第四十七話 幕間、或いは動き出した演目
今回は三人称ですたい。
まるで肺まで凍らせてしまうのではないかと思う程の冷たい空気をゆっくりと吸い込み、ほんの二秒。
「……ふぅ」
その息をゆっくりと吐きだしてクレアは先程同様、満天の星空に視線を向ける。澄んだ冬の空気故か、いつもより綺麗に見える星空にその眼を細めて。
「……違う、でありますね」
この感情は『違う』と、自身の内なる声が伝えてくれる。
「……嬉しいモノでありますね」
『ヴァンパイア』という、狭い一族に生きるクレアに取って血が吸えないというその一事は自身の存在価値を揺るがす事だ。なのに、だって言うのに。
「……ふふふ」
仲間外れにしない、と言ってくれた。
血が吸えないなんて、そんなの関係ないと言ってくれた。
そんな事で、『価値』が――クレア・レークスの価値は変わらないと、そう、そう言ってくれた。
「……本当に、嬉しいモノでありますね」
まるで、大事な宝物を手にした様にクレアは自身の胸の前でぎゅっと手を組む。嬉しくて、嬉しくて、その言葉をもう一度思い出すように瞳を閉じて想いを馳せて。
「――キャハッハハ! なーに乙女ぶっちゃってるの? ク・レ・アちゃーん?」
――耳元で聞こえた、『不快』な音に、慌てて瞳を開ける。
「……あ……」
視界の先、そんなクレアを小馬鹿にした様に、嘲笑を浮かべる一人の女性の姿が目に映った。艶やかな黒髪を夜風に靡かせた、十人中十人が振り返るであろうそんな美女。
「……ローザ」
ポツリ、と漏れた言葉に、目の前の美女の眦がつり上がった。
「……ローザ? へぇ? へぇ、へぇ、へぇ~。『ローザ』とか呼んじゃうんだ? この私の事を、『ローザ』って? 呼び捨てで? え? そうなの、クレア? ふーん。偉くなったじゃない」
「い、いえ! その様な事は……し、失礼したであります、ローザ……『様』」
「なんだか微妙に『様』との間が空いてたみたいだけど、まあいいわ」
慌てて頭を下げたクレアに気を良くしたか、ローザと呼ばれた女性は微笑んでクレアの肩に手を回す。その行動に少しだけ眉を顰めて――それを悟られない様、クレアはにこやかに微笑んだ。
「……どうなさったでありますか、ローザ様。わざわざ人間界までお越しになられるとは。なにか、本官に御用でもあるでありますか?」
「なにか御用でも、じゃないわよ。久々にレークス家にお邪魔したら貴女、魔王城に出仕したって言うじゃない? 私に黙ってなに勝手な事してるのかって思って、ちょっと様子を見に来たんじゃないの。アレ? なんで? クレア、なんで私に報告が無かったのかしら? あーあ。私、ショック~」
悲観した様に天を仰ぐローザ。それとは対照的、クレアはその顔を俯かせた。
「……その……何分、急な話でありまして」
「急? へえ~『急』なの? それって、なに? 私に報告を忘れるぐらい『急』だったって事? この私に? ローザ・アインベルクに報告を忘れるぐらいに? ショックだわ~。本当に、本当にショック!」
肩に手を回したまま、俯いたクレアの顔を下から覗き込むローザ。逃げ場を無くしたまま、視線を彷徨わせるクレアに、ローザが笑みを浮かべる。
「――もう、本当にショックよ? ショックでショックで……クレアが、『血が吸えない』ってバラしちゃいそうよ?」
残虐な、笑みを。
「ろ、ローザ様!」
その言葉に弾かれた様にクレアが顔を上げる。泡を喰った様なクレアの行動に、ローザが弾けるように笑い声を上げた。
「キャハハ! 冗談、じょーだんだって、クレア。そんなマジにならないでよ~。そんな事、する訳ないでしょ? だってクレア、困っちゃうもんね~? 心配しないで、クレア? 私達、『お友達』じゃない?」
「……」
「誇り高き、ヴァンパイア一族の族長家であるレークス家のお姫様が吸血鬼として『まがいもの』なんて知られたら、レークス家の面目は丸つぶれだもんね? 下手したら族長の座から滑り落ちちゃうかも知れないもんね? そんなの……クレアは、イヤだよね~? 大丈夫だよ、クレア? 私は『お友達』が嫌がる事はしないんだから~」
「……ローザ様……どうか、お赦し下さいませ」
「だから、大丈夫だって。うっかり、口が滑るかも知れないけどね?」
「ローザ様! どうか……どうか、お慈悲を!」
クレアの悲痛な叫びを悦に入った表情で聞き、満足げに微笑むとローザは口を開く。
「なーに? 許して欲しいの?」
「は、はい!」
「うーん~……じゃあ、どうしよっかな~」
顎に人差し指を当てて『うーん』なんて首を傾げて見せるローザに、必死の形相で頼み込むクレア。その姿を見やり、ローザはうんと一つ頷いて見せる。
