13.田中飛行士の決意
宇宙ステーションの静寂の中で、田中飛行士は窓の外に浮かぶ地球を、時間も忘れて見つめていた。彼は、与えられた情報、クルーの隠蔽、そして謎の男の狂言を、失われた記憶の穴に一つ一つ埋め込んでいった。
そして、田中はついに結論に達した。
「私は異星人ではない」
田中は心の中で断言した。自分の心臓の鼓動、日本語で考える思考、そして何より、妻と子を愛おしく思う感情。これらは、誰かのプログラムやチップが作り出せるものではない。
自分が失った記憶は、地球の記憶なのだ。おそらく私は宇宙に無限のロマンを見出し、この果てしない空間へ飛び出した。しかし、そのロマンは、次第に厳しすぎる現実に直面していったのだろう。過酷な訓練、膨大な予算、そして政治的な圧力等だ。
火星への移住計画は、最初から成功の可能性が皆無だった。それは、地球の資源と人々の希望を吸い上げるための、巨大な虚構だったのだ。
事故の際、私の記憶は破壊された。しかし、宇宙で培った知識と、地球への強烈な危機感だけは残った。
そして、謎の男。田中は彼の正体を悟った。
「あの男は、最初に帰還した飛行士なのだ」
彼もまた、宇宙計画の無理と地球の危機を目の当たりにし、事故によって記憶と正気を失った。その結果、彼は、自分自身を<異星から来た救世主>だと信じ込み、その妄想を実現するために、私に近づいてきたのだ。彼の記憶喪失とは、自己を異星人だと思い込んでしまうという、悲劇的な精神変調だったのだ。
宇宙環境局と森山は、その男の狂言と、田中という「英雄」の記憶喪失を、組織の延命と権力拡大のシナリオに組み込んだのだ。
真実を悟った田中には、迷いはなかった。
愛する家族がいる地球は、今、政治的な欺瞞と環境危機という二つの病に蝕まれている。そして、彼を宇宙へ送り込んだ政府の宇宙ステーション計画は、その危機を隠蔽し、予算を食いつぶす巨大な装置なのだ。
「私は、このステーションの任務を、速やかに終わらせる」
彼は、窓の外の地球を見つめた。その青い表面は、宇宙飛行士OB会が警告した通り、人為的な破壊の傷跡を刻々と増やしていた。
ステーションの真の機能を把握する。そして、この宇宙から見た地球の真の危機を、地上にいる人々に訴える。
<早く任務を終えて、宇宙飛行士OB会に加わろう。おそらく中村飛行士も加わっているはずだ>
彼は、自らの失われた記憶を取り戻すことよりも、未来を守ることを選んだ。田中飛行士は、記憶を失う前の自分を乗り越え、真の地球の英雄となるべく、その第一歩を踏み出した。