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偽りの表面とそれぞれの心中

 気付いていたことがある。

 最初は小さな違和感だったそれは、しかし今では大きく育ち、ふとした瞬間に蘇っては自身の心情をむしばみ黒い世界へと引きずり込もうとする。

 聞いてみればいいと分かっていても、次の瞬間襲ってくるのは恐怖だった。無くしたくない。失いたくない。だからこそ、そのままで。

 けれど、それでは駄目だと分かっているのだ。

 分かっていても、踏み出そうとする自分をせき止める壁はとても分厚く行く手を阻む。


 何故。


 疑問ばかりが脳裏を埋め尽くしていく。どうして、でも、ああ。でもきっと、私はその理由を彼女に問うことをきっと何よりも恐れている。


『――――――――』


 それによって、崩れてしまうかもしれない、知ることになるかもしれない、何より―――――変わってしまうかもしれない事に……。

 変わらない物なんてこの世にありはしないのに。それでも、愚かなことに何度でも私は願ってしまうのだ。


 彼女が大切だからこそ、その普遍を。












「―――もう、宜しいのですか?」


 微かに震えた瞼に予感を覚え、ロゼリアはゆったりと問いかけた。震えていた瞼がその声にピクリと大きく動き、次いでそっと開かれる。

 それに合わせるようにして微笑み、ロゼリアは風によって解けてしまった髪を耳にかけた。


 いつもと何ら変わりない笑顔。


 今や涙の跡などないはずの顔で、けれどロゼリアはその青紫色の瞳が一瞬陰ったように見えて、内心でヒヤリとした。

 目を瞬いてもう一度その顔を覗き込んでみれば、微かな困惑は探れても、先程の陰りは見受けられない。

 恐らく、気のせいだったのだろう。


「……もしかしなくとも、寝ていた……のか」


 ゆっくりと気怠い感じで体を起こしたリヴァルトの呟きにええ、っと相槌をうつ。


「昨夜は寝ておられなかったのでしょう? 仕事は大切ですが、体を休めることも大切ですわ」

「そう…だな」

「はい。兎に角ご無理は為さらないようにーーーー………陛下?」


 言葉が、途中で途切れた。ギュギュッと訝しげに眉を寄せて、ロゼリアはリヴァルトを呼ぶ。

 特に変なことを言った覚えは無い。

 その身を案じていたからこそ、少々小言のようになってしまった感はあるが、肩を揺するほど可笑しい言葉では断じて無い。

 だというのに、ロゼリアの隣に座るリヴァルトは、何がそんなに可笑しいのかクツクツと肩を小刻みに揺すっていた。口元に沿うように当てられた拳まで微妙に揺れていて、ロゼリアはついついそれを見て半眼になった。


