第二十三話 バレてますよ、マリア君
閉じていた瞳を開けると、既に太陽の光は落ちていた。
瞳に映るは、大きく輝く玉響の満月と、その周りで遊ぶ満天の星々。排気ガスとか、電気の明かりとか、きっとそんなモノは無いのであろう、真っ暗な夜空に描かれた星々に柄にもなく溜息が漏れる。なんだか声が届きそうな程に近く感じる、そんなクリアな夜空。
「……起きた?」
不意に、その夜空が頭上から降って来た不躾な影に寄ってその姿を覆い隠される。住んでいる街では見られない様な幻想的な光景、なんだかソレを隠されたのが勿体ない気がして、俺は少しだけ不満げにそちらを見やり。
――そして、息を呑む。
「――あ」
声に鳴らない声に、頭上から苦笑の音が優しく降り注いだ。
「……クス。おはよ、寝坊助さん? もう、すっかり夜だよ?」
薄暗く、頼りない月明かりの中で尚、彼女の銀髪がより一層美しく輝く。まるでラピスラズリの鉱石の様、優しく微笑むスカイブルーの瞳がその姿に一層の彩を与えるその姿は、先程を幻想的と称するなら――彼女にこんな事を言ったら逆に失礼なんだろうが、まさに『神秘的』って表現が似合う、そんな姿だった。吸い込まれそうなその瞳を見つめながら、俺は少しだけ震える声で、でもしっかりと言葉を。
「…………な……」
言葉を、紡ぐ。
「――なんで此処に居るんですか、魔王様ぁーー!」
……そう、俺の視界に映るのはヒメのお母さん、アイラ・マ・オー・エルリアンさん。説明の必要は無いであろう、お気楽能天気な魔王様だ。っていうか、え? マジでなんでいるの、貴方?
「何って……膝枕だよっ!」
「ひ、ひざ――」
膝枕!?
「ちょ、な、何してるんですか!」
いや、確かにそう言われて見れば地面とは一線を画す柔らかい感触がしてるけども! 仄かな温かみを感じたりもするけども!
「いやぁ~、マリア君、頑張ってたじゃん? だからちょっとご褒美あげよっかなって思ってね? 気持ちいいでしょ、私の太もも!」
「いや、そうじゃなくて!」
「大丈夫!」
「なにが!」
「ウチの旦那様はマリア君に膝枕したぐらいで怒る様な狭量な人じゃないから! 息子に膝枕だよ、息子に膝枕! セーフ!」
「セーフって! ああ、もう! 一体何処から突っ込んだら良いのか!」
どうしよう! やっぱりこの人自由人だ! っていうか、魔王様! 一体いつから――
「……えっと……魔王様?」
「ん~? なに?」
「その……何時から見てたんです?」
「ハサンをブッ飛ばした辺りからかな?」
「最初からかよ……えっと……え? なんです? どっかに隠れてたりとかしてたんですか?」
「まっさか! 私は魔王! 逃げも隠れもしないよ!」
「いや、そんな胸張って言われても……えっと……じゃあ、どっから見てたんですか?」
「魔王城だよ? マリア君がオークの里に行くって言うから、王城にある魔水晶で見てた」
「……あんの、そんなの?」
敬語が抜け落ちた。
「ハイビジョン放送だよ? すっごく画像がクリアなんだ~」
「ハイビジョン放送って……ああ、いや……もはや何も言うまい。えっと……それじゃ……」
その……俺がぶっ倒れた後の事も、逐一見てたって事?
「うん! オーク達はマリア君との戦闘で色々納得したらしいよ? 約束通り、『農業』をするってさ? 今はホラ、宴の最中だぁ!」
そう言って魔王様が指差す、その先。そこには大きな焚火が猛烈にその火の粉を上げており、その周りでオーク達が飲めや歌えのどんちゃん騒ぎをしていた。
「……楽しそうですね?」
「まあ、オークの『習わし』だから。戦いが済んだら、宴。死んでいった戦士たちを弔い、今を必死に生きる為の儀式だよ」
「……殺しては居ないハズなんですが?」
手加減……はしていないけど、それでもアレぐらいでエドアルドが天に――魔族って天に召されるのか? まあともかく、お陀仏する訳ないと思うんだが?
