暖かな気持ち
翌日、急遽決まったお茶会に持参するお菓子を買うために、メルリは城下町へと出かけていった。お菓子を買ってくるように頼んだのはロゼリアだ。本来ならば主催側が準備するものだろうが、聞くところによると、参加する側室のそれぞれが互いにお茶菓子を持参してくるとのこと・・・その為ロゼリアも何か持っていく事にしたのだ。一人だけ持っていかないのも気まずいだろうし、お茶菓子を持参していくのはそもそも初めてではない。
頻繁にある訳ではないお茶会も、過去に一度も無かった訳ではなかった。その時はロゼリアが主催となって催していたことが殆んどで、互いの会話などで今現在自分が置かれている状況を把握したものだ。女子が集まってする会話程、的確な噂話は無い。全てが全て真実でないことはロゼリアも知っているが、噂と言うものにはその元ネタがあるものだ。それが大なり小なり捻じ曲がり、歪んで噂となるのだ。
誘われたお茶会は今日の午後からで、時間で言うと十五時過ぎ。メルリもそれまでには戻ってくる予定だ。
その間、ロゼリアはと言えば、いつものようにベッドから起きだすと、身支度を整えて陛下の部屋へと訪ねた。現在城を離れているメルリの代わりに、別の侍女が交代でロゼリアについてくれており、やや年齢を感じさせるくたびれた髪をひとまとめに結わえた、淡々とした態度の侍女は、マーサと言った。侍女勤めが長いのは、そのてきぱきとした一つ一つの動作から容易に想像がつく。
ロゼリアは昨日リヴァルトが意図せず部屋に居たために、今日も居るかもしれないと若干考えていたのだが、その予想は外れてしまった。
ロゼリアが部屋へ訪ねた時、部屋には誰もいなかったからだ。
誰もいない部屋をぐるりと見渡して、今日こそは後宮の方で寝泊まりしたかもと思う。何となく、彼がまた部屋にいるのでは無いかと思っていた分、ロゼリアは落胆している自分に気付き苦笑する。これが普通だ。それなのに何を思っていたのだろう・・・。当たり前の事だ。今更落ち込むのがおかしい。
そう思うも、気持ちは落ちていくばかりだ。そして、少なからず期待していた自分が、途端に恥ずかしくなった。
「そうよ、落ち込むのは変よね。分かっていた事・・・」
前回居たから、それがなんだというのだろう。
何度もそう思いつつも、溜息が勝手に零れ落ちてしまう。モヤモヤしたまま、ロゼリアは寝室から出るためドアノブに手をかけようとした。瞬間、いきなり向こう側から扉を開け放たれ、ロゼリアはびくりと肩を竦めて顔を上げた。
「・・・陛下」
そこにいたのは、しかめっ面をしたリヴァルトだった。一瞬驚いた表情でロゼリアを見て、それから寝室の窓に目をやると、再びロゼリアの方へ視線を移す。
「遅かったな」
「え?ああ、はい」
問いかけに、ロゼリアは小さく頷く。リヴァルトは後ろ片手にドアを閉め、欠伸をかみ殺しながらチラリと時計を見た。
彼は非常に眠そうだ。先程から欠伸を繰り返しているのだろう、目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。後宮からの帰りかと思ったが、それにしてはひどく疲れた顔をしている。
「陛下、今まで一体何を・・・」
ロゼリアがおずおずと言った具合で尋ねると、リヴァルトは若干げんなりした表情で天井を仰いだ。
「仕事が立て込んでいてな。徹夜だ。今は少し時間が出来たから、休憩がてら部屋に戻ってきた所だ」
「何かあったのですか?」
聞くと、彼は眉間に皺を寄せたまま、苦い顔で首を左右に振った。どうやら言いたくないらしい。それ以上何も言えず、沈黙が降りる。
出て行った方が良さそうだ。彼は非常に疲れているように見える。恐らく、少し眠りに来たのだろう。ならば、自分がここにいても邪魔になるだけだ。
そう思ったが、ドアの前にはリヴァルトが居るため、通りたくても通れない。しかしここでじっとしていても意味が無いので、ロゼリアは、リヴァルトにどいてもらおうと声を掛けようとした・・・のだが。
「朝食は済ませたのか?」
立ち尽くすロゼリアを見下ろしながら、リヴァルトは眠そうな顔で聞いた。暫くクエスチョンマークが頭の中を旋回していたロゼリアだったが、ふるふると首を左右に振る。今から侍女が用意してくれているであろう朝食を持って中庭に行く予定だ。もっとも、目の前の人物が脇に避けてくれないと、ロゼリアはこの部屋から出られないのだが。
困ったように微笑むロゼリアを余所に、リヴァルトは天井を仰ぎ見た。
「私もまだなんだが」
「・・・そうなんですか」
寝てから後で食べるのだろうか。
言葉の意図が良く分からずに首を傾げるロゼリアに、ああ、と短く返事を返し、リヴァルトの視線は忙しなく天井を彷徨う。何を考えているのだろう。ロゼリアはどうと言う事も出来ずに、そんなリヴァルトを沈黙したまま見つめていた。眠りに来たのではないのだろうか。彼は先程から引っ切り無しに欠伸を繰り返している。
「眠くないんですか?」
不思議に思ってロゼリアは聞いてみた。相手の答えは分かり切っていたので、問いかけた相手が首を振りながら眠い、と呟いているのを聞いておかしくなる。
リヴァルトは、天井から視線を外して、笑っているロゼリアをぼんやりと見つめる。その顔に、ゆっくりと微笑が浮かぶが、俯き瞼を閉じて笑っていたロゼリアはそれに気付かず、彼女が面白そうな表情でリヴァルトを見上げた時には、既にその顔から笑みは消えていた。代わりに浮かんでいたのは、どこか憂いを含んだもので、ロゼリアはそっと息をついて小首を傾げた。
「陛下?」
「・・・眠いのは眠いんだが、小腹が空いたな」
視線を床に落とすと、リヴァルトは呟く。
ロゼリアは目を瞬いた。
これは、もしかしなくとも誘って欲しいのかしら・・・?