「何がそのように可笑しいのです?」


 笑いを堪えるように無言で、でも微かに体を震わせているリヴァルトに掛けられたロゼリアの言葉は、若干刺々しかった。

 無理もない。何故ならロゼリアは少々ムッとしていたのだ。

 一体全体なんだというのか。目が覚めて早々笑われるようなことを言った覚えは無いというのに。


「陛下」


 幾分下げたトーンで呼べば、未だに笑いを零しながらリヴァルトが左右に頭を振った。


「いや、すまない。だたその…少々懐かしく思ってな」

「ーーー懐かしい?」

「ああ」


 未だに半眼のまま見つめるロゼリアに、リヴァルトはコクリと頷くと再び軽く微笑を浮かべて言葉を続けた。


「同じような事を言ってくれた事があったな、と思って…少しな」

「同じ……って。まぁ、確かにそうですけれど。それが笑うことでしょうか?」

「いや、そういうことではなく。ただ、君は変わらないように見えるなと…そう思っただけだ」

「ーーー変わらない、ですか…」


 その言葉に、ロゼリアの瞳が一瞬陰った。変わらないなどあり得ない。

 ロゼリアは内心で溜息を零す。


 もしあの頃のまま変わっていなければ。


 こんなにも。



 こんなにも自分は苦しんではいないだろう。


 只管に本音を隠し続けて、そうして少しずつ見えない鎖が体に食い込んで血をながす。


 もしそう、変わらないように見えると言うなら、それは自分がそう見えるように演じているだけで…それは本当の自分では無い。


 でも、そう。


 良かった。ああ、彼には変わっていないように見えているのなら…それは良かったと言うべきなのかもしれない。


 そう思ったのに…


「私は、変わったよ」


 俯きがちに自分の思考に耽っていたロゼリアは、その言葉にふと顔を上げた。

 真っ直ぐに自身を見つめる双眸と視線が絡まって、ロゼリアは何故か全身が酷く脈打つような感覚に囚われる。


 真剣味が急に増したと、そう思った。


 身動きが、何故か出来ない。


「いや、違うか。変わってしまった、と言うべきかもな」


 リヴァルトの言葉には、打って変わって、今度は自嘲めいた響きが込められている。


「変わるのは、いけないことでしょうか?」

「いや、でも、変わりたく無かったんだよ。私は。君も、それは気付いていたんだろう?」


 掛けられた言葉の意味。何を、指しているのか。


 それがロゼリアに分からない筈は無かった。おそらく、いや、きっとあの事を言っているのだと。

 三年前の、まだ彼が人形王と呼ばれていた時の。


 思えば、あの時の事をこうして本人の口から 紡がれるのは久しぶりな気がした。

 いつからか意図的に、ロゼリアはその事に触れないようになった。前は進んで彼の気が済むまで、それこそずっと彼の思い出話を聞いていたのに。


 いつの間にかそれが辛いと、思うようになって、ロゼリアは【昔話】を聞かなくなった。

 そして、いつからか彼も【昔】を話さなくなっていた。


 そう言えば、いつから、彼は言わなくなっただろうか……。


 思い返そうとしたロゼリアに、けれどそれを遮るかのようにリヴァルトが言葉を掛ける。


「でも、変わらざるを得なくなった。変わりたくない一心で立ち止まっていた私の手を、君が無理やり握って歩き出したから。そのまま引きずられて現実を見つめるしかなくなって、そうしているうちにいつの間にかそれが当たり前みたいになってしまって、でも馬鹿な私は、それでもそれを受け入れたくない思いもあって。でも、君があの時―――……」


 最後で一瞬、何かを逡巡するかのような間があった。緩やかに首を振ったリヴァルトは、嘆息するような、小さな呟きを漏らし、言葉を続ける。


「あの時君がずっとそうしてくれたからこそ、私の今はあるんだろうな」


「っ…………」


 微笑みと同時に手を伸ばし、リヴァルトはロゼリアの手を握りしめる。

 仄かに伝わってくる相手の体温に、ロゼリアは頬がかっと熱くなって何故が急に慌てたような言葉が唇から滑り出た。


「な、何ですか急に!!い、今更過ぎでしょう?!」

「ふっ……まぁ、確かにそうだな。でも、一度お礼を言っておこうと思ってな」

「な…べ、別に宜しいのですよ。ええ、あれは、ただその…あまりに弱っておいででしたから、つい助けなくちゃって思ってしまっただけですし。人として、弱った方を助けることは当たり前です!そ、それに一応、私は貴方の妻ですよ?当然でしょう?!」

「……そうだな。一応、か」


 微かに低くなったリヴァルトの声音。けれど、ロゼリアは自分で一杯一杯でそれに気付かない。


「はい。ですからお礼なんて…その、嬉しくは、ありますが。でも、感謝されたくてしたわけでは!!」

「……そんなに必死にならなくても、あれが善意だったということくらい分かっているさ」

「そう…ですか?」

「ああ。だが、まぁ何はともあれ、君のおかげでこうして変われたこともまた、まぎれもない事実だ。だから、ありがとう」


 眩しい光を見るかのように目を細めて微笑を浮かべたリヴァルトに、ロゼリアの心臓は大きく跳ねた。跳ねる心臓のせいでうずく胸元に手を当てて、その上から鷲掴むように服を握り締める。

 俯いた顔が微妙に熱くなっているのは先ほど泣いていたせいではないのだろう、未だに煩く鳴り続ける心臓に思わずため息を漏らした。


「どうしてそこでため息が出るんだ君は?」

「――――――陛下のせいですわ」


 吐いたため息に、こちらの胸中など知らないのであろうリヴァルトからどこか間の抜けた疑問が返されて、思わずじとっとした目を相手に向けロゼリアは唇を尖らせる。


 全く、本当にこの方は。


 私の気持ちを知りもしないで。


「――――そう、全て陛下が悪いのです」

「は?ちょっと待ってくれ。いま君の中で一体どういうやり取りがあったのか分からないんだが、一体私がお礼を言った後、君の中で何が起こってそういう結論に至ったんだ?私は君に感謝を述べただけなんだが、いや、確かにあの時の私の態度は悪かったとは反省しているが……」

「そうですわね。あのころの陛下は冬のつららのようでしたものね。私何度あの氷のような視線にくじけそうになったかしれませんわ」

「っ?!そ、それは―――――待て、ちょっと待って欲しい。君は全然くじけそうな感じではなかったはずだ。私が口を開くたびに、飛び出た杭を打ち込むがごとく丸め込んで最終的に君の望むように私を動かしていたはずだ」