「ああ、うん。誰も死んではいないよ? 死んではいないけど……」
そう言って、困った様に苦笑を浮かべて。
「オークの誇りは『死んだ』からね」
「……」
「過去の自分達と決別する為の宴だよ、今日は」
「……悪い事しました、俺?」
「まさか」
そう言って魔王様は首を横に振る。
「ラインハルト、言ってなかったかな? オークって、納得が行かなければ種族の誇りに掛けて戦うんだよ? 腕が折れようが、足が捥がれようが、首だけになっても相手の喉笛に噛みつくって程、純粋な戦闘民族なんだ」
「……じゃあ」
「でもね? オークは『バカ』じゃないの」
「……」
「だから……これは、オーク達が自分達で『決断』した事なんだよ。自らの『誇り』を捨てて――って言ったら、ラインハルトに怒られちゃうかな? 自らの『誇り』の、その向かう先をちょっとだけ修正したんだよ? 戦う為の誇りを、生きる為の誇りに変えたんだ」
貴方の『お陰で』、と。
「――ありがとう、マリア君」
そう言って、魔王様が頭を下げる。その拍子、彼女の前髪が俺の鼻先に掛かり、仄かに香るシャンプーの香りに慌てて俺は飛び上がった。
「そ、そんなお礼を言われる様な事じゃないです!」
そう言いながら両手をワタワタと振って見せ――両手?
「……あ……れ?」
左手を軽く、次いで心持ち強く振って見せる。あ、あれ? 痛くないんっすけど?
「骨折? エカテリーナが治してくれたよ? ああ、エカテリーナも言ってた。お礼を言っておいてって」
「……魔王様をメッセンジャーに使うなんて、マジパネぇっすね?」
「ホントに。一遍、シメなきゃいけないね?」
「……俺が言っておいてなんですけど、勘弁してあげて下さい」
俺の言葉に、冗談よと魔王様は笑う。良かった。この人、マジでやりかねんし。流石に全回復して貰っておいてそれは寝覚めが悪いからな。
「エカテリーナ、嬉しかったらしいわ。エドアルドが、目覚めてくれたって。もう……大事な人を、自らの手で殺さなくて済むって……泣いてたわ。エルフの出身のエカテリーナには、きっと耐えられないぐらい、辛い事だったんでしょうね。エルフは仲間を大事にするから」
「……」
「……それに、それは私だってだよ? 魔王って言うのは、魔界に住まう民、全ての幸せを願うんだから」
「魔王の台詞じゃないっす、それ」
「よそさまの雑音なんて気にしなーい。なんて言われようが、私はそうなの。だから……オーク達が、農業に生きてくれるのは本当に嬉しかった。私なら、チカラで従わせる事は出来ても――きっと、オークは生き方まで変えてはくれないから」
「……そう、ですかね?」
「自らより『弱い』と信じてる人間に負けちゃったんだもん。そりゃ、今更誇りなんて持ちようがないじゃん」
そう言って、にこやかに微笑み。
「――だから……本当にありがとう、マリア君。貴方のお陰でオークと――そして、『私』は救われた」
もう一度、頭を下げる。
「……頭をあげて下さいよ」
「……ん。ありがと」
「その……こう、別に誰の為とかじゃねーんですよ。単純にその……俺が嫌だっただけなんんですって。だって……なんて言うのか、巧く言えないんですけど……もっと、幸せでもイイと思うんです」
「……うん」
「誇りの為に……って言うんですかね? その、戦いで命を落としたりするのは……まだ、分かるんです。あ、俺個人としては全然納得できねーんですけど」
なんだろう? 殉教者って言うのか……まあ、アレだって自分の信念に殉じている訳だからある程度考えについては……まあ、納得は出来ないけど、理解はできる所もある。
「……口減らしとか、姥捨て山みたいなのは……ちょっと違うんじゃないかなって」
