第四十六話 ツナガラナイ、カイワ
クレアによる、『大本家妹ズ家事指導』は苛烈を極め、すっかりへばった咲夜が半泣きでギブアップ宣言をしてから、しばし。
「……よう。何やってんだよ、こんな所で」
「……マリア様?」
魔界から山の様な酒を持って来た魔王様&両親&ラインハルトによる大酒宴もたけなわ、そろそろ咲夜達の布団でも敷くかと二階に上がった所で、ベランダから月を見上げるクレアの姿が見えた。室内との激しい寒暖差に少しだけブルりと体を震わせ、俺はクレアの隣に立って同様に月を見上げて見る。うん、綺麗な……満月では無いけど、綺麗な月だ。
「なんだ? 月見たら興奮でもするのか?」
「獣人族にはその様な一族も居ると聞いているでありますが、我々の一族ではないでありますね」
「……冗談で言ったんだけどな?」
「ああ、そうでありましたか。それでは……そうでありますね。別に、本官は月が故郷という訳では無いでありますよ?」
そう言って、茶目っ気を含めた笑顔を見せるクレア。どちらかと言えば大人っぽいクレアのそんなお道化た表情に少しだけ俺の頬も緩む。
「なんだ? 酒でも飲んだか?」
「昨日の失敗があるでありますから、本日はお酒を控えさせて頂いているでありますよ。何度も何度も倒れると云うのも、あまり格好の付くモノでは無いでありますから」
そこまで喋るとクレアは月と、その周りで遊ぶ星々が輝く満天の夜空に視線を戻す。なんとも儚げな、そんな印象を覚えるその『クレア』に――柄にもねえとは思いながら、まるでクレアが本当に月に行ってしまいそうな幻想を覚えて、俺は少しだけ慌てて口を開く。
「く、クレア!」
「なんでありますか?」
先程までの印象とは一転、いつも通りの微笑を浮かべて首を傾げるクレアに、なんだか木っ端ずかしい事を考えて――まあ、事実考えていたんだが、それを誤魔化すように俺は言葉を続けた。
「その……あ、ありがとな!」
「? なにがでありますか?」
「なにがって……ほ、ホレ! 咲夜達を『鍛えて』くれた事だよ」
「……ああ。アレでありますか」
「ホレ、咲夜にしても奏にしても麻衣にしても、アイツら何にも出来ねーからよ! まあ、鳴海はそこそこなんでも出来るんだけど……」
「ナルミさんはともかく……サクヤさんにしてもカナデさんにしてもマイさんにしても、皆さままだお若いでありますから。これからでありますよ」
「そっか? ああ……ああ、いや! そうやって甘やかすと碌な大人にならないからな! やっぱり今日のはイイ薬だったよ。ありがとな」
「お礼を言われる程の事ではないでありますが……ですが、それではありがたく受け取っておくであります」
「アイツら、俺の言う事は聞きゃしねーからな」
なんだかんだと理由を付けて、結局俺にやらせやがるからな、アイツら。なんだよ、『御飯は一番美味しく作れる人が作れば良い。掃除は一番綺麗に出来る人がやれば良い。結論、お兄ちゃんがやれば良い!』って。
「……それはきっと、マリア様がお優しいからですよ」
「……甘やかしてるって事か?」
「甘やかしている、というか……そうでありますね。恐らく、お三方共マリア様に甘えているのでありますよ」
「……違うのか、それ?」
「『甘やかされる』は受動ですが、『甘える』は能動でありますよ。自らの意思で、彼女たちはマリア様に甘えておられるのです。そして、それはきっと……どれだけ甘えても、マリア様には見捨てられないと信じておられるからですよ」
そう言って、嫋やかに笑んだ後、クレアは視線を月に戻して。
「……羨ましい、でありますね」
何でもない様に、ポツリと。
「……クレア?」
俺の問い掛けに、少しだけ困った様な、諦めた様な……それでも、なにかを決意するかの様な表情を浮かべ、クレアがそっとその口を開いた。
「……少しだけ、話を聞いて頂けないでありますか、マリア様?」
「……俺で良ければ」
俺の言葉に、『ありがとうございます』と頭を下げてクレアは言葉を続ける。
「……吸血鬼に取って、『血が吸えない』と云うのはこれ以上ない程の汚点であります。『血を吸う鬼』と書いて吸血鬼でありますから、当たり前と言えば当たり前でありますが……ですが、やはりこれは種族のアイデンティティにかかわる問題でありますので。生まれながらに血が吸えない、吸血鬼として……そうでありますね、『半人前』の本官は幼い頃から随分と虐げられて来たであります」
「……虐げられた?」
「無論、虐げられたと言えども直截的に何かをされた訳では無いでありますよ? そうは言っても族長の娘、言うならば『姫』でありますから」
「……そっか」
よく考えたら族長の娘って『姫』なんだな。
「……んじゃ、ラインハルトは王子か?」
「そうでありますね。中々、逞しい王子様ではありませんか?」
「あんな王子、イヤすぎるけどな」
白馬に乗ったら白馬が悲鳴を上げるんじゃねーか?
