身に余るあだ名は身を滅ぼす
走った。ともかく走った。
いつの間にか鉛色に変わった空を見つつ、心を落ち着けることにする。
入学初日からかなり味付けの濃い時間を過ごしたものである。
濃い味付けは飽きるのだからこれくらいで勘弁願いたい。
幸薄いのは勘弁だが、平凡な日常を過ごすことが俺の望みなのである。
帰宅し一息ついたところで
妹から声がかかる。
「お兄。今いい?ガチャ、コンコン、ベッドへダーイプ!ボフっ」
「後にしてくれないか、俺のライフはもうゼロなんだ。てか、ノックしてから返事を待って入ってこい」
「んー、ノリ悪いな。何かあったのかな。まあ、にゃメルごんの件はよくやったと褒めてつかわす〜」
「…」
怖い、うちに安住の地などなかった。
天真爛漫な笑顔に騙されてはいけない。
「な、何のことでしょうか」
「んっふふー、悪いことをしたわけではないのだから良いではないか」
「裕か?」
「大せいかーい。安心して?にゃメルごんを救おうとしなかったユウくんにはしっかりお仕置きしておいよ!」
親友に合掌。
懸念点が現実となってしまった。
きっと奴は妹に口を滑らせてしまったに違いない。
お仕置きというとアレだろう。
にゃメルごんの素晴らしさについて永遠と聞かされる拷問。
しばらくの間、精神が汚染されるというシロモノだ。
実体験から述べるにあれは30分でもきつい。
ゴクリっ
親友の安否はさておき、ここからは自分の身の安全について考えなければならない。
きちんと落とし物を持ち主に返却して、対応するところまで行った。
落ち度はないはずだ。
事実を淡々と述べれば特に問題なく解放され、日常を取り戻せる。
すっかり乾ききった口から掠れた声を出す。
「ー実はだな…」
「うん。本当にお咎めはないよ。はなまるの対応と太鼓判をあげちゃうよ!経緯としては落とし物を発見して届けようとしたものの誤解され断念。その後きちんと持ち主に返却したんだよね」
「…。ああ、その通りだ」
この時の俺の気持ちがわかるだろうか。
田舎に行ったら行動が全て筒抜けになっていたあの恐怖。
まさか自宅であの薄気味悪さを味わうことになるとは。
「ふふん。にゃメルごネットワークを舐めてもらっては困るね。会員の情報共有はリアルタイムに行われているんだよ。落とし物の投稿。ユウくん話からネタは上がっている。まとめて推測って寸法。Yeah!」
「疑問は尽きないがとにかく、ご機嫌でよかったよ」
「お兄ちゃん、投稿で救世主って呼ばれているよ。私も鼻が高いね!あ、これ謙虚にお礼も受け取らずに背を向けるお兄ちゃんの写真」
「何も解決していなかった!」
「へい!メシアー。憎いねっ。背中で語っちゃてるねぇー」
妹が調子に乗って謎ダンスしていて辛い。
勘弁してくれ、なんだこのカルト集団。
集団催眠にでもかけられているのか。
あの令嬢も想像以上に恐ろしい存在なのかもしれない。
顔を晒していない以上、一応プライバシーを守った木なのかもしれないが、
関わり合いになりたくないコミュニティからロックンオン状態である。
令嬢のツルの一言は恩返しどころか怨がえし。
ほとぼりが覚めるのを待って生きることを心に決める。
「あ、お兄ちゃん」
「何だよ?まだ何かあるのか」
「にゃメルごん助けてくれてありがとね」
「おう」
妹は満足そうに部屋から出ていった。
あの笑顔は反則である。
今までの疲れが一瞬で吹き飛んでしまうほどの破壊力があった。
こんな簡単なことで気力が回復してしまうなどチョロインの素質があるのかも知れない。
ガチャっ
妹が再び顔を出して満面の笑みを見せる。
「あ、メシ屋ー、言い忘れたけど今日はハンバーグがよき!」
バタンっ
早速、嫌なニックネームでいじってきた妹に対して、
本格的に教育の必要があるのではと頭を悩ませるのであった。
◇
その後の数日は濃い1日が嘘だったかのように平穏な日々を過ごしていた。
これぞ日常。
令嬢、大男、変なキャラクターにかき乱されることのない時を噛み締めていた。
このようにあくびをのんびりできず、噛み縛っている勤勉な労働者各位には頭が下がる思いである。
気掛かりといえば、隣の席が空席なままであることぐらいである。
ちなみに哀れなユウくんこと本条裕はあの事件の翌日にしっかり調教されて、
しばらく放心状態であったが、
今は元の後光がさすイケメンに戻っている。
「親友よ。君の隣の席はずっと空席だが俺が座ることにしても良いのかな」
「いや、よくないだろ。先生も事情があるって言ってたし、いつか登校してくるだろう」
「そんなものかな。話は変わるが、妹のキャラクター狂いは何とならないかな」
「制御不能、俺が何とかしてもらいたい。この前なんて、あのキャラクター界隈で救世主と呼ばれているとかいっていじってきたしな」
「あのキャラクターのことはいわないでくれ…。ところでその武勇伝について詳しく!」
「ほんと、お前もいいキャラしているよ」
なんだかんだ言ってこの親友と妹は似たもの同士である。
雑談を再開しようとした瞬間、横から下卑た声が聞こえてきた。
「ぐへへへへー」
どうやらハプニングはやまないらしい。