口に出来ない言葉
当時の自分が、今のロゼリアを見たらどう思うのだろう。怒るだろうか、泣くだろうか、笑うだろうか。分からないが、きっとこう言う筈だ。なんで惚れたのよ・・・と。
一人、誰もいない寝室で、憤慨し泣き叫んでいたのは過去の自分。
それが・・・その筈が・・・。
「人の心って分からないものね」
今のこの想いは、誰にも言う気はない。勿論陛下自身にも。言ったらきっと困らせるから。口に出来ない想い、いや、口にしてはいけないのだ。
彼の事を思うなら、尚更。
俯いていた顔を上げると、先程まで暗かった空が、薄らとオレンジ色に輝きだしている。日の出だ。
また、一日が始まる。・・・といっても、今日はもう陛下の所へは行かない。少し心を落ち着ける必要もあるし、彼は一度起きたらずっと起きている。部屋を出るときに毛布に包まっていたが、もう既にベッドから出ている筈だ。
それに、そろそろメルリが来るころである。ロゼリアはちらっと自分の恰好を確認して、小さくため息を吐く。
彼女が来る前に着替えているのは、久しぶりだ。ここに来たばかりのころは、他人に着替えを手伝ってもらう事に抵抗が・・・というより気恥ずかしさと言うべきか、そんなこともあり、ほとんど自分でやっていた。ここに来る前は普通に自分で着替えていたのだ、出来ないことはない。
だというのに、今では手伝ってもらう事が普通になっているのだ・・・慣れというものはある意味凄い。
「でも、ここを出て行ったらまた一人で全てしなくてはいけないのよね・・・」
暮らす場所が変われば、過ごす一日が違うのは仕方がない。それに合わせて、やることも変わる。ロゼリアが城から居なくなった後、この部屋は物置にでもなるのだろうか。・・・正妃でありながら、結局正妃本来の部屋を使うことは、出来なかった。
言えばすぐにでも部屋を変えてもらえるのだろう。だが、変えてほしいとは思わないし、どうせこのままいなくなるのなら、このままで充分だ。
・・・それにしても。
「出ていく、か。そう言って、全然行動してない私って、結局はここから出て行きたくないのかもしれないわね。・・・ううん、そう、私この場所に居たい。ずっと」
でも、それは・・・それだけはしてはいけない事で・・・。分かっていても、心が揺れてしまうのだ。
いずれは出て行く。
最初に決めた。
そう、最初に決めたのだ。
そろそろ、潮時だということも、既に理解している。
ロゼリアの部屋に、彼が赴いたことは一度もない。朝も、昼も、夜もいつだって会いに行くのは自分だった。もっとも、夜に行ったのは最初の頃だけで、彼を寝かせるのが目的だ。そこに、夫婦としての色事は微塵もない。
いや、あったら困っていたと思う。今の気持ちとあのころの自分の気持ちは正反対だが、そこだけは変わらない。今だって、困るから。
それは、仮初の自分が成すべき事柄では無い。そう断言出来る。そして、遠くない未来、彼に子供が出来るだろう。相手が誰であろうと、自分だけはありえない。その時、彼の傍で微笑むべきは、自分ではないのだから。あるべき姿に戻るだけ。彼が誰を好きになろうと、誰を想おうと、誰と一緒になろうと、それは彼自身が選んだことで、ロゼリアには関係が無い。
いい加減、行動するべきだ。本当に。
「うじうじ考え込むのは後からいくらでも出来る。・・・最初は・・・両親に、伝え・・・」
泣きそうだった。
「ああ、もう。・・・本当に駄目なんだから」
震える声。滲みそうになる視界。
呑まれそうになる。全て、今まで塞き止めていた感情が溢れようと、心の中で暴れていて、ロゼリアはぎゅっと目を瞑った。
そうして、一瞬の間をおいて瞼を開き、無理矢理に笑顔を浮かべる。
「伝えなければいけないわね。突然帰ってきても、驚くでしょうし」
両親はどう思うだろう。
思えば、嫁いだのも突然だった。
『いつだって帰ってきなさい』
両親から送られてくる手紙には、いつだってそう書かれてあった。驚かせてしまうだろうが、きっと笑って迎えてくれるだろう。
ロゼリアが窓ガラスに映った自分に向かってゆっくりと微笑むと同時に、控えめにドアがノックされた。
「ロゼリア様、お早うございます。メルリです」
大きく息を吸う。
そうして振り返り、言葉を紡ぐ。
同じ一日が始まる。・・・いや、少なくとも、いつもと同じでは無い。
ここから出て行く為の、新しい一日。行動の第一歩。
手紙を書き終わったら、久々に行きたい所がある。ここに来たばかりの頃は、毎日のように行っていた場所。何かを考えるのには、もってこいの場所だ。
「失礼します」
メルリがお辞儀をして、部屋に入ってくる。
笑顔で挨拶を交わして、ロゼリアはゆっくりと鏡台の前の椅子に腰を下ろした。