凍てつく心
後ろで静かに扉が閉められた。赤い絨毯を踏みしめて、気持ちを奮い立たせる。
気を抜かせば、その場で蹲ってしまいそうになる。緊張と、不安がせめぎ合う心を叱咤して、ロゼリアはゆっくりと顔をあげた。
部屋の中央で書類整理に追われている目的の人物ーーー。
こちらに気付いていないのか、ただ無言で、ロゼリアを見ようとはしない。その視線は一心に机に積み上げられた書類へと向いていた。
覚悟して入ったロゼリアだったが、少しだけ心が落ち着くのを感じた。だが、ここでいつまでも突っ立っているわけにもいかず、意を決して陛下に声をかける。
「ーーー陛下」
呼びかけが聞こえたのか、リヴァルトが手を止めてチラリとロゼリアを見た。
だが、再び書類に視線をやり、手を動かす。
「妃か」
「ーーーはい」
カリカリとひっきりなしに何かを書き込む音だけが耳に入る。
ロゼリアは俯いて床に敷かれる絨毯に目をやった。
用意していたはずの言葉は、すでに頭の中から消えてしまっていた。何を言うべきか、ロゼリアは必死に思い浮かべようとしたが、一向に思い出せないでいる。
部屋に訪れてからそれほど時間は経過していないが、ロゼリアはこの時間が永遠に続くような気がして眉根を寄せた。
今すぐ後ろを向いてここを出たいーーー。
ロゼリアは内心で思ったことにハッとして、小さく頭を振って、その気持ちを否定した。
何をしているの、それではただ陛下の邪魔をしに来たも同然じゃないの。
意味がない。
そんなことをしに来た訳では無い。
私は、陛下に事の詳細を聞きに来たのだ。
しっかりしなさい!ロゼリア!!
「ーーーーふう、こんなものか」
書類を机の脇に置いて息をつくリヴァルトの声に、ロゼリアは俯いていた顔を上げた。
「で、我が妃は何用だ?」
何の表情も浮かんでいないその顔を見つめながら、ロゼリアは大きく息を吸って口を開く。
心臓が激しく鼓動して、妙な緊張が、ロゼリアの体を支配する。
「側室を望まれたと聞きました」
側室を、陛下がーーー。
そのことを口にしたくは無い。その言葉だけでも、ロゼリアの心は揺れるから・・・。
痛む心。
だが、それを相手に悟られるような行動はしない。勿論、態度も。
ただ悠然と、ロゼリアは微笑んだ。
今だけは、微笑まなければ。例え心は暗闇に染まっていたとしても。
今のこの瞬間だけはーーー・・・。
「ーーーそのことか」
相対するリヴァルトの表情が僅かに顰められる。
「はい」
ロゼリアは微笑みを保ちつつ小さく頷いた。
「・・・・」
けれど、相手ががこちらから目線を外し、机の上をぼんやりと眺めるのを見て、ロゼリアは首を傾げる。
「望んだのですよね?」
「・・・まあ、そうだな」
リヴァルトは視線を上げずに応えた。そして、唐突に顔を上げたかと思うと同時に、微笑むロゼリアに顔を向ける。
どきりとロゼリアの胸が脈打つ。
震えそうになる体を押しとどめて、ロゼリアは真っ正面からその視線を受け止める。
「それがどうかしたのか?」
別にどうでもいいだろう、とでも言いたげだ。
こちらの気も知らないで・・・。
思わずため息が漏れそうになる。
「いえ、何故いきなり側室を迎え入れられる気になったのか、それが気になっただけですわ。いけません?」
飽く迄も強気で。
ロゼリアは笑い、じっと陛下を見つめる。
別に側室に反対している訳ではない。ロゼリアはただ、知りたかっただけだ。
陛下自身から、その、気持ちの理由を。
ただ、それだけ。
皇妃としての気持ちと、彼を好きな自分の気持ちとでは、その返答によって真逆の気持ちになるだろう。
ここで口にするべきは、皇妃としての気持ち。
例えどんな答えでも、今、皇妃としてこの場に立つ以上は、微笑んでみせる。
「ーーー言わなければいけないか?」
不機嫌そうにこちらを見つめる青紫の双眸。
言いたくない、私には。
それとも、皇妃としての自分には、だろうか・・・。
「言っていただきたいですわね。こちらにも、心の準備がいりますもの。目の前でいきなりイチャイチャされてはーーーー目のやり場に困ってしまいますでしょう?」
「なんだそれは・・・」
がくりと肩を落とすリヴァルトに、ロゼリアはふふっと笑う。
ーーー違う。
気付いて。
ワタシノキモチニ。
ーーーーーーっ!!!
駄目だ。まだ、駄目。
表面に溢れそうになる気持ち。それに、慌てて蓋をする。この気持ちを言うことは、出来ない。
「・・・陛下、どうなのです?」
「答えられん」
「答えられない?答えたくない、の間違いでは?」
「そ・・・とにかく、答えるつもりは微塵も無い」
きっぱりと、彼は言った。
妻である自分に言いにくい気持ちを、相手の方に抱いていらっしゃると・・・そういう訳かしら。
途端、ロゼリアの心がずしりと重くなる。
泣いて、喚いて
その身体に縋り付いて、罵声を浴びせることが出来るならどんなに良かったか・・・。
それでも、それが王としての返事なら。
私は笑ってみせよう。
微笑んでみせよう。
とびっきり上品に、優しく、強かに。
「陛下は、相変わらず照れ屋で奥手ですね。私、少々心配ですわ。そんなことで、よく側室の方を口説けましたわね?」
「ーーーー?は?」
「とぼけたって無駄ですわ」
答えないことこそが、何よりの証。
ああ、泣きたい。
いっそ、目の前で泣いて泣いて泣きわめいたら、考え直して下さるかしらね?
ーーーでも、出来るはずがない。
そんなみっともない真似を、この方だけには見せたくない。
それだけはーーーいや。
だから
「良かった。本当に・・・」
おめでとうとは言えないから、せめて、陛下の心に訪れた春を喜ぼう。
私の心は凍てつくけれど、それでも、この方が幸せであれるのならば。
「ーーーーき」
リヴァルトの唇が言葉を紡ごうと開かれる。
何だろうと思った私の耳に、けれど次の瞬間聞こえたのはーーーーーーー・・・
「きゃーーーー!!いやーー!!!変態、触らないでください!!いや、ちょっと近寄らないでっ、この極悪変態エロ大魔王!!!」
という、何とも珍妙な絶叫だった。
「「ーーーは?」」
思わず顔を見合わせる二人。今までの雰囲気は完全に霧散していた。
ロゼリアとリヴァルトは互いに絶句して顔を見合わせたまま、同時に声がした執務室の扉へ視線を走らせるーーーが、扉は閉まっている為外の状況が分からない。
今の声はメルリーーー??
ロゼリアは首を傾げて、廊下へ出るために部屋の扉の前に移動した。
後ろを振り向くと、陛下が片眉をあげて小さく頷く。
それに合わせるように頷いて、ロゼリアは扉の取っ手に手を掛けた。
遅くなりましたが投稿です。ロゼと陛下サイドです。
なかなか話が進まないので、困ってます。