか沸々と怒りが湧いてくるのを覚えていた。
「……んじゃ、なんですか? その……吸血鬼の族長? ソイツ、クレアの事が邪魔になったから魔王城に押し付けたって事ですか? 唾棄すべき存在だから、要らない子だから、俺らに押し付けたって事ですかっ!」
そりゃ……確かに、クレアは咲夜達を攫って行ったさ。でもな? アイツ、明らかに脅されてただろ? きっと、悪い奴じゃないんだよ。だって、お前、『世界で一番大切なモノ』って言ってあんなガラクタ集めて来るんだぞ? ホントはアレを持って行くつもりだったんだろうが。
「ああ……まあ、今の話だけ聞いてたらそういう見方にもなるよね。でもね、マリア君。今回は違うんだ」
「……違う?」
「そ。確かにヴァンパイアに取ってダンピールなんていうのは『不浄の血』が混じったマジリモンな訳。ヴァンパイアからして見たら、誰よりも憎むのはダンピールって言っていいぐらい、憎い敵な訳よ」
「……」
「そんな所に置いておいたら、クレアちゃんだって息が詰まるじゃない? だから、魔王城に出仕させてくれないか? って話が来たのよ」
……なるほど。確かに環境は悪そうだな、それ。
「でも……なんで魔王城なんです?」
他にも行く所がありそうなモンだが。そんな俺の言葉に、魔王様は視線をラインハルトに向けて。
「そりゃ、ラインハルトが来たからよ」
魔王様の言葉に、ラインハルトが慌てた様に目を見開いた。
「わ、私ですか?」
「まあ、ラインハルトだけじゃないけど……ラインハルトってオークとエルフのハーフでしょ? ヒメちゃんだって魔族と人間のハーフだし、マリア君は純粋な人間……人間じゃない?」
「なぜ人間で言い淀んだかは敢えて追求しません」
追求しないが……そうか。そういう事か。
「環境が良い、と?」
「あそこに比べれば何処でもイイと思うけどね。でも、それでもやっぱり『ダンピール』ってあんまり好かれるモンじゃないのよ。それならば、生い立ち……境遇? まあ、ハーフが一杯いる所に放り込んだ方がイイでしょ?」
外国人がインターナショナルスクールに入る様なモンよ、と少しだけ笑い言葉を続ける。
「んで、ヴァンパイア一族、今結構揉めてるらしいのよね。ああ、これはクレアちゃんは関係ないんだけど……まあ、良くある権力争いよ。レークス家と同じくらいの力を持ったアインベルク家ってのがあるんだけどね? そこが族長の座を狙ってるんだって」
「アインベルク……ローザの……誘拐犯の家、ですかね?」
「うん、そう。そのローザって子、クレアちゃんが血が吸えないってのが分かって随分クレアちゃんをイジメてたらしいのよ。だから、きっとクレアちゃんが魔王城に出仕したらちょっかい掛けて来るだろう、とは思ってたの」
「……誘拐するって云うのも分かっていたんですか?」
「まさか。ちょっかいを掛けるのは『予定通り』だけど、誘拐は『予想外』よ。何かして来るだろうとは思ったけど、誘拐するとは思わなかったな。最悪、マリア君を殺しに来るだろうな、とは思ってたけど」
……おい。
「……穏やかじゃないんですが」
「心配しなくても大丈夫。マリア君は殺させないから」
「……そうなんです?」
「私だってただただお酒を飲んでた訳じゃ無いのよ? 可愛い可愛いヒメちゃんの想い人ですもの。そうやすやすと殺させないわよ」
『ま、ママ!』なんて顔を真っ赤にするヒメを面白そうに見やった後、魔王様は言葉を継ぐ。
「ともかく、アインベルク家のローザがきっとクレアちゃんにちょっかいを掛けて来る。でも、クレアちゃんはもう『魔王城』の所属になるから。今まで通りに接していれば十分、不敬な事なのよ」
「……ああ、なるほど」
「わかる?」
「使用人をバカにするのは主家を馬鹿にするのと同義、とかなんとかですか?」
「そういう事。それで、それを見咎めた私が激怒、恐れおののいたレークス家は恭順の証としてアインベルク家を取り潰し、ヴァンパイア一族はマリア君を新魔王として認める、って云う筋書きね」
そう言って溜息一つ。
「……まあ、確かに誘拐も選択肢の一つにはあったのよ。あったけど……まさか、そこまで短絡的とは思わなかったな」
「……選択肢にはあったんですか?」
俺の言葉に、魔王様はこくんと頷いてポケットから携帯を取り出す。
「当たり前じゃん。考えられる可能性は全て考えたわよ。それこそ、さっき言ったマリア君を殺すまで含めて。勿論、対策も取ってあるわ。ちなみに今、四人ともアインベルク家の一室に監禁……軟禁? ともかく、閉じ込められて……ああ、なんか『にんにくたっぷりのステーキを出せ!』とか言ってるらしい。ラインが入って来た」
「にんにくたっぷりのステーキって。っていうか、分かるんですか?」
「ちゃんと協力者がいるからね。なんかあったら直ぐに連絡を入れる様になってる。だからマリア君、安心してくれていいよ?」
そう言ってにっこり微笑む魔王様。その笑顔に、知らず知らずの内に俺も笑顔を浮かべて。
「――って、そこまで段取り出来てるんだったらなんで俺へ教えてくれないのかなぁ!」
キレた。