「本官の口からコメントは避けさせて頂きます。まあ、ともかく、本官は一応『姫』でありますから、直截的な事は何一つされていないでありますよ。単純に……そうですね、『仲間外れ』にされただけにあります。ラインハルト殿が仰っていたでありましょう? 『お前など、見た事がない』と。その通りでありますよ。本官は誇り高きヴァンパイア一族の面汚しでありますから。社交の場になど一切、顔を出させて頂けなかったであります」
「……」
「まあ、別に出たかった訳でも無いので構いやしないでありますが……そうでありますね、一度ぐらいは格好イイ殿方と火遊びをしてみたかった、と云うのが心残りでありますが」
「おい!」
なんだよ、火遊びって! 真面目に聞いて損したわ!
「冗談でありますよ。ただ、同年代の娘達が楽しそうに着飾っている姿を見るのは中々に『クる』ものがあったのは事実であります。なぜ、本官だけあの場に居る事が出来ないのであろう。なぜ、本官だけこんな所で指を咥えて見ているだけなのだろう。なぜ、本官だけ愛して貰えないのだろう。なぜ、本官だけ――」
――『私』だけ、と。
「……『仲間外れ』にされるのだろう、と」
「……クレア」
「……する事が無かった本官は、ほんの手遊び程度に家事を覚えたのでありますよ。ですので……それほど、誰かに胸を張って自慢出来る事ではないのであります。所詮、暇つぶしの賜物でありますので」
「……そっか」
「……そうでありますよ。だから、本官は少しだけ羨ましかったでありますよ。サクヤさんや、マイさん、カナデさんがマリア様に甘えておられるお姿が、とても、とても羨ましいと思ったのでありますよ。本官にはない、本官では手に入れらないモノを持っておられる方が、すごく、すごく羨ましかったであります。それは……本官が、どれだけ望んでも手に入らなかったものでありますから」
そう言って、クレアはもう一度にこやかに笑んで見せる。
「……つまらないお話をお聞かせしたであります、マリア様。平にご容赦を」
綺麗に頭を下げるクレア。その姿を見つめ、俺は小さく溜息を吐く。
「……嘘吐くな」
「……嘘、でありますか?」
「お前の掃除。めっちゃ気合入ってたじゃねーか。塵一つ落ちてやいねーのは当然、あそこまで丁寧に掃除する奴、最近見ねーぞ? 和室の掃除に小さく千切った新聞紙使うなんて『手遊び』の奴がする事じゃねーよ」
普通は茶殻を撒くんだがな。湿らせた新聞紙でも代用できるんだよ。
「……常識では?」
「昭和の時代の常識だろうが、それは。今は掃除機で吸うさ」
まあ、掃除機ばっかりも良くは無いんだがな。咲夜なんか畳の目と逆にかけやがるから、畳が直ぐに傷むんだよ。
「……マリア様だってお詳しいじゃないですか」
「俺は趣味なの。だから詳しくて当然で……多分、俺くらいは詳しいだろ、お前?」
「……詳しくないとは言わないであります」
「だろ? だから……その、なんだ? そんな『大した事ない』とか『所詮、手遊び』みたいな事を言うなよ。十分、胸張っていいぞ?」
「……」
「……そりゃ、確かに吸血鬼としてはそんなに必要な能力じゃねーかもしれねーけどよ? でも、少なくとも咲夜とか麻衣とか奏には無い、十分『必要』な能力なんだよ」
「……そう、でありますか?」
「当たり前だ。アイツら見て見ろ? きっとサバイバルになると死ぬ――」
……いや……アイツら、生存能力は高そうだな。
「――嫁には絶対行き遅れる!」
「サバイバルでは生き残るでありますか?」
呆れた様なクレアの表情に、俺も苦笑を浮かべて。
「だから……その、なんだ。俺はお前を『仲間外れ』になんかしないからさ」
「……あ」
「別に……って、お前に言うのは失礼か。でもな? 別に、お前が血の吸えない吸血鬼だとしても、そんな事は関係ないから。そんな事で追い出したりはしないから」
「……はい」
「血が吸えないから、自分には価値が無いなんて思うなよ? そんなの、俺には全然関係ないから」
自分の伝えたい事が、巧く伝えられない。自分のボキャブラリーの貧弱さに、思わず泣きたくなる程情けなくなりながら――それでも。
「――はいっ!」
目の前で、にこやかな笑みを浮かべるクレアに、俺は安堵の息を吐いた。
――この会話を後悔する事になると、この時の俺はまだ知らなかった。




