第百一話 『頂点に立った事がある』という事
鳴海の『ユー、ご飯なんか食べてる場合じゃないんじゃない?』発言(こんな言い方ではない)の翌日。
「うわー! 美味しいね~コレ、マリアお兄ちゃん!」
「…………あ、ああ」
「ねえねえ、ヒメさん! 食べて見てくださいよ、このケーキ! すっごく美味しいですよ!」
「…………う、うん。た、食べるよ。た、食べるけど……」
「ほら、奏ちゃんも麻衣ちゃんも咲夜ちゃんも! 折角お兄ちゃんがホールで作ってくれたんだから! 早く食べなきゃ!」
「う、うん」
「そ、そうですわね」
「た、食べるけどさ~」
そう言いながら、それでもチラチラと視線を一方向に向けるヒメと妹ズ。自分で言うのもなんだが、決して不味い訳ではないであろうケーキを食べるには浮かない表情を浮かべて見せる。まあ理由は簡単、四人の視線の先には。
「……………………………………」
ストーブをガンガンに利かせ、布団をかぶって体育座りをして虚ろな目をこちらに向けるトリムの姿があるからだ。額に珠の様な汗を浮かべたまま、合ってない視線の先には今まさに鳴海の口に運ばれるケーキの姿があった。
「…………ナルミさん」
「ダメですよ、トリムさん」
「そんな! 後生です! 一口だけ! 一口だけでいいですから!」
そう言って縋る様な視線を向けるトリムににこやかに微笑むと、鳴海はケーキを口に運ぶ。思わずトリムの口から『ああっ!』なんて言葉が漏れた。
……まあ、もうお分かりかと思うが、トリムを除いた四人はケーキを食べ、そんな四人を羨ましそうに見つめるトリムの図、という風景が繰り広げられているのである、俺の眼前で。
「酷い! 酷すぎます、ナルミさん! こんな……こんな仕打ちは酷すぎます!」
「酷いってのは酷いですよ~。私、一生懸命トリムさんのダイエットに貢献してるのに」
まるで親の仇を睨む様な目でキツイ視線を送るトリムに、鳴海は苦笑で返す。まあ、他の皆が美味しそうなケーキ喰ってるの文字通り指を加えて見てんだから、トリムのストレスがマッハで溜まるであろう事はお察しではあるが。
「ええっと……な、ナルミちゃん? 流石にこれは私も……ちょ、ちょっとトリムが可哀想かな~って思うんだけど……」
そんなトリムと鳴海の二人の間を忙しそうに視線をさ迷わしていたヒメが遠慮がちに口を開く。思わぬ助成に涙を流さんばかりに『うんうん!』と頷きながらヒメを見つめるトリム。今度はそんな二人に視線を送った鳴海が溜息を吐きながらフォークを置いた。
「ヒメさんまで……あのですね? 私だって別にトリムさんをイジメてる訳じゃないんですよ? これだって必要な事だと思うからやってるだけですから」
「必要な事なの、これ?」
そう言って首を傾げるヒメ。そんなヒメに、鳴海は小さく頷く。
「ヒメさん、お腹いっぱいになってもスイーツ目の前にしたら『食べたいな~』って思う事ありません?」
「そりゃ……あ、あるけど」
「ですよね? 所謂『甘いものは別腹』って言われるアレですけど……アレは脳内でオレキシンって呼ばれるホルモンの分泌によって食欲が増進され、満腹だった胃にスペースが出来るからなんです。だから、お腹いっぱいでもスイーツは入っちゃうんですよ。まあ、スイーツだけじゃないんですけど……なんだっけ、マリアお兄ちゃん? あの、夜中に美味しそうな画像を見ちゃうあの……」
「飯テロか?」
「そう! それも原理としては同じなんです。結局、『美味しそう!』って思うと、人間は勝手に胃にスペースを作る様にするんですよ。これは人間の本能的なモノで、『飢え』を回避する為のシステムらしいです。食べられるときに食べ溜めしておく様に、そういう体の仕組みになってるんですよ~」
トリムが人間かどうかはともかく……ふむ、なるほど。
「それは……なんだ? 胃のスペースが出来るイコール消化が促進されるから、ダイエットに向いてるって話か?」
俺の言葉に、鳴海はイイ笑顔で首を振る。
「さあ? 知らないけど……たぶん、そんな話は無いと思うよ? 飯テロがダイエットに良いとか聞いたことないし」
横に。って、おい!
