恋人
ななと交際を始めた翌日、藤崎家のソファに座っている晃輔は色々と頭を悩ませていた。
晃輔の交際経験はゼロ。言わずもがな、ななが初めての恋人になる。
恐らく、それはななも同じなのだが、やはり恋人として付き合い始めたのなら、男性側がリードしたいと思ってしまう。
しかし、そのリードに関する知識を晃輔は一切持っていなかった。
今まで、過去のトラウマがあってまともに人付き合いすら避けていた晃輔には、友達の更に上をいく恋愛なんて当然未知の領域であった。
昨晩は時間も時間だったため、晃輔とななは一端お互いに実家に戻り、翌日は休日だったため、翌日落ち合って二人の家に戻る事になった。
身仕度を終わらせた晃輔がソファに座っていると、手に持っていた晃輔のスマホが鳴った。
ソファに座っていた晃輔は、その着信音にびくっと体を揺らした。
晃輔がスマホを見ると、ななから準備が出来たことを示すメッセージが来ていた。
『えっと……準備終わった』
『りようかい』
色々と悩んでいた晃輔は、ななからメッセージが来た事に驚いて、漢字に変換せずにメッセージを送ってしまった。
『じゃあ、今から向かう』
晃輔がメッセージを送ると、直ぐに既読がついてななから可愛らしいスタンプが帰って来た。
晃輔はソファから立ち上がって玄関に向かうと、靴を履いて玄関を開けた。
「いってきます」
晃輔は、それだけ言うと急ぎ足で楠木家へ向かった。
楠木家の玄関の前に到着した晃輔は、緊張で震えそうになる手でインターフォンを押した。
『はーい!あ、こー兄!おはよー!ちょっと待っててね!ほら!お姉ちゃん!こー兄来てくれたよ!早く早く!』
『ちょ、ちょっと待って……押さないで』
インターフォンからは慌てるななの声とご機嫌なあおいの声が聞こえて来た。
晃輔は、ドキドキしながらななが出て来るのを待つ。
一分程すると、ガチャリと玄関が開き、何処か疲れた様子のななが現れた。
「お、おはよ……う」
「お、おはよう」
「「…………」」
挨拶だけして、お互いそこから何も言葉が出て来ない。
二人して頬を朱色に染めて黙ってしまった。
恥ずかしさあまりか、お互い目を合わせられず、永遠とも思える時間が楠木家の前で流れていく。
すると、痺れを切らしたあおいが小さくため息をついた。
「ほら、お姉ちゃん。折角こー兄がお迎えに……エスコートしてくれに来たんだから」
「ちょ!?あおい、言い方!」
あおいの一言でパタパタし始めたなな。
あおいはその隙に晃輔に近付いて来た。
「こー兄!…………おめでとう!」
優しく、でもどこか寂しそうにあおいは告げた。
何が、と言わないのは、恐らくあおいは二人の関係の変化に気が付いているのだろう。
「おう……ありがとう。あおい」
「どういたしまして。長かったね」
「……そうだな。あおいには色々と感謝しないとな」
「ふふ〜ん。そう思うなら、今度また二人の家に遊びに行ってもいい?」
「ああ。もちろん。ななも良いよな?」
「え!?え、えっと……うん……まぁ別に構わないけど……」
「良かった!じゃあ…………今度、二人の惚気話聞かせてね!」
「「っ!?」」
顔を赤くさせて固まる晃輔とななを見たあおいは、満足そうに微笑んだ。
「ほら、二人とも、そろそろ帰った帰った。私を砂糖漬けにするつもり?」
「そんな事はしないけど…………わかった。じゃあ……えっと……なな」
そう言って、晃輔は顔を真っ赤に染め上げて目をグルグルさせているななに手を差し伸べた。
「あ、ありがと……」
晃輔の手を取ったななは、はにかみながらそう呟くとぎゅっと晃輔の掌を握った。
晃輔は心臓が飛び出しそうになるのを堪えながら、ななの掌を握り返す。
「えっと……じゃああおい」
「うん…………そしたら、今度遊びに行くから、その時はお願いね!」
