第百十話 正体
クリスさんのにっこり笑顔とその言葉に口角をひくひくとさせながら、ナターシャが笑顔を作って見せる。作って見せるんだが……なんだろう、なんだか不完全な、有体に言って『不細工』なその笑顔に正直、笑いが止まりません。
「へ、へー! ユメのカレシって、そんなに有名人だったの~?」
「有名人……そうですね、一般的な知名度という点では所謂芸能人などと比べれば有名では無いのでしょうが、美術界隈では有名ですよ? 葛城小太郎という名前は。新進気鋭の若手画家、油絵から水彩、ポップアートまでこなしますから。イラストのお仕事もしていらっしゃるのでは無かったでしたか?」
「あー……まあ、はい」
そう言って頷く小太郎先輩、いや小太郎パイセン。つうか、え?
「先輩、イラストの仕事とかしてたんっすか?」
「……基本はお前と一緒だよ。結衣さんいるだろ? あの人にまあ、無理やりさせられてるんだよ」
「え? 萌え絵とか描いてんっすか、先輩?」
なんだろう? 別にバカにするつもりは無いんだが……こう、芥川賞作家にラノベとかゴシップ誌の記事を書かせる様な違和感を感じる。この人の絵、マジでスゲーからな。
「そっちはあんまりなんだよ、俺。人物のデフォルメとか苦手だし。だからまあ、ホラ、あるだろう? イベントの販促のイラスト、あんな仕事を貰ってたりする」
「……ちなみに最近一番大きな仕事は?」
「……大きいかどうかはともかく……霞が関の某役所の方に貰った仕事が超緊張した。『失敗したら国際問題だから。まあ、新進気鋭の葛城君なら大丈夫だろうけど』ってプレッシャー掛けられたし」
「……」
いや、それって……なんだろう? 普通に凄くね?
「……前々から思ってましたけど、小太郎先輩って結構なチートキャラですよね?」
「……いや、それは俺もお前にだけは言われたくないんだけど?」
俺? 俺はアレだろ? 地味に芸達者ってだけでそんなに大したモンじゃねーよ。
「まあ、俺とお前の認識の齟齬はともかく……でもまあ、良かったんじゃね? ホレ」
そう言って小太郎先輩が顎で小さくナターシャの方を――うお。なんかスゲー悔しそうな顔してやがる。
「……すげーっすね、アレ。百年の恋も覚めますわ」
「別に恋してねーけどな」
まあ、気持ちは分からんでも無いが。『アンタのカレシ、チョーダサいんですけどー』なんて小馬鹿にしていた人間が実は、知る人ぞ知る名士だったりした日にはあんな顔にもなんだろう。主に、悔しさと恥ずかしさで。
「……にしても感じ悪いっすね、先輩。あの表情見て『いい気味だ』なんて」
「いや、いい気味だなんて言ってないからな? でもまあ……なんだ? 俺のせいでユメが小馬鹿にされるのはあんまり気分が良いもんじゃねーしな?」
そう言って心持優し気な笑顔を浮かべる小太郎先輩。この人のこういう……なんていうか、自分の為じゃなくて人の為に怒れたり悲しんだりできる所は素直に尊敬できる。モテる理由も分かるってモンだ。悔しいから言わんけど。
「……ふ、ふーん! ユメのカレシが凄い人ってのは分かったわ。良かったね、ユメ! 良いカレシ見つけて!」
悔しさ全部、といった表情を見せながら鬼の形相をユメに向けた後、今度はその視線を俺に向けるナターシャ。その視線の中に侮蔑の色を入れてる辺り、コイツは人を見下さないと生きて行けない病気かなんかに掛かってるんじゃ無かろうかと逆に心配をして上げたくなってくるぞ、おい。
「まあ? ユメは元々、顔自体は良いし? そりゃ、良いカレシ見つけてもおかしくないけどー? トリム様の方のカレシはどうなの? そっちのカレみたいに実は凄い特技があったりするのー?」
「あん? 俺に言ってんのか、それ?」
「ひぅ! に、睨まないでよね、怖いんだから!」
いや、別に睨んじゃねーよ。ただそっち見ただけでそんな風評被害はマジ勘弁なんだが。
「……俺はまあ……そうだな。別に、大した特技はねーよ」
「ふーん! そうなんだー! 大した特技、無いんだー!」
別に小太郎先輩みたいに絵が抜群に上手いワケでもねーしな。勉強だってそんなに無茶苦茶出来るワケでもねーし、運動も……まあ、それこそ妹ズの様に全国に出るほどの力も無いし……あれ? そう考えると、俺って何にも出来なくない?
