あおいの心配
今日の授業が終わると、晃輔はいつも通り一回実家に戻って、嶺と適当に世間話をする。
それが終わると、晃輔はあおいの家庭教師をするために楠木家を訪れる。
これがななとの同居生活が始まってからのいつもの流れになる。
「お邪魔しまーす」
楠木家に着いた晃輔がインターンホーンを鳴らすと「玄関の鍵開いているから入ってきていいよー」と元気の良い声が聞こえた。
防犯云々の意識の薄さに関して色々と思うことはあるが、晃輔は取り敢えず玄関を開けて家の中に入る。
「こー兄! 待ってたよー!」
ドアを開けると、あおいがドタバタと玄関の方へ走ってくる。
「相変わらず賑やかなやつだよな……」
晃輔は、こちらに向かってくるあおいを見て思わずそう呟いた。
「えへへー」
「褒めてない」
「ええー」
晃輔がそう言うと、あおいは少し不満そうな顔で晃輔を見る。
晃輔は、それを適当に笑って誤魔化しているとふと玄関にななの靴が無いことに気付いた。
「ななは……もう帰ったんだな」
玄関で晃輔が靴を脱ぎながらあおいにそう尋ねる。
「お姉ちゃん?」
そう言って、あおいは不思議そうな顔で晃輔を見つめた。
「なんか今日、クラスの友達と遊びに行くーみたいなこと言ったけど? こー兄聞いてないの?」
「え、いや初耳なんだけど……」
「お姉ちゃん、遊びに行ったら駄目だった?」
あおいはいたずらっ子ような、そんな顔で晃輔を見てくる。
何となく心を見透かされている様な、そんな気がして晃輔は微妙に居心地の悪さを感じた。
「いや、別にそんなことはないけど……」
「いやー、ずいぶんと独占欲が強いですなー」
「は!?」
あおいの自室に向かいながら、変なことを言うあおいに晃輔は思わず大きな声を出してしまう。
「今のを、いったい何をどう解釈したらそういうことになるんだよ? つーか、最後までちゃんと人の話を聞け」
突然、突拍子も無いことを言い出したあおいに、晃輔は思わず顔を引きつらせながら、そう告げる。
「ええー、だって、お姉ちゃん他の人と遊びに行っちゃ駄目なんでしょー? 他の人と遊びに行くのは嫌なんでしょー?」
「…………」
部屋に着いたあおいは、顔をニヤニヤさせながらそんなことを言ってくる。
「それってもはやお姉ちゃんに対する、こー兄の独占欲――」
「……」
「イタッ!」
晃輔は、一人でどんどんヒートアップしていくあおいに無言でデコピンを入れる。
すると、あおいは抗議するような視線を晃輔に向けた。
「こー兄、痛ーい……」
「知らん。自業自得だろ」
あおいが額を抑えながらそう言うと、晃輔は小さくため息をついて素っ気無くそう返した。
「はぁ……独占欲とかそう言うんじゃなくて、希実や石見たちにそそのかされて、ななが変なことを言わないか心配なんだよ……プレゼント貰ってから、ななの機嫌が良いのはいいんだけど、いつもと違ってどこか抜けているんだよ。間違えて俺たちが一緒に暮らしていることを言ったりしないか心配で……」
盛大なため息をつきながら、晃輔はそう告げる。
「あー、それってお姉ちゃんが時々みせる、精神年齢が幼くなるモード、かな? ……こー兄も大変だね……」
あおいはその状態のななを知っているためか、遠い目をしている。
「どんなモードだよ……まぁいいや。いや、良くはないけど、いいや。取り敢えず、そろそろ始めるぞ」
晃輔は考えるのを放棄して、あおいの家庭教師の方に頭を切り替える。
「お、諦めたね……はーい!お願いしまーす」
そう言って、あおいは机に計算ドリルなどを出しはじめた。
土日のななは、まるで昔の関係に戻ったような、そんな錯覚をしてしまう程幼く感じた。