こっちは納得も理解も出来ねーからな。やれる事があるのに、それをやらないってのは『誇り』じゃ無くて、ただの『怠慢』だと思えるんだよ、俺には。
「俺、こんな顔にガタイですけど……まあ、生きてりゃ楽しい事だってあるんっすよ。だから、それを知らない子供とか、人生の先達である老人を、口減らしの為にってのは……ちょっと無いかな? ってカンジなんです」
そんな俺の言葉に、魔王様は小さく頷く。
「……うん、うん、うん!」
何かを確かめる様、何度も何度も何度も頷き。
「――ヒメちゃんを、人間界に送って良かった。ヒメちゃんが貴方に、マリア君に出逢えて……本当に、良かったよ」
楽しそうな、蕩ける様な満面の笑みを浮かべた。思わずどきっとする様なそんな笑顔に、なんだか顔の温度が高くなる感覚を覚え、この人にソレを見つかったら絶対にからかわれると確信した俺は、少しだけ慌てた様に視線を逸らして――
「……魔王様?」
「ん? なーに?」
「あの……あそこで転がってるのって……ヒメですよね?」
――猿轡をかまされ、両手両足を縛られて『んー! んんっーーー!』なんて声にならない声をあげているヒメの姿を見た。俺の視線の移動に気付いたのか、涙目だった瞳に笑顔の色が宿る。あー……うん。
「……え? なんで?」
「マリア君が倒れた後にさ? ヒメちゃん、『私が膝枕するっ!』とか言い出してね? ホラ、バトル漫画とかであるじゃん? 戦いで疲れた主人公に膝枕するやつ。アレ、一度して見たかったからさ? じゃあ、勝負だ! って話になって」
そう言ってチラリとヒメを見やり。
「んで、今に至る」
「……」
言葉も無い。どう逆立ちしたって、ヒメが魔王様に勝てる未来が思い浮かばない以上、まあ見た通りの結果だったのだろう。
「……俺が言うのもなんですけど……別に良くないです?」
うん。これが俺の物語であるなら、ヒメはきっとメインヒロインの立ち位置だと思うんだ。別にその為にした訳じゃねーんだが……なんだろう? それぐらいの『役得』は有っても罰は当たらなくね?
「ぶー! なによ、マリア君! 私じゃ不満なの?」
「いえ……人妻はちょっと」
大変柔らかい寝心地ではあったが。
「まあ、それは半分冗談。ちょっとマリア君と二人きりで話したい事もあったし」
「……話したい事、ですか?」
「そ。ホラ、最後にマリア君がエドアルド、ブッ飛ばしたパンチあるじゃん? あのスーパーマリア状態のヤツ」
「……京都の花札屋か」
「はなふ――ああ。それなら、ラインハルトと二人でスーパーマリアブラザーズ?」
「色々ヤバいです、それ。それはともかく……なんでしょう?」
「ヒメちゃんの声援でマリア君、いつも以上……っていうか、なんか『凄いチカラ』が出た気がしない?」
「……そうなんですか?」
いや、ぶっちゃけそもそもが規格外のチカラなんで、そんな事言われても良く分からんのは良く分からんのだが。
「えっと……なんか不味い感じです?」
アレか? リミッター越えで俺の体がヤバいとかそんな話か?
「違う違う。ただ……アレって、ヒメちゃんの応援によって、『相対』のチカラが上昇したっぽいのよ」
「文字通り、声援がチカラになったんですか?」
「そんなカンジ。ヒメちゃんの……そうだね、『マリア君に勝って欲しい!』って思いが、マリア君のチカラを更に強大にしたっぽい」
「……なんですか? さっきから『ぽい』ばっかりでいまいちピンと来ないんですが……どうせ説明してくれるんだったら、もうちょっとしっかりはっきり説明をお願いしたいんですが」
そもそも、なんだそれ? なんだか後付けっぽい設定の香りがプンプンするんだが?
