雨のち晴れ、なな色の虹
ななは長くは泣かなかった。
時間でいうと十五分いくかいかないかぐらいだろう。
ある程度泣いたななはそれで気が済んだのか、晃輔の腕の中でもぞりと動いて顔を上げた。
「……んっ」
顔を上げたななの瞳はまだ濡れていたが、少しだけ元気を取り戻したらしい。
「……うそつき」
「何が?」
「……見てるじゃん……」
悪態をつかれるのは謎だが、そう告げるななの表情は、まだ完全に憔悴が抜けきっているわけではないが、先程と比べたら大分マシになった気がする。
「無茶言うな。俺の胸をつかってたんだから、それは仕方ないだろ」
そう言いながら晃輔は腕の中のななの顔を覗き込む。
泣いたお陰だろうか、少しだけ表情が良くなったようにも見える。
「ななが泣いてるところは見ないようにしてやった」
すると、いつの間にかななにかけたブランケットが落ちていたらしく、ななから小さな笑顔が溢れた。
「……こうすけ」
「ん」
ななはそんな晃輔を見て、もう一回小さく笑った。
「……ありがとう」
「……ん」
それだけ言ってそっぽを向けば、ななはまた晃輔の胸に顔を埋めた。
「ねぇ晃輔、もう少しだけ、もう少しだけ貸してくれる?」
「……おう」
晃輔は一瞬どきりとはしたものの、このままななを受け入れた。
この状態のななを突き放せる晃輔ではなかった。
一度泣いただけで、それで立ち直れるなら世界中の人間は苦労なんてしてないだろう。
平静を装いつつ、ななを抱き締め直して、頭を撫でる。
晃輔はななの頭をゆっくり、ゆっくり撫でた。
もう大丈夫だ、ともう自分の前で無理に頑張る必要はないんだ、と晃輔はそんな気持ちを込めてななの頭を優しく掌で撫でた。
ななは本当に良く頑張ったのだ。
辛くても、苦しくても、誰にも頼らず相談せずに一人で抱え込んで、一人もがき続けた。
だから、こんなに疲弊し憔悴しきってしまったのだろう。
晃輔がしばらくななの頭を撫でていると、大分落ち着いたのかななは顔を上げた。
「……ありがとう」
「……ん」
「……どうしたらいいんだろうね……これから……」
近くにいる晃輔にだけ聞こえるように小さく呟いたななは、晃輔の瞳を見ながら困ったように微笑んだ。
「ああいう悪口や陰口みたいな、嫌がらせとか受けないために、誰もが認める完璧美少女として演じて振る舞ってきたのに、今はそれが逆に仇となって私の足枷みたいになってる……ほんと、なんのための努力だったんだろうね」
結局、自分で自分の首を絞めてるんだよね、と小さく苦笑するななに晃輔は何も言い返すことができず、唇を噛んでしまう。
「晃輔は知っていると思うけど……私は、別に可愛げとかないし、自分勝手だし、自己中心的だし、不器用だし、性格悪いし、家事できないし……だから……」
「知ってる」
「……え」
「だから、人に好かれないって? ……まぁ確かに、これをやるって、一度決めると人の話を一切聞かなくなるし、人には全然頼らないし、家事は全然できないし………」
「…………」
ななは、こいつはいきなり何を言い出すんだ、とでも言いたそうな目で晃輔を見つめる。
「……でも俺は、割りとそんなななが好きだぞ」
思わず晃輔の口から本音がこぼれた。
「……え」
ぱちりと瞬きを繰り返すななを見つめて、晃輔は続ける。
「さっきも言ったけど、お前は優しすぎるんだよ。悪口や陰口のこと、お前は、自分のせいだから、巻き込みたくないから、って言う理由で石見たちには相談せずに、今までやってきたんだろう……ほんとにすげぇと思うよ。それとあと、もし本当に性格悪いならそんな事で悩まねえよ」
卑屈過ぎるんだよ、とななの額を軽く弾くと、どこか呆けたようにななが表情から負の色を抜く。
誰がどう見たって、ななは努力家で心優しい少女だと、晃輔は思う。
多少言い方が厳しいところがあるが、でもそれは不器用な、なななりの人を想っての発言ばかりだ。
晃輔からしてみれば、何故なながそこまで自分のことを悪く言うのか、理解出来なかった。
「あと、困ったなら、苦しいなら、ちゃんと人を頼れ。何ために友達がいる、何のために家族がいる」
これは晃輔の本心だ。
ななは人に頼らな過ぎだ。
家に居る時を除き、学校では完璧美少女として人に頼られることはあっても、人に頼る、ということはない。
少なくとも、晃輔はその様子を見たことが無い。
だから、いつの間にかななは人に頼るということを忘れていたのかもしれない。