「……んじゃ意味ねーじゃねーか、コレ」
「そんな事ないよ? これだって十分意味があるんだよ?」
「……こんな公開処刑みたいなヤツがか?」
俺の言葉に、今度は鳴海が首を縦に振る。
「ほら、私ってこう見えて一応弓道の全国チャンピオンでしょ?」
「……そうだな」
「その……自慢ぽっくてあんまりだけど、一つのスポーツで日本一になろうと思うと結構な努力が必要なんだよ」
「分かるさ。それに、別に自慢でもなんでもないだろ? 事実、お前は日本で一番練習したから日本一になったんだ。才能とかもあるんだろうけど、それだけじゃ日本一なんかなれねーよ」
嬉しそうに鳴海が微笑む姿を視界にとらえ、俺は続きを促す様に顎をしゃくって見せる。
「ありがと、マリアお兄ちゃん。まあ、決して簡単だった、とは言わないよ。練習だってたくさんした。私はどんくさいから、人一倍、誰よりも練習した自負がある。でもね? それだけ練習しても、やっぱり緊張するんだ。外したらどうしようかとか、色々考えたりもするんだよ。応援してくれる人が居れば居るほど、逃げ出したくなっちゃうくらいに、怖くて怖くてどうしようもなくなるんだ。でもね? 今はそんな事、全然ないんだよ? もう一度全国に出れば、緊張は――まあ、するだろうけど、逃げ出したくなる事はないと思うんだ」
「……なんでだ?」
俺の疑問に、もう一度微笑んで。
「――一度、全国を制してるから。あの舞台で頂点に立った『経験』が、私にはあるから。だから怖くなったり辛くなったら思い出せば良いんだ。自分が『一番』になった、その経験を。それは私の糧となって生き続けているから」
「……」
「……さっきも言ったけど、今はオレキシンがどばどば放出されてる状態だからトリムさん、本当にきついと思うんだ。凄く食べたいけど食べれない、そんな状態だと思うの。でもね? 普通、ダイエット中に目の前でケーキを食べられるなんて経験、そうそう無いよ? だから、言ってみればこれがトリムさんに取っての一番辛い『経験』なんだよ。だからホラ、これを乗り越えた事があるって言うのは、凄くトリムさんの自信になると思うんだ。いきなり全国大会の決勝に出たと思えば、地方大会の一回戦なんて余裕でしょ?」
一概にそうとも言えんとは思う。思うが。
「あー……まあね。確かに鳴海の言う通りかも知れないね。全国の決勝に比べれば、地区大会の一回戦なんて余裕だわ」
「そう、ですわね。『勝った事がある』というのは何よりの財産ですから」
「だね~。確かに自信は付くかも」
鳴海と同じように、全国を制した事がある妹ズ三人が頷いてるんだ。そういうモンなんだろう。
「……そうなの?」
「多分に精神論な感じはするがな」
首を捻るヒメに、曖昧に返す。でもまあ、俺は全国を制すほど一つのスポーツに打ち込んだ訳じゃねーし、そう言った『自信』的な話は経験者の言に従うしかねーだろ。なにより。
「……分かりました。そして、ありがとうございます、ナルミさん。そこまでお考え頂いていたなんて……皆さんも、ありがとうございます!」
そう言って目を感動に潤ませるトリムを見てりゃ、細かい事なんてどうでもよくなる。そんなトリムに優しい笑顔を浮かべて妹ズがケーキに視線を向ける。
「よし! そうと決まったらたべるぞー!」
「そうですわね! さっきから美味しそうな香りがしていたんです!」
「うんうん! そうだよね! 私もさっきから食べたいって思ってたんだ!」
「よろしくお願いします、皆さん!」
「「「おー!!!」」」
……まあ、そんな妹ズプラスヒメを見て、『や、やっぱり私も少しだけ』『ダメです!』『そんな~……!』なんて悲しそうな眼をしたトリムにちょっぴち同情はしたんだがな?
明らかにタイトル負け。