「ヒメちゃんのチカラ、正直私も良く分かんないのよね。だってさ? そもそも対象者の能力を、相手の基礎能力まで上げる魔法……なんて、今までの魔族には無いモノだもん」
「エカテリーナ……さんの魔法は?」
「あれは唯の強化でしょ? どれだけエドアルドがエカテリーナのお陰で強くなっても、普通のドラゴンにすら絶対に勝てないもん。でも、マリア君はヒメちゃんのチカラがあれば、普通のドラゴン相手にでも勝てるかも知れないのよ? まあ、ブレスとか喰らったら不味いケド……でも、対個人相手の純粋な腕力勝負ならそこそこいい線行くと思うのよ。それって、無茶苦茶凄い事だと思わない?」
「……まあ、そうですね」
最初の時も思ったけど、確かにチート臭の香りがするのはする。
「でも……ううん、だから、かな? ヒメちゃんの『チカラ』って、結構危ういのよ」
「危うい、ですか?」
「ヒメちゃんのチカラは強大だからね。使い方によっては、毒にも薬にもなるのよ。良い様に使うか、それとも悪用するかはそれこそヒメちゃんの『相手』に寄るってこと。昭和のナンバリングロボアニメみたいでしょ?」
「リモコン次第ってやつですか?」
「そういう事。だから……ヒメちゃんの伴侶になる人は『優しく』ないとダメなの。ヒメちゃんのチカラを悪用しない様な、心の優しい人じゃないと」
そうじゃないと、魔界がトンデモない事になるからね、と。
「……まあ、そんな訳で、私はヒメちゃんの選んだ伴侶がマリア君で良かったな~って思ってるって訳。ヒメちゃんのチカラを悪用せず、人の事を考えられる……そんな貴方で、本当に良かったって思うわ。顔は怖いケド」
「……顔は怖いは余計です。むしろ、貴方の破天荒さの方が怖いです」
「言うね~、マリア君……いや、息子よっ!」
魔王様の言葉に肩を竦める俺。その仕草をみて、魔王様がおかしそうにコロコロと笑う。一頻り笑った後、魔王様は笑んでいた瞳を真剣な物に変えて此方に視線を送って来た。
「……ヒメちゃんを宜しくね、マリア君」
「えっと……はい」
「ヒメちゃんの『チカラ』は強大なのに、ヒメちゃん自身の『力』は驚く程、脆い。今後、どんな困難が待ち受けるか分からないけど……でも、どうかお願いします。ヒメちゃんを『守って』あげて下さい」
何時でも愉快犯的な魔王様の、何時にない真剣な瞳。
「……あんまり『魔王』の仕事じゃないっぽいですね、それ。どっちかって言うと守って貰うのが『王様』の仕事な気がしますが」
俺、『魔王になって欲しい』って言われた気がしたんだけど?
「まあ、ヒメちゃんも『魔王』だし。それに、ホラ」
可愛い女の子を守るのは、何時だって男の子の仕事でしょ? と。
「……参りました」
両手を挙げて降参のポーズ。その仕草に、真剣な魔王様の瞳の色がいつも通りの愉快犯のソレに戻った。
「宜しい。出来れば、『離縁前提』で魔王やってみるのは止めて欲しいかな~って思ってる所存だよ。あっちの生活もあるだろうし、週末の方は認めてもいいけど」
「所存ですか。まあ……そうですね。取り敢えず、前向きにぜん――」
……。
………。
…………ん?
「……ええっと………………もしかして、バレてます?」
「あったりまえじゃん。だって私、『魔王様』だよ?」
「……ぱねぇすね、マジで」
「ぱねぇんすよ、マジで。まあ、それだけ覚えて置いてくれたら良いから。とにかく、よろしくお願いするわね~」
あ、ヒメちゃんの縄解いといてね~と取ってつけた様に言い残し、魔王様がパチンと指を鳴らす。その音と同時、魔王様の体が煙の様に掻き消える。
「……マジで半端ねーな、あの人」
魔王様の消えた場所を呆然として見つめながら溜息を一つ。
「んーーー! んんんーーーーー!!」
――その後、恨みがましい目でこちらを見つめるヒメに肩を落とし、『絶対、文句言われる』と憂鬱な気分になりながら、俺はそちらに向かって重い足を進めた。




