悪女の輿入れ
奇跡の資源、魔石を有する北ソルディア帝国。
それは大地を見守る四季精霊の寵愛によって生まれる自然の産物だ。
春は、慈愛を司る春の精の息吹。
夏は、情熱を司る夏の精の息吹。
秋は、豊穣を司る秋の精の息吹。
冬は、純潔を司る冬の精の息吹。
こうして四季精霊の息吹により与えられる魔石。それらを加工したり、道具の動力源とすることで、ソルディアの民は暮らしを豊かにしていた。
ルスタン大陸の北西部に位置するソルディアの大地は、元は隣国南ガルト帝国と共に一つの大帝国であった。
重要資源である魔石と、国防を担う魔獣の飼育によって高い国力を維持していた大帝国だが、様々な主張の衝突により国は二つに分断される。
以来、“北”ソルディア帝国と“南”ガルト帝国に分かれた大地を、今度は統治権を巡る形で両国の睨み合いが続いていた。
不可侵の条約や、同盟を結ぶことで諍いを収めていた時代がある一方、容赦ない侵略を行い多くの民の血が流れる時代もあった。
そして、条約の反故、同盟破棄、どの時代においても両国の安寧を崩すのは、決まって南ガルト帝国側だった。
ルスタン大陸歴715年。
昨今の両国は不戦を固く誓った盟約関係にある。
しかし、その盟約も長続きしないものであると、これまでの歴史が語っていた。
***
「殿下、レティシャ王女を乗せた馬車が皇都中央門を通過したと報告が」
「そうか。予定より到着が早そうだな」
季節は春。
隣国の花嫁を迎えるため正装に身を包んだクラウドは、小さく息をつく。
一見すると平静を保った様子だが、門番の知らせを伝えにきた宰相補佐ハンスは心配そうに尋ねた。
「……お加減は? 昨晩も遅くまで執務室の魔石灯がついていたと聞きましたが」
「相変わらず耳が早いな。体調は問題ないから心配いらない」
「体調は、ですか」
「……言うな」
口を動かしながらハンスと共に早々と執務室を出る。
レティシャ王女の馬車が到着するよりも早く外に出て、彼女を出迎えていなければならないからだ。
クラウドは廊下を移動しながら襟を正す。薄紅色の春の魔石がはめ込まれる胸元のブローチが、キラッと外から差し込む陽光に反射した。
「あ、兄さん。やっと来た」
「わあ、いつもよりキマってる! ねえ、メルお姉様」
「そ、そうね。とてもお似合いです」
複数の話し声にクラウドは目線を遠くにやる。城外に続く廊下の先で待ち構えていたのは、アラン、イヴ、メルナだ。
「三人とも、外に出ていたんじゃなかったのか?」
「うん、さっきまでね。でも聞いてよ兄さん。あれだけ宣誓式の参列者がいるのに、空気がひやっとしているんだよ。もはや葬儀だよ葬儀。堪らなくて逃げてきた」
「もう、また冬に戻ったのかと思ったわよ」
「それで、メルナも連れてきたのか」
双子の発言に控えめに微笑んでいたメルナを見やり、クラウドはため息を吐いた。
「……も、申し訳ございません、クラウド様」
「いや、むしろ謝るのは俺のほうだ。今回の婚姻でお前にも煩わしい思いをさせているからな」
宰相を父に、宰相補佐のハンスを兄に持つメルナは、北ソルディア帝国唯一の公爵令嬢である。
ゆえに幼少の頃からクラウドの婚約者候補として交流があり、最近までは皇太子妃の座に最も近い令嬢と囁かれていた。
しかしシュトラウス王国との和平協定が成され、皇太子妃の座はレティシャ王女のものになってしまった。
結果、隣国の悪女に皇太子妃の座を奪われた令嬢として、多くの貴族がメルナを同情的に見ていたのである。
「わたくしは、気にしていませんので……大丈夫です」
メルナはふわりと健気な笑みを浮かべた。
彼女を実の姉のように慕っているアランとイヴは、これからやってくる義姉の存在にわかりやすく嫌悪を示す。
「シュトラウスの悪女って、どんな人なんだろうね」
「皇都で出回っている肖像画はどれも恐ろしい魔女みたいだったわよ」
「向こうじゃ兄王太子に次ぐ稀代の魔導師で、多くの違法魔導師を容赦なく笑いながら粛清していたって。それで屍は飼ってる獣に食べさせてるとか。そんな人が義姉って……というか魔導師ってだけで胡散臭い」
はっきりとは言わないが、嫌だなぁ、という言葉が顔に出ている双子に、クラウドは口を開いた。
「二人とも、今回の件に納得がいっていないのはわかっている。だが魔導師を一括りに考えて嫌悪するのは褒められたものではないな。大型魔獣の暴走から命を救ってくれたのも、魔導師だっただろう」