ただ、今日朝の時点では、もう元のななに戻っていたと思うから恐らく大丈夫だろう。
晃輔がそんなことを思っていたら、突然グイッとあおいに袖を引っ張られた。
「ねぇ、こー兄……」
あおいは、心配そうな表情で晃輔の顔を覗き込んでくる。
普段はしないであろう、珍しい表情のあおいに晃輔は思わずあおいを直視する。
「どうした?」
「……もうすぐ中間テストじゃん」
「あぁ、そうだけどどうした?」
「……」
「あおい?」
あおいは顔をしかめて数秒間口を閉ざしていたが、何か意を決したように、真剣な顔つきで晃輔に告げた。
「……こー兄は知らないかも知れないけど、お姉ちゃん、テストの時になると毎回凄い無理しちゃうの。だいたい、いつも一ヶ月前ぐらいから勉強を始めて、毎回無理し過ぎて、よく体調を崩すの。だから、正直今回も、同じことをやっているじゃないかって心配で……」
あおいがそう言っているのを聞いて、晃輔は、夜遅くまで机に向かって勉強をしているななの姿を思い出した。
晃輔も、ななが無理をし過ぎで体調を崩すのではないかと思っていた。
「毎回そうなのか?」
「うん、毎回そう。だから多分今回も、相当無理をする気がする……」
晃輔が尋ねると、あおいは真剣な表情でそう答えた。
毎回そうならそれはほんとに改善するべきではないか、晃輔がそんなことを思っていると、あおいは続けて晃輔に告げた。
「だからこー兄には、お姉ちゃんの様子をちゃんと見ていてほしいの」
「様子を?」
「うん。お姉ちゃん多分また無理しちゃうような気がするから」
晃輔が思わず聞き返すと、あおいは力強く頷いた。
結構大事な話をしている時に不謹慎だとは思うが、ここまで真剣な表情のあおいは、なかなか珍しいなと晃輔は思う。
「まぁたぶん、お姉ちゃんも相当な頑固さんだから、言っても聞かないとは思うけど、一応、こー兄からも注意はしておいてほしいの……こー兄の話なら聞いてくれるかもだし……」
「うん? あおい何か言ったか?」
「ううん。何も言ってないよ? それよりも無理しちゃうお姉ちゃんをよろしくね」
「ああ。分かった」
あおいと同じ様にななが心配な晃輔は、別に断る理由がないためあおいのお願いを了承した。
「ほんと? ありがとう! じゃあよろしくね!」
思考を切り替えたらしいあおいはそう言って、晃輔の方を向いて告げた。
「じゃあ、改めて、よろしくお願いしまーす!」
あおいって切り替え早いよな、とあおいを見ていた晃輔はそんなことを思い小さく苦笑いした。
ここまでにかなりの時間が掛かったが、やっと今日の家庭教師がスタートした。
***
今日の家庭教師の仕事が終わり晃輔が家に帰ろうとすると、あおいに呼び止められた。
「こー兄ちょっと待ってて!」
晃輔を呼び止めたあおいは、晃輔が帰る直前突然何かを思い出したらしく、冷蔵庫の方へ走っていった。
「はい! これ、持って帰ってね」
そう言ってあおいは、冷蔵庫からちょうどSサイズぐらいのケーキが入りそうな大きさの、少しひんやりした白い箱を晃輔に手渡す。
「これは……この大きさは、もしかしてケーキ?」
「そう! 正解! チーズケーキだよ。昨日、買い物行ったら、安かったらしくて。せっかくだし、こー兄たちにもって。良かったらお姉ちゃんと一緒に食べてね!」
手渡された箱を見て晃輔がそう尋ねると、あおいは聞いても無いのに他の事までご丁寧に説明してくれた。
「お、おう……ありがとう」
「ううん。こちらこそ、いつもありがとね!」
あおいは笑顔で晃輔にそう告げた。
こうして晃輔は、いまいちよくわからないまま、貰ったケーキを持って家に帰ることになるのだった。




