第二十九話 クレア・レークス
魔王様の紹介に、ビシッと敬礼をしたままの体勢で固まる美女――クレア。服装と相俟って、まるで一枚の絵画の様に……まあ、アレだ。非常に決まっている。
『ちょっと、マリア! 貴方、私に二対二って言ってなかった!? なんで! 私の目には三人いる様に見えるんだけど!?』
画面の向こうから、麻衣がギャンギャンと怒鳴る声が聞こえて来た。まあ、気持ちは分からんでもない。分からんでもないが。
「……あー……奇遇だな、麻衣。俺にも三人いる様に見える」
そう怒鳴るなよ、麻衣。俺だって何がなんだかわかんねーんだ。
『バカにしてんの、アンタ! 『三人いる様に見える』じゃないわよ! なによ! なんで嘘付いたのよ!』
「いや、別にバカにしてる訳でも嘘付いた訳でもないんだが……つうか、すまん。ちょっと電話切る」
『は? ちょ、マリア! 電話切るって、どういう――』
このままじゃ話がややこしい事になりそうな雰囲気がプンプンする。そう思い、麻衣の言葉の途中で通話終了ボタンを押して電源を落とす。その一連の作業を終えて、俺はゆっくりと『にゃはは』なんて言いながら頭を掻く魔王様に視線を向けた。ジト目のな?
「……えっと……魔王様? 説明ってして貰えるんっすかね?」
「いやー、ごめんごめん! マリア君が日本に帰っている間に、ヴァンパイア族の族長であるルートヴィッヒから連絡が有ったんだよ~。『ヒメ様のご婚約、誠におめでとうございます。新魔王であるお二人の為、我が娘をどうぞお二人のお側でお役立て下さい』って……まあ、アレだね? 侍女扱いって感じ? ね? クレア?」
「はっ! 父から受けました命に寄りますと、本官の任務は『誠心誠意、新両魔王様へ尽くせ』との事であります!」
「だってさ~」
いや……『だってさ~』じゃなくて。
「……ヴァンパイア族、か」
胡乱な目を向ける俺の隣で、小さくラインハルトが呟いた。ん? お前、なんか知ってんのか?
「知っているのか、ライ――ラインハルト」
「……なぜ言い直す? まあイイが……ああ、ヴァンパイア族は『有名』な一族だからな。マリア、お前だって知っているのではないか? 人間界では有名だと聞いたが?」
いや、まあ……俺だって聞いた事ぐらいはあるよ? あれだろ? ヴァンパイヤとも表記される、東欧発祥の怪物の一種だろ? 人の生き血を吸う、ニンニクが嫌い、不死の命を持つが、金属の杭を心臓に打ち込まれると死ぬなど、設定の面白さから日本でも小説やゲームによく登場する、比較的ポピュラーな存在だし、当然知っているのは知っているよ。知っているんだけど。
「……俺の知ってるヴァンパイアと違う」
俺の知ってるヴァンパイア、『本官』とか言わないし、あんな軍人みたいな喋り方しないんだけど。なんだよ、『ヒトフタマルマル』って。十二時って言えよ、十二時って。
「ヴァンパイア一族は我らオーク同様、武門に生きる一族ではある。どちらかと言えば魔法に重きを置く一族ではあるが……それよりも、我らオークの様に衆の力でただ力任せに押し続ける戦い方をする訳ではない。一族全体が『全』であり、『一』の非常に統制のとれた魔族なんだ」
「……なるほど。まんま、軍隊みたいなモンか」
「そうだな。強ち、その指摘は間違ってはいない。いないが……」
そう言って、ラインハルトがクレアを睨む。
「……私も父に連れられ、何度かヴァンパイア族の街には行った事がある。族長であるルートヴィッヒ殿にも、世継ぎであるアンダルシア殿にもお逢いしたし、一族の主だった方々には一通りご挨拶をさせて頂いたが」
一息。
「――私は貴方の事を知らないが、クレア殿?」
ラインハルトと殴り合いすらした俺ですら、思わず背筋が凍る様な視線。そんな視線を受けながら、クレアはそれでも笑みを絶やさずにその視線を受け流す。
「ラインハルト殿が我がヴァンパイアの街をご訪問為された時、たまたま本官が席を空けていただけの事であります」
「……ヴァンパイアの族長家に娘がいる、という話などついぞ聞いた事がないぞ? 貴家は男性ばかりの一家では無かったか?」
「対外的にはそう発表しておりますね。所謂、『秘蔵っ子』と言うモノでありますよ?」
「……」
「……」
睨み付けるラインハルトに、それでも相変わらず笑みを絶やさないクレア。一瞬とも、永遠ともと思える時間の流れの中で、魔王様がパンっと手を打ってその静寂を破って見せた。
「はい、そこまでだよ~」
「……魔王様」
「ラインハルト? さっきも言ったけど、私が『大丈夫』って決めたんだよ? クレアちゃんはちゃんとルートヴィッヒの娘だから。大丈夫、だいじょうぶ~」
「……ですが」
「きちんとルートヴィッヒからの連絡も貰って、クレアちゃんをヒメちゃんとマリア君の『お付き』にするって決めたの。それとも……なに? ラインハルトは、私の決めた事に逆らうつもり?」
「……その様な事は御座いませんが……はい、分かりました」
しぶしぶと云った感じで引き下がるラインハルト。その後、小さく頭を下げた。
「……無礼を詫びよう、クレア殿。失礼な態度を取ってしまった」
「頭をお上げください、ラインハルト殿。本官は何も気にしてはおりませんし、むしろ貴方の様な勇猛な方が新魔王様の側付きである事、心強く思っております」
先程のラインハルトの『無礼』な態度を気にする風でもなく、変わらずニコニコ笑顔を浮かべるクレア。こう見るとラインハルトが一人で突っかかって行ったみたいで随分格好が悪いが……そんな事よりも。
「え? ラインハルト、側付になるの?」
つうか……側付ってなんだよ?