「う、それは」
「そうだけどぉ……」
「その人とシュトラウスの悪女は別っていうか」
「まず、その"シュトラウスの悪女"と口に出すのはやめておけ」
アランとイヴは決まりが悪そうに視線を泳がせる。
いくら自分が説いたところで、二人の気持ちがそう簡単に変わることはない。
それがわかっているので、クラウドも頭ごなしに言うつもりはなかった。
(……だが、いつまでもこの状態は不味いな)
アランとイヴだけではなく、貴族はおろかソルディア帝国内の民がシュトラウスの悪女を恐れ、ソルディア皇室に名を連ねることを良しとしていない。
国境の戦で家族や最愛の者を奪われた民の悲しみは計り知れず、感情の矛先はレティシャ王女に向けられることだろう。
いくら民から慕われる皇太子が諭しても、こればかりは感情の問題なので簡単にはいかない。
("シュトラウスの悪女"……この目で見るまでは、すべてを鵜呑みにするつもりはないんだが。それでも警戒は必要か)
北ソルディア帝国の皇太子として、シュトラウスとの和平により保たれる均衡を絶対に崩してはならない。
国を脅かす脅威は、なにもシュトラウスに限った話ではないのだから。
外に出て、アランの言葉の通りだとクラウドは内心苦笑いをした。
レティシャ王女の輿入れに合わせて同日に行われる婚前宣誓式は、他国の王族をソルディア皇室に快く迎え入れるという宣言の場である。
婚儀に進むために避けてはならない習わしの一つだが、三日後に控えたレティシャ王女の披露目の場である歓待式や、婚姻式に比べると参加者は多くない。
かといって少ないとも言いきれない数の貴族らが、シュトラウスの悪女を一目確認するため皇城に集っている。
だが、花嫁を迎える空気としては最悪だ。誰も口を開こうとはせず、ただレティシャ王女の到着を黙って待ち続けていた。
「……殿下だ」
「皇太子殿下」
「殿下がいらっしゃった」
姿を現したクラウドに、少しだけ険しい雰囲気が和らぐ。
威厳はありながらも、艶やかに揺れる紫ががった黒髪と、黄昏の空を思わせる瞳、文句のつけようがない美しい風貌の彼から放たれる煌々としたオーラに、周囲の心は不思議と上向きになる。
そうだ、シュトラウスの悪女がなんだ。
我が国の皇太子が隣国の悪女になど屈するものか。
どのような女が来ようとも皇太子が劣ることはない。
いっそ皇太子の麗しい容姿を前にして、慌てたじろげばいいのだ。
祖国ソルディアを、シュトラウスの悪女の好きにしてなるものか。
場が密かに強気な姿勢を持ち始めたのと、花嫁行列が皇城前に到着したのはほぼ同時のことだった。
一際豪奢な作りをした馬車が、クラウドの立つ場所から少しだけ離れた位置に停まる。
周りが固唾を飲んで見守る中、クラウドは一歩、また一歩と馬車に近づいた。
クラウドが立ち止まったところで、御者が扉を開ける。
かすかに見えた馬車の中で人影がゆらりと動き――次の瞬間、皆が息を呑んだ。
「……わあ」
「春の精さま?」
「お母さま、あのひととってもきれい」
「エアルバさまみたいだね」
大人たちが口を閉ざす中、事情をよく知らない幼い子供たちがシュトラウスの悪女を瞳に映し、まるで宝石を見つめるようにキラキラとした眼差しを送っていた。
亜麻色がかった白髪が春の日差しと風を受け、柔らかく靡いている。
淡い水色の瞳を縁取る長い睫毛がまばたきと共に動く様は、まるで蝶の羽ばたきのように可憐で。
光沢のある上品に透けたアイボリーのドレスは、差し色の薄紫と薄桃の生地が使われており、数歩先にいるクラウドの容姿や装いと妙に馴染んでいた。
春の精と見紛うその者は、度肝を抜かれた観衆にそっと目を向けた。
「……慈愛を司る、春の精様に、此度のめぐり逢いへ感謝を示すと共に、皆々様へ挨拶申し上げます」
魔導師の象徴たるロッドを両手に握り、腰を低く下げて礼をとったシュトラウスの悪女――レティシャは、ふわりと春のひだまりのような微笑みを浮かべる。
「シュトラウス王国より参りました、レティシャ・クレプスキュル・シュトラウスでございます」
その瞳の奥にわずかな涙が滲んでいたことに、目を奪われていたはずの誰もが気づけなかった。
ただ、ほんの少しの違和感をクラウドの胸に残して。
《第二章 終》