「……まぁ、嫌ですわ陛下。人を悪女のようにおっしゃるのはお止しになって」


 おほほとワザとらしく笑うロゼリア。


「大体、先ほどの言葉にありましたが、無理やり手を引いただなんて。私は優しく陛下を諭しはしましたが、別に強制はしておりませんわよ」

「どの口でそういう事を……政務中に襟首を掴んで寝室に放り込んだのは君だったと記憶しているんだが……」


 呆れた顔つきのリヴァルトに、ロゼリアはにっこりと笑う。

 確かにそうだ。彼が言っていることは事実。でも、それに頷くのは非常に今は癪だった。


 彼は知らない。その言葉で、私がどれほど一喜一憂するのか。その笑顔で、どれだけ私の心が乱れるのか。


 そう、彼は知らないのだ。


 普段あまり笑わないから、時たま向けられる微笑みにどれだけ心が揺さぶられているのか。


 ああ。


 嗚呼、だから。


 だからせめて玉にくらい、私の言葉に困ればいい。きっと私がほほ笑んだところで、その心を乱すことは出来ないのだろうから


 ねぇ、陛下。


 貴方は知らないでしょう?さっきの言葉にーーーー私がどんなに嬉しく思ったか。


「―――――記憶違いですわね」

「君はまたそんな風に……っ」


 そして同時にーーーーいまこの瞬間、どんなに悲しくも思ったのか。

 貴方は気付いているのかしら。

 ううん、きっと気付かない。


 だって、私は笑っているから。

 完璧に、ほほえんでいるから。


 だから貴方は――――――気付けないのね。


「――――――――」

「……?」


 急に、手を伸ばされて、ロゼリアは目を瞬く。先ほどまでどこか呆れたように自分を見ていたリヴァルトの表情が切り替わったようにみえた。


「陛下?」


 ロゼリアの呼びかけに、リヴァルトが微かに瞳を揺らした。


「あの、陛下?」

「君は」


 それは、絞り出すかのように。

 かすれ気味の声だった。


「君は―――――……」


 添えられた手が、ゆっくりと離される。ロゼリアはぼんやりとその手を見やり、首を傾げてリヴァルトを見つめる。彼は、何を言おうとしているのか。

 先ほどまでのどこかふざけた空気が無くなって、代わりに場を満たすのは霧がかかった早朝のような静けさ。


 全ての音が、彼の口から零れる言葉に集約されているかのような錯覚を覚えそうになって――――けれど、それは、彼自身によって打ち壊されてしまう。


「……。はっ、君は嘘つきだな。あんなことをするのは、君以外にはいない。第一私は忘れない」


 ぎゅっと強く掌を包み込むようにロゼリアの手を握り締め、リヴァルトは再び笑った。

 けれど。


 ああ、何故?


 ロゼリアはその笑みに目を見張る。

 何故かその笑みが泣いているかのような表情に見えて。まるで自分と同じように笑うリヴァルトに、ロゼリアは困惑する。

 何故、泣きそうだと思ったのか。何故、そう感じたのか。


「さてと、そろそろ戻ろうか。君は部屋に戻るのか?」

「え……? あ、はい」


 ロゼリアは、思考が鈍いままにぎこちなく頷く。


「そうか…。なら、部屋まで送って行こう」


 未だ困惑したままのロゼリアに、立ち上がったリヴァルトがそっと手を差し出す。つられるようにその手を握ったロゼリアは、背後で侍女と侍従が片付けに入るのを感じながら手を引かれるままにのろのろと歩き始めた。

 未だ混乱した頭で、前を歩くリヴァルトを見やる。彼の顔は当たり前だが見えない。だから、ロゼリアは知らない。

 先ほどまでの彼女と同じく、彼もまたどこか苦みのある表情で顔を顰めていたことなど。


 ロゼリアには知る由も無かった。

【立ち上がろうとした瞬間の裏話】


ロゼ「っ………?!」

リヴァ「………!!大丈夫か?!」

ロゼ「〜〜あ、脚が」

リヴァ「挫いたのか?」

ロゼ「い、いえ、ここ一年ほどずっと貴方を膝枕し続けていたので、脚が痺れてしまって」

リヴァ「……」

ロゼ「あ、でも大丈夫ですから、お気になさらないで」

リヴァ「その……すまない」


はい、と言うわけで裏のやりとりでした。ちょいシリアスな本編の余韻丸っと無視してます。

そして、更新約一年ぶり。去年の二月から…おおう。なんか色々ごめんなさい。感想もぼちぼち返事書かせて頂きますので、もう少々お待ち下さいませ。

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