「文字通り、側に侍る係の事だが……ああ、そう言えば言っていなかったな。父の命により私はマリア、お前の側付となった。何かしら用事があれば私に言ってくれれば良い。無論、お前が不満であれば交代する事となるが」
「魔王候補が側近の一人も居ないってのも中々締まらない話だしね。それだったら、マリア君も親しいラインハルトになって貰うのが一番だと思ったんだけど……ホラ? 今更、ラインハルトに堅苦しい喋り方されてもマリア君も肩凝るかな~って思って今まで通りの喋り方にして貰ってるってかんじ。どーする? マリア君が『イヤだ!』って言うんだったらラインハルトにも敬語使って貰うケド?」
ラインハルトの言葉を引き取った魔王様。そんな魔王様に、俺は首を左右に振る事で応えた。
「ラインハルトに敬語使って貰うなんて気持ち悪いんでイイです。今まで通りの喋り方で良いですし……まあ、側付って云うのが居た方が良いなら、俺もラインハルトのが楽でいいですし」
そう言って、ちらっと視線をクレアに向ける。
「えっと……クレア……さん……でしたよね?」
「クレアで結構であります、マリア様。それと、本官の様な下賤のモノに敬語は不要であります」
「……んじゃクレア。その喋り方、どうにかなんねー?」
別に構やしねーんだが、幾分喋りにくい。もうちょっとフランクな感じで行かないか?
「……それは」
相変わらずのニコニコ笑顔のまま、こくん、とクレアが左に首を傾ける。
「――ご命令、でありますか?」
「……ご命令ではありません」
「そうであれば、この喋り方を続けさせて欲しいであります。既に本官の身に沁みついた癖でありますので」
「……分かりました」
笑顔ながらも有無を言わさねー感じのクレアの言葉に、俺は小さく肩を竦めて見せる。まあ、アレだ。別にあんまり気になる程でもないし。
「それではこれから宜しくお願いするであります、マリア様、ヒメ様」
そう言って、もう一度丁寧に頭を下げるクレア。そんなクレアに、ヒメが笑顔を向けた。
「よろしくね、クレア」
「はいであります」
「私、同年代の女の子とお話してみたかったんだ! その、そういう事も頼めたりするの?」
「無論であります。生来の武骨物でありますので、ヒメ様にご納得頂けるかどうか、不安ではありますが……精一杯、務め上げる所存であります」
「もう! そんな堅苦しく考えなくていいの! それでね、クレア――」
ガールズトークで盛り……上がる……? ま、まあともかく話し始める二人を横目で見ながら、俺は小さく溜息を吐く。と、そんな俺の肩をトンと叩くモノがいた。ラインハルトだ。
「ラインハルト? どーした?」
「……マリア、気を付けろ」
「……気を付ける?」
なにを?
「ヴァンパイア族は魔界でも力を持った一族だ。その一族の族長の娘であれば、生誕の折や誕生日などの……そうだな、イベントがある度に盛大な催しが行われてもおかしくない。だが、私の記憶にはクレアにその様な催しが行われた記憶は一度もない。ただの、一度も、だ。これが、どれ程異常な事か分かるか?」
族長って云うのがどれ程偉いか知らんが……まあ、魔族の中でも貴族っぽい感じなんだろ? その一族の娘が祝い事を一つも祝って貰って無かったんだったら、そりゃ異常っちゃ異常かも知れん。知れんが。
「……自分で言ってたじゃん。『秘蔵っ子』だって。文字通り、『秘蔵』にしていたんじゃね?」
「では、なぜ『秘蔵』にする必要がある?」
「……なぜって……」
「言い方を変えよう。なぜ、『秘蔵っ子』を蔵から出して来てまでお前とヒメ様の側付にする必要がある? ヴァンパイア族は優秀な一族だ。お前の側付にするのであれば、もっと適した人材も豊富に揃っている。なぜ、このタイミングで『秘蔵っ子』を出さなければならないと思う?」
「……わかんねえよ。ラインハルトには分かるのか?」
「まさか。私にも分からん」
「……おい」
「私にも分からんから、お前もよく注意しろ。良いか、マリア? よく注意を要し、決して隙を見せるな。少なくとも、現段階で『クレア』というヴァンパイアを信じる事はするな」
「……肝に銘じておくよ」
色々大変だな、魔王。
「そうだ。色々と大変だ、魔王とは。だから……私も、少しでもお前の力になりたいとは思っている。愚痴ぐらいは聞いてやるさ」
「……あんがとよ」
肩を竦めて苦笑をして見せる俺と、『元気出せ』と言わんばかりにどんっと肩を叩いて来るラインハルト。
「話は終わったかな?」
そんな俺たち二人を眺めていた魔王様が口を開いた。
「話が終わったんだったら、マリア君? ちょっといい?」
「えっと……大丈夫、ですけど……」
ヒメは話に夢中、ラインハルトは頷きを以って返してくれた事で魔王様に予定は無い旨を伝える。その姿に、『うん』と頷き魔王様が言葉を続けた。
「それじゃ……ちょっと、時間貰えるかな?」
「……はあ。なにかするんですか?」
俺の言葉に、魔王様は『にぱっ』とした笑顔を浮かべて。
「――『お勉強』だよっ!」