「あ! 良い事思い付いちゃった! ねえ、クレア?」
「……はい」
「ヴァンパイア族の族長って……『名誉』な事よね~? レークス家って、良いわね~。だって、族長家ですもの。それって、凄く名誉な事だよね~?」
問われている意味が、分からない。
「……その……それは」
首を傾げながら、それでも何とかクレアは言葉を紡ぐ。目の前の、この『暴君』の機嫌を損なう事の無い様、慎重に、言葉を選びながら。
「……その、ですがレークス家には本官の様な……ま、『まがいもの』がいるであります。ですので、我がレークス家よりもヴァンパイア族の双璧と詠われるアインベルク家の姫君であられる、ローザ様の方が――」
言い募る、クレアを手で制し、にっこり。
「……あれ? 『私は』名誉な事だって言ってるんだけど?」
「――め、名誉な事であります!」
笑顔のまま、まるで睨み付ける様なローザの視線に、クレアが頭を上下にガクガクと揺らす。その仕草に納得した様にもう一度頷き、ローザは言葉を続けた。
「でも、ヴァンパイア族の族長はヴァンパイア『だけ』にしか影響力が無いモノね? それなら、ホラ! 貴方が言う『ヴァンパイア族の双璧』であるアインベルク家の姫君である私なんか、相応しいと思わない?」
「ふ、相応しい……ですか? そ、それは……」
「なに? 分からないの、クレア?」
やれやれと言わんばかりに首を左右に振るローザ。その仕草に、頭に疑問符を浮かべたままでクレアが疑問を問い掛けかけて。
「――魔王様、にだよ?」
その言葉を理解するのに、数瞬。
「――っ! ろ、ローザ様!」
言葉を発するのに、もう、数瞬。
「今、丁度『新魔王』様の選定をしてるんでしょ? アイラ様からこっち、魔王は超実力主義じゃん? 新魔王候補の……えっと、誰だっけ?」
「……」
「クレア?」
「……マリア様と……ヒメ様、です」
「そうそう! その二人より、私の方がぜーったい魔王様に相応しいと思うわ~。ホラ? 私って気品あふれるヴァンパイアだし? チカラだって、きっとあの二人よりもあるわよ? ねえ、クレア? そう、思わない?」
そう言って、ローザはもう一度クレアの肩に手を回す。
「――思う、わよね?」
有無を言わさない、言葉と共に。
「……そ、それは……」
「……あれ? クレア、貴方は私に逆らうの? ふーん。そうなんだ。私に逆らうんだ、貴方。そっか、そっか。逆らっちゃうのか~、クレア」
「い、いえ……そ、そういう訳では」
「じゃあ、どういう訳よ?」
グググッと、肩に回った手に力が籠る。その仕草に、痛そうに顔を顰めながらクレアが小さく頷いた。
「……はい。ローザ様こそ……魔王様に、相応しいと……お、思うであります」
「キャハハ! そうだよね~、クレア? もう~! 最初からそう言えば、無駄に痛い思いをしなくて済んだのに~。バカね~、クレア」
そのクレアの言葉に、幾分ご機嫌な表情を浮かべてローザがクレアの肩から手を離す。
「じゃあさ、クレア? 協力してよ~」
「きょ、協力……で、ありますか」
「『お友達』が魔王に成りたいって言ってるんだよ? その『お友達』の為に、ひと肌脱いであげよう! って思わないの? ほら、丁度貴方、新魔王様の側仕なんでしょう? 弱点とか、そういうの無いの?」
「そ、それは……」
「何かあるでしょ? 新しい魔王様の大事なモノ。絶対に失くせない、絶対に失いたくない、そんな大事な……『弱点』が?」
「……」
「なに? ないの? 使えないわね~、クレア。それじゃクレア? 明日、明日また来るから、それまでにあの新魔王様の弱点、見つけといてよね」
それじゃ、と片手を上げ漆黒の闇夜に飛び立たとうとするローザ。その服の端を、慌てた様にクレアが掴んだ。
「お、お待ちくださいであります、ローザ様! さ、流石にそれは!」
「……なーに? クレアは反対なの?」
「い、いえ……そ、その……」
「ねえ、クレア? 貴方は私の味方だよね~? 私が魔王に成りたいって言ったら、協力してくれるよね? だって、『友達』だもんね~?」
「……」
「クレア? 返事は?」
「――は……」
『俺はお前を『仲間外れ』になんかしないからさ』
開いた口から言葉が漏れ落ちる、その前に。
「――あ」
マリアの、そんな言葉が、頭の中で響いた。
「……クレア? なに? 貴方、協力してくれないの?」
その言葉を、まるで押し殺すように。
「――いえ。協力……させて、頂くであります」
微笑んだクレアのその顔は、なぜか泣いている様に見えた。