「・・・私、この後中庭で朝食を摂る予定なのです。今日は本当に綺麗な空なんですよ」
そんなリヴァルトをじっと見つめながら、ロゼリアは言った。今朝起きた時に見た黄金色の空が脳裏に鮮やかに浮かび上がると、自然と微笑みが顔に広がり目尻が下がる。
「中庭・・・?」
「はい。あの、もし良かったら」
一緒にどうですか、と言おうとして、ロゼリアは間迷いが生じ口を閉ざした。不安を宿した瞳が揺れて、妙に冷えている指先を温めるように握りしめる。
迷惑かも知れない。
ロゼリアは慄き、リヴァルトを見つめていられずに視線が床に下がった。
そもそも彼は眠りに来たのだ。そうでなければ寝室には来ない筈だ。ここでロゼリアが誘っても、迷惑になるに決まっている。いや、迷惑にしかならない。しかし、お腹もすいていると言う。やはり誘おうか・・・でも断られたら、何だが酷く自分が馬鹿らしい気もする。気の使い過ぎだろうか。
ただ朝食を誘うだけだというのに、そんな簡単なこともロゼリアは出来ずにいた。元々、一緒にご飯を摂る事からして、両手で事足りる位の回数しか無かったから無駄に緊張している。それだって重要な祭典の時だけで、過去にプライベートで一緒だった事があっただろうか・・・。思い起こす記憶に当てはまる物は一つとしてなかった。
「もし・・・良かったら」
一緒にどうですか?
その一言が口から出てこない。
「・・・えっと、その、良かったら」
比較的近いところにある青紫色の瞳が、何かを確信したかのように優しく細められる。ロゼリアはそれに勇気付けられるようにして必至に唇を動かした。
「陛下、宜しければ一緒に・・・」
「一緒に、食べていいか?」
意に決しながらも、ロゼリアの尻つぼみになる言葉を引き継いだのはリヴァルトだった。
気付けば、自然と言葉が口がら零れ出ていたのだ。彼女が見せる表情に気を取られていたからかも知れない。いつも笑っている彼女の顔には、不安か、それとも緊張からか、いつも浮かんでいる筈の笑みが浮かんでいなかった。聞くと同時に、リヴァルトは若干の緊張と共に視線を泳がせる。
『一緒に食べていいか』
憂えていると頭上にそんな言葉が掛けられて、ロゼリアはそろそろと視線を上げた。目の前の相手は明後日の方角に顔を向けている。しかし、先程耳に届いた言葉が、ロゼリア自身に掛けられているのはどこか緊張しているように身じろぎ一つしない彼の態度を見ていれば気付けた。
「あ・・・のっ」
言葉に詰まっていると、ちらりとリヴァルトがロゼリアを見る。その顔がどこか気まずい感じに見て取れて、ロゼリアは慌てて何度も頷いた。
「・・・っつ、はい、はい!」
何故か泣きそうになった。本当に些細な事に、こうして一喜一憂する。それが酷く煩わしくもあり、けれど間切れもない嬉しさに、体を震わせた。
「そうか」
「はい」
ロゼリアとリヴァルトはほっとして同時に胸を撫で下ろした。
お互いがお互いの言葉に目を瞬いてどちらともなく笑いあう。今までには無いまったりとした優しい空気が二人を取り巻いていた。
リヴァルトがロゼリアに向けてゆっくりと手を差し伸べる。
「行こう」
「はい」
伸ばされた手に自分の手を重ね、ロゼリアは会心の笑みを相手に向ける。その笑顔は、普段から浮かべる造られたものでは無く、本人の意図せずままに心の奥底から零れ落ちた、久方振りの笑みだった。
その笑顔を見たリヴァルトは眩しそうに目を細めて、ロゼリアの手を一瞬だけ強く握り締める。
そうして、重なった手を引いてゆっくりと中庭に向けて歩き出すリヴァルトの姿を横目に、ほんわりとした暖かな感情が胸一杯に広がって、ロゼリアはもう一度小さく微笑む。
たとえ一瞬であっても、確かに幸福だと思える自分がそこに居たから。
取り敢えず一話。
久々で二人の距離感が難しいです。