「そ、そんな事ありません!」
ちょっとだけ凹み掛けてた俺に、不意にそんな声が掛かる。トリムだ。
「……トリム様?」
「ま、マリア様はお料理が上手です! それに、お掃除だってお上手ですし、裁縫もとてもお上手です!」
「……ふーん。なに? 今流行の家庭的男子ってヤツ? でもさ? それってそんなに凄いの? 精々、趣味の領域ってヤツじゃない?」
「そ、そんな事はありません! こ、このドレスだって、マリア様が作って下さいました! 私の為に、一生懸命、必死に、夜を徹して!」
「なに? トリム様のドレスってカレシの手作りなの!?」
少しばかり驚いた様にナターシャがトリムにつかつかと近寄り、ドレスを上から下まで見下ろす。その後、嘲笑の色を濃くした様にトリムを見やるとふんっと鼻を鳴らした。
「なんですか、その態度は!」
「ああ、失礼しました~。でもさ? 『裁縫がお上手です!』なんて言い切るぐらいだから、どれ程凄いのかと思ったけど……所詮素人の手作りってカンジ?」
「そ、そんな事はありません!」
「あるわよ。まあ、デザインは悪くないと思うわよ? トリム様の体型を隠す様な細工もしてあるし、色味も全体的に統一感があって悪くはない。でもさ? その服、着心地悪そうじゃない? 縫製も雑だし」
もう一度トリムの服をチラリと眺めながらそんな事をのたまうナターシャ。その姿に俺は。
「……へぇ」
思わず、感嘆の息を漏らす。そんな俺の言葉に、ジロリとした視線をナターシャが向けて来た。
「……何よ?」
「いや……完全無欠にダセー服とか馬鹿にして来るのかと思ったけど、そんな事も無いんだな、アンタ」
「……何? 貴方、もしかして私が無闇やたらにトリム様やユメに突っ掛かって行ってるとでも思ってるワケ?」
「違うのか?」
「バカにしないでくれる? 私は良いモノは良いって誉めるし、悪いモノは悪いって素直に言うだけ」
「……へー。そういう考え方か。だからユメ先輩やトリムに噛みつくってワケか? この二人が『悪い』から」
「サキュバス族でありながら純情、なんてバカの極みだし、容姿に魅力が一欠けらもないサキュバスなんて阿呆の極みじゃない」
「俺らをバカにしてるのは?」
「サキュバス族にとっていい男を捕まえるのは言ってみれば『仕事』なの。イイ男じゃない男を引っ掛けたり、ましてやその為の努力をしないのは職務怠慢みたいなモノ。そんなの、非難されて当然でしょ?」
……なるほど。
「そっか。すまん、勘違いしてたわ。俺、お前の性根が腐ってるのかと思ってたけど」
「どういう意味よ!?」
「根性が捻じ曲がってただけなんだな」
「だから、どういう意味よ!? 意味変わらなくない、それ!?」
「いや、褒めてんだぞ? お前の考え方に筋は通ってると思うし」
性根が腐ってるのは人間として最悪だが、根性が捻じ曲がってるのは仕方ない部分もある。別に真っすぐ一本気だけが褒められるべき性質って訳じゃ無いし、捻じ曲がっててもナターシャの言葉に筋は通ってるからな。それを他の人に言う必要は無いとは思うが……そういう所が捻じ曲がってる由縁ではあろう。
「……もういい。ともかく! この服、デザインは悪くないけど、縫製が雑じゃん。私の着ているドレスは縫製もしっかりしてるから着心地も抜群よ? そういう所、貴方は気にして作ってないでしょ、コレ?」
「……まあな。時間も無かったし、一回こっきりのつもりだからソコはちょっと手を抜いた部分ではある」
「ほらね? ま、どれくらい時間が無かったのか知らないけど、そんな服をパーティーに着て来るようじゃどうなの? って思うわよ? 実際、トリム様に似合う服だってもっとあると思うし。前のパーティーで――」
「待て」
「――着ていた黒の……なによ?」
「トリムに似合うドレスがある? これよりもっとか?」
「はあ? アンタ、知らないの? トリム様はサキュバス族のお姫様よ? 似合うドレスなんて腐る程あるに決まってるじゃない」
心底バカにした風にこちらを見やるナターシャ。その視線を受け流し、俺はトリムに視線を向ける。
「……あんの?」
「そ、それは……」
「え? もっと良いドレス、あんの? お前に似合うドレス? それ、持ってきてたりすんの、こっちに?」
俺の言葉に、唇を噛み締めて俯くトリム。どれくらいの時間が経ったか、やがてトリムの頭がコクリと縦に揺れた。
「……」
「……も、申し訳ございません! そ、その、徹夜で作って頂いたのに、この様な失礼な事を!」
「……いや、別に失礼とは思わんが」
うん、別に失礼とは思わん。つうか、そもそもドレスのあるなし確認してない俺が悪いっちゃ悪いし。だから別にそっちの方じゃ無くてだな?
「……あるんだったらそっち着ろよ」
そう。
仮にもお姫様のドレスだぞ? 縫製だってばっちりだろうし、デザインだって似合うんだったらそっちにしろよって話だろ。
「……」
「……トリム?」
「……いけませんか?」
「いけませんかって……」
いや、そりゃ別に悪いワケじゃないけどさ? それでも――
「――マリア様の作って下さったドレス、着たいと思ったらいけませんか!」
――トリム?
「ええ、ええ! それはマリア様の仰る通りです! 私が持ってきているドレスは、どれも贅の限りを尽くしたドレスです! 私に似合う様、お母様がデザイナーに頼んで作って頂いたドレスです! デザインも縫製も、全て一流のドレスです。だって、それはそうですよね? 私はサキュバスだから! 『美』を彩る事にその種族の全てを捧げる、そんな一族の生まれだから!」
でも、と。
「でも、そんなドレスを着てこのパーティーに出たいなんて思わなかった! マリア様にご苦労を掛けて、ご迷惑を掛けて、それでも、それでもそんなドレスを着て、このパーティーに出たかった!」
それでも、と。
「私の――」
大きく息を吸って。
「――私の愛した人は、こんなに素晴らしいドレスを作れて、こんなに優しい人なんだって――皆に、サキュバスの同窓に見せたかったからっ!!」
トリムが叫んだ、その瞬間。
「っ! きゃあ!」
「きゃ!」
「ユメ!」
不意に、トリムの体が光に包まれる。目が潰れるかと思う程、突如生まれたその光源に会場内は軽くパニックになりながら、皆が目をぎゅっと瞑る。俺もその流れに従う様、目を固く、硬く閉じて。
「…………………………は?」
光の奔流が治まり、瞑っていた目を開けた俺の視線の先に。
「――あ……ま、マリア……さまぁ」
絶世の美女が、俺の方を恥ずかしそうに見つめていた……って、は?