それとあと、ななに可愛げがないなら、晃輔はななに悶える、なんていう羽目には陥っていないだろう。
こっちの身にもなってほしいものだ。
「まぁ、頼る頼らないの話もそうだが、あんまり卑下すんなよ、お前の素を見てもそれが好きってやつがここに居るだろ」
人と関わることを苦手とする晃輔でさえ、ななの素を見て、ななと一緒に暮らしいているのだから。
「それに、俺だけじゃない。あおいも嶺兄さんも、泰地も希実も石見も、お前の完璧美少女じゃないところを知ったうえで、お前と関わってるんだから。だから……」
晃輔はななの瞳を真っ直ぐ見据えて、ななに言い聞かせるように話していたのだが、突然ななは視線を逸らし始めた。
「……なな?」
それどころか、目元のほんのりとした赤色に負けじと頬まで赤くなっている。
あっという間に薔薇色と言っていいくらいに色付いていて、晃輔はこれは羞恥からくるものではないかと気付いた時には、ななは縮こまっていて、ななの瞳がこれでもかというぐらい忙しなく動いていた。
晃輔はななの様子から自分でもかなり際どい発言をしていたのだと気付かされて、晃輔の顔まで赤くなった。
「だ、だから、他のみんなもそう思ってるから! 決して、他意とかがあった訳じゃなくてだな、俺だけじゃない、泰地も昌平も希実も、みんな、お前の完璧美少女じゃないところ見て気に入って付き合ってるんだから! だ、だから、お前は自分が思うより、ずっと……その、好ましいいい奴だと思う……」
晃輔が慌てて自分がした発言の説明すると、なながようやく晃輔に視線を合わせてくれた。
ただ、ほんの一瞬でも勘違いした事には変わりないのか、ななはまだ真っ赤な顔で震えているので、相当恥ずかしい思いをさせたらしい。
言った側である晃輔もかなり恥ずかしい思いをしたが、晃輔とは違い言われる身であるななはもっと恥ずかしい思いをしたのかもしれない。
「もし、本当に辛くて頑張りきれなくなった時とかは俺にいくらでも言ってくれ。俺に言い難かったら、あおいや嶺兄さん、母さんたちを頼ればいいし。泰地や昌平、希実や石見たちに事情を話せばいくらでも話を聞いてくれると思うから……」
「……うん」
晃輔は、一生懸命に誤解されないように説明していると、ななが涙を流した。
「……何でまた泣くんだよ……」
「いや、恵まれてるなあって……」
「あのなぁ、当たり前だろう。お前は恵まれてるんだよ。あれだけの、お前の周りには良いやつが揃ってるんだから。見返りを求めず人を助けるようなやつだったり、人のために怒れるような優しいやつばっかりなんだから」
晃輔は、途中から入ったとはいえあのグループの人の良さには正直驚かされた。
顔も人柄も良い人間があんなにいるとは思わなかった。
顔が良いから、絶対それを利用して良からぬことを……と最初はそう思っていたが、関わってみたらそんなことは全然なくて、晃輔の偏見で視野がどれだけ狭くなっているかを思い知らされた気もした。
「むしろお前は優しすぎて、人に頼らなさ過ぎだから、もう少し、人に頼って甘えるべきなんだよ」
そう、ななは誰かに甘えてもいいのだ。
頼っていいのだ。
わがままだって言えばいい。誰にも頼れなかった分、甘えられなかった分、少しでも取り返してやれたらと思う。
「……じゃあ晃輔、私お願いしてもいい?」
「何だ? 俺にできる範囲であるならだけど」
すると、ななは小さく笑った。
「……そしたら、私を見ていてくれる?」
「ああ。お前の頑張りはちゃんと見てるし、目を離したらお前はまた一人で抱え込んで無理をするだろうから、そうならないように見てるよ」
これだけか? と晃輔がななの顔を覗き込む。
「そしたら、今日は……今日だけは、全身で私を捕まえておいて……」
ななは今にも消えてしまいそうな小さな声でそう言うと、晃輔の背中に手を回して胸に顔を埋めた。
晃輔は一瞬どきりとしたものの、不埒な思いを抱いては駄目だろうと飲み込んで、ななの体を改めて包み込んだ。
「ありがとね、晃輔」
「ん。辛くなったらいつでも頼れよ」
「……うん、ありがとう!」
そう言って、ななは今日一番のとびっきりの笑顔を見せてくれた。
外を見ると、朝から止む気配の無かった雨が上がり、晃輔たちがいるリビングに太陽の光が差しこんでいる。
晃輔たちのいるリビングの窓からは、なな色の光を放つ虹が輝いていた。




