奇病と協力者
『はじめまして、リアム。私はレティシャよ』
四年と数ヶ月前。
ドルウェグの下につくことを決意し、彼からリアムの所在を聞き出したあと、私はすぐに王宮薬師院に向かった。
王宮薬師院の一番奥、特例病床室でひっそりと生活をしていたリアムは、私が現れたことに多少の驚きを見せてはいたけれど、私が姉だという事実は元々知っているようだった。
私と同じ亜麻色かがった白髪と、水色の瞳。
少し痩せ型ではあったけれど、十一歳男児の平均的な体格をしており、傍から見ると健康体そのものだった。
『お初にお目にかかります、姉上。近頃王太子殿下に目をかけられていると噂の方が、わざわざおひとりでこんなところまでお越しくださるとは思ってもみませんでした。それなのに満足な出迎えもできず申し訳ありません。……あいにくこのような状態なので、自分の力で歩くことも叶わないのです』
リアムが見せてきたのは、自身の枯れた右脚。
つま先から太ももにかけて黒く変色し、木の根が内側を張るように肌が盛り上がった症状のそれは――時が戻る前の私が目にしたことのある奇病であった。
***
「治癒魔法式、展開」
リアムが座る寝台横の椅子に腰掛け、いつものように魔法式を展開させる。
治癒魔法式。
病や怪我の治療、回復に効果のある魔法であり、リアムが発症している『枯黒病』には抑制目的で使っている。
(今日は、核の活動が活発だわ……リアム、かなり辛いでしょうね……)
奇病と言われている『枯黒病』は、発芽核が体内で芽吹き、糧となる魔素を吸収することによって進行する病である。
発症すると黒い根が肌の内側を張り巡らせてゆき、まさに土の下で木の根が広がっていくように、魔素の吸収範囲を徐々に広げていく。
黒い根が体全体を覆うまでになると、最後に肌を突き破って一本の黒く枯れた木を形成する。そしてまた実をつけ、匂いに惹き付けられた野生動物に食べられ、巡り巡って人の体内で芽吹くのだ。
「……っ、う、く」
「姉さん、もうそれぐらいでっ」
「大丈夫、大丈夫、もう少しだけだから」
治癒魔法は、魔法式を展開させ、発動したあとも気が抜けない。もちろんほかの魔法も気を抜いてはいけないけれど。
治癒魔法の場合、魔素の練り具合や、魔法の操作を間違えると、対象者の状態をさらに悪くしてしまう可能性がある。
ただの切り傷を治すにしても、集中を切らして失敗すれば逆に傷を広げて致命傷ほどの大きさにしてしまうこともあった。
ゆえに治癒魔法の扱いはより慎重にならなければいけない。
「……ふう」
しばらくして、ロッドを膝に置く。
息を整えながらリアムに目を向けると、彼はじとりとした眼差しでこちらを睨んでいた。
「リ、リアム?」
「また限界寸前まで治癒魔法をかけましたね。顔が真っ青です。もし倒れたらどうするのですか」
「でも、そこはちゃんと計算して使っているから。絶対にリアムに迷惑は」
「僕が言っているのはそういうことではなくて!」
「――リアム様は姉君がそれは心配で心配で仕方がないのですよ、殿下」
私たち以外の声が室内に響き渡る。
部屋の扉には、いつの間にか騎士服を着用した青年の姿があった。
「来ていたのね、ギル」
「魔法の邪魔をしてはいけませんので、外で待機しておりました。本日の治癒、お疲れ様でございます」
ギルはその場で一礼すると、こちらに歩み寄ってくる。
「ギル、誇張して言うのはやめてくれないか」
「しかし、心配しているのは事実ではないですか」
「…………まあ、それは、そう、だけど」
「ふふ、ありがとうリアム」
思わずお礼を言えば、リアムは照れたようにそっぽを向いた。ちょっと耳が赤い。
基本はしっかりとした口調のリアムだが、長い付き合いであるギルの前では少し幼くなる。まるで兄弟のような雰囲気だ。
王宮魔道騎士団の副団長職についているギルは、一般騎士の時代からリアムに仕えていた。
リアムをただ一人の主とし、騎士の忠誠を誓ったというので、二人は立派な主従関係にある。
そして私やリアムと同じくシュトラウス王国の現状を嘆いている人でもあり、彼はリアムこそが王位を継ぐにふさわしいと思っている。
「ところでギル……スアロ子爵のほうはどうなっているの?」
「ご安心を。すべて滞りなく」
治癒後のリアムに異常反応が表れないかを確認しながら、傍に控えているギルに目を向ける。
なにも問題がなさそうでほっとしていれば、隣で聞いていたリアムがやや解せない顔をした。
「姉さまは、本当によろしいのですか」
「なんのこと?」
「なんのことって……ご自分が周囲からどのように言われているのかご存知のはずです。国内はおろか諸外国からも"シュトラウスの悪女"と名が通ってしまわれているのですよ?」
「そうね」
それの何が問題なのか、と思いながら首を傾げると、リアムは深いため息をついた。
「今回のスアロ子爵も、これまで粛清してきた多くの貴族たちも、皆が姉さまを強く憎んでいます」
「ええ、そして彼らは亡命を手引きし、命を救った恩人であるリアムに深い恩を感じているはずよ。恩を返したい、忠を尽くしたいと、そう思っているわ」
その強い忠誠心は、いつかリアムの助けとなってくれるだろう。
これまで私が粛清対象として捌いてきた貴族や魔導師は、記録上処刑されたことになっているけれど、ギルの協力を得て全員が死を逃れていた。
今回のスアロ子爵に関してもそうだ。
元々収容されていた極刑囚を私の幻覚魔法でスアロ子爵の姿に変え、あたかもスアロ子爵本人が死んだかのように偽装する。
姿を変えられた極刑囚は埋葬されることはなく、そのまま火葬処理がされ、たとえ魔法が解けたとしてもその頃には骨となり他者に気づかれることはない。
この手口を使い、私はこれまで数多くの人を葬るフリをして生かしてきた。
そして彼らは自分たちを助けてくれたのは第二王子であるリアムだと、そう思っているのだ。
でも、どうやらリアムはそれが不服らしい。
今のところリアムが損をしたり、不利になる状況にはなっていないというのに。
なんとなく怒りの気配すら感じるリアムに、なぜだろうとさらに考え込んでいれば――
「僕が言いたいのは、ずっと憎まれたままで本当にいいのか、ということです! 外を出歩けない僕なんかよりも姉さまのほうがよっぽど世評には詳しいでしょうけど、最近では噂がひとり歩きしてとんでもない悪行をしているということになっているんですよ!?」
「それもむしろ好都合というか……色んな噂のおかげで近頃は王女たちの中で私を暗殺しようと企む勢力もカッサンドラだけになったのよ。私に手を出せばどんな報復をされるのか、皆怖いみたいで」
「怖いみたいでって、呑気に笑っている場合ですか。ついこの前も毒を盛られたというのに」
三日前、私が角砂糖に仕込まれていた毒を誤って摂取してしまったことは、リアムも知っている。
最初の頃はカッサンドラ以外の王女、さらには王妃たちからも様々な妨害を受けていたわけだが、月日が経つにつれてそれも収まっていった。
私が王太子のお気に入りと周知されたことで、下手に手出しができなくなったからである。加えて近頃は国王の目に留まる機会も増え、さらに私に対する風当たりは弱まっていた。
もちろん、カッサンドラは例外だけれど。
「……憎まれたままでいいのか、という話だったわね。もちろん気分が良いと感じたことなんて一度もない。でも、これは絶対に必要なことだと思うから」
シュトラウス国内の現状を憂いで変革を望むリアムには、より多くの味方が必要となる。
私が悪女として王家に目をつけられた人格者を大勢粛清し、その裏ではリアムの協力者として引き込むことで、この先の命運は大きく変わってくるはずだ。
「今は一刻も早く同じ志を持った人々を募らないといけない。また……その時が来てしまわないように」
「また? その時?」
訝しげなリアムの声に、私はハッとして口を塞ぐ。
「ううん、なんでもないわ。ただ、この王宮で行動するには周りから悪女と怖がられるほうが動きやすいの。たとえ憎まれ役になったとしても、それは仕方のないことよ」
そう言って笑いかけると、リアムは再び何かを言おうとしたが、言葉を発することはなく思い留めるように唇を引き結んだ。
「ありがとう、リアム」
「なぜ、礼なんか……」
「さっきギルも言っていたけど、そんなふうに怒っているのは私を心配してくれているからなんでしょう? その気持ちだけで嬉しいもの」
思わずリアムに手を伸ばし、その頭を撫でる。
時が戻ってから新しく見つけた、私が守りたいと願うもの。
この先、リアムは腐敗しきったシュトラウス王国を建て直すためになくてはならない存在になる。
でも、そういった理由を差し引いても絶対に失いたくないと強く思う。
「……リアム。前にも言ったけど、枯黒病は全身に根が張り黒い木を作り出すまでは、絶対に命を落とすことはないの。辛い思いをしているのはリアムなのにこんなことを言うのは気が進まないけれど、もう少しの辛抱よ」
「そういう気は使わないでくださいと言ったはずです。そもそも姉さまがいなければ、僕はとっくに身動きが取れない状態になっていたかもしれませんし」
枯黒病の進行には個人差があり、発病から数年で命を落とす者がいる一方で、数十年と長い月日をかけて蝕まれる者がいる。
その個人差には、体内の魔素量が大きく関係しており、多ければ多いほど魔素の吸収速度が緩まり、症状もゆっくりと進行する。
リアムは生まれつき魔素量が多かったこともあり、発病から私と出会うまでの期間で足のつま先から太ももまでにしか症状が出ていなかった。
それからは治癒魔法を施すことで発芽核の活動を極限まで押さえ込み、表立った症状もないくらいに安定している。
「……まあ、僕に発芽核を取り込ませた張本人からすると、ここまで僕が元気に生きているのは計算外だったのかもしれませんが。その分利用価値も増えたと思っているようで、今のところはそこまで怪しまれていませんよ」
リアムはちらりと大机を見やった。
机上に置かれた多くの資料や書物には、ルスタン大陸の人々には馴染みのない文字が記されている。
古代エルフ文字。
エルフとは、今から約千年前に実在したとされる長寿の種族。
この時代においては神話や伝説上の存在として知られているが、彼らの生きた証である文字で記載された蔵書などがシュトラウス王宮にはいくつも保管されていた。
なぜか未知の魔法式について記されたものが多くあり、古代史分野に長けた王宮魔導師たちは解読班として日夜解読に励み、重宝されている。
リアムは病床に伏す中、その天性の頭脳で独学で古代エルフ文字の書記体系を紐解き、解読してみせた。
以来、リアムは解読要員として密かに生かされ続けている。
「無理はしないでね、リアム」
「……その言葉、そのままお返しします」
初めてリアムと顔を合わせた日、リアムは私を心底警戒していた。
ドルウェグに目をかけられ始めた私が、どうして自分のもとにやってきたのか理解できなかったからだ。
私はその際、リアムにいくつかの提案を持ちかけ、納得してもらった。提案のひとつには枯黒病の処置も含まれている。
今ではこうしてギルを含めて協力関係を築くことができている。
ただ、最近はそれ以上に、弟として私を慕ってくれているのが態度の節々から感じとれて嬉しかった。
最初は堅苦しく「姉上」と呼んでいたのに、いつしか「姉さま」と言ってくれるようになった。
私が無理をしそうになると、不機嫌な顔で頬を膨らませ小言をこぼすようになった。
リアムは私に、弟というのはこんなにも可愛い存在なのだと教えてくれた。
だから私はもっと強くなりたい。
もっともっと大切なものを守れるようになりたい。
それが叶うなら、たとえこの身がどうなろうとも構わない。
――数日後。
王太子宮に呼び出された私は、応接間の椅子に腰かけるドルウェグと向き合っていた。
「…………今、なんとおっしゃいました?」
鼓動が徐々に早くなっていく。平常心を装いながらも、逸る気持ちを抑えられず私は聞き返していた。
「此度の議会により、北ソルディアとの和平協定が正式決定された。それに伴い締結を強固なものにするため、皇太子クラウドの妻となる者を王女の中から一人差し出すことになる」
淡々と説明するドルウェグの視線が、ぴたりとこちらに留まる。
「レティシャ。北ソルディアには、お前が嫁げ。それが最も適役だ」
ああ、ようやく。この日がきたのね。