「うん!」
「じゃあなあおい、また学校で」
「うん!じゃあねー!」
あおいは元気にそう告げた。
あおいに玄関で見送られながら、晃輔とななはゆっくりとした足取りで楠木家から離れていった。
楠木家を後にした晃輔たちは駅に向かい、来た電車に飛び乗った。
「「…………」」
周りの迷惑になるため、晃輔とななは電車に乗ってからはあまり話をしなかった。
電車に乗った晃輔とななは、二人が住むマンションの最寄り駅ではなく、一つ前の駅で電車を降りた。
晃輔とななが駅から出ると、色々と悩んで難しい顔をしている晃輔を見たななが、晃輔を覗き込んできた。
「晃輔。どうしたの?何か悩み事?」
「え?あ、うん……まぁ悩み事ちゃ悩み事だな」
「私で良ければ相談にのるけど?」
晃輔と手を繋いで歩いているななはご機嫌そうに告げた。
「えっと……じゃあ……その……俺たちって付き合い始めたわけだよな……」
「うん……そうね。それがどうかしたの?」
「……付き合うって、具体的になにをすればいいんだって、思って」
「……へ?」
ななから間抜けな声が出た。
「いや、さ。誰かと付き合うのとか初めてだし……」
「そ、そうね……そ、それは確かに……」
「だ、だから、その……何をすればって感じで……昨日からずっと悩んでたって言うか……」
「………………昨日からずっと?悩んでたの?」
「え?まぁ、そうだけど……何で?」
晃輔がそう告げると、ななは嬉しそうに微笑んだ。
「そっか…………良かった……」
「良かった?」
「うん!だって、私も同じ事で悩んでたから。晃輔と一緒だなーって」
無邪気な笑顔でそう告げるななに、晃輔は思わず顔を逸らしてしまう。
可愛い過ぎる、頬が熱くなるのを感じながら晃輔は心の中でそう呟いた。
「私も正直悩んでて……付き合ってから何すれば良いのかなって…………手を繋ぐとか一緒に居るとかはいつも家でやってるし…………」
そう言って、ななは頬を赤らめながら幸せそうに微笑んだ。
「なんて言うか……その……言うのが凄く恥ずかしいんだけど……私たち、付き合ってなかっただけで……普段からそういう恋人がするような事をやっていたような気がして…………ほら、手を繋ぐとか……一緒に居るとかなんて……と、とくに……」
「…………確かにそうだな」
ななに言われて思い返してみると、確かにななの言う通りだった。
ななと一緒に暮らし始めてから色々あったが、一緒に買い物したり、二人で手を繋いで水族館を回ったり、猫カフェ行ったり、家の中でまったりしたり……振り返ってみると、確かに普段から恋人がするような事を晃輔たちはしていた気がした。
「だから、その……だからって言うのも変なんだけど…………なんか……こう変に恋人って意識するより、いつもの私たちみたいに……あの家で二人で一緒に過ごしてるだけでも、私はいいかなって」
ななは微笑みながらそう告げると、一歩晃輔に近付いた。
「それに……ね。その……無理矢理恋人の形に合わせなくても、私たちは私なりに……その、付き合っていけば、いいのかなって、私は思ってる………………だめ……かな?」
「全然だめじゃない……そうだよな。なんかちょっと焦ってた、俺。ごめんな」
晃輔は、恋人の振る舞いとは、一体何かと昨日からずっと悩み焦っていたが、どうやら、その必要は無かったらしい。
「ううん。大丈夫。だって」
そう言って、ななは晃輔にぴったりくっついて来た。
ななの歩幅に合わせて歩いていた晃輔は、驚いて心臓が飛び出しそうになった。
「私は……こうして晃輔と一緒に居られるだけで……し、幸せだから……」
「そ、そっか……」
「う、うん……」
家に帰った晃輔が手を洗うために鏡を見ると、とても人の事を言えないぐらい顔が真っ赤になっていた